幕間

薔薇のタルト

 テリエ。それは今話題沸騰中のカフェの名前。

 店の前にできた列は昼時を過ぎても依然として長く、むしろここからの時間が本番と言えるだろう。客の男女比率は女性がぐっと多くなるティータイム。皆のお目当ては最近登場したあるスイーツだ。


「お待たせいたしましたぁー! 薔薇のブーケタルトでぇーす」


 ユールのテーブルにも明るい声が降ってきた。運ばれてきたのは見た目に華やかなカットタルトが二皿。たっぷり敷き詰められたカスタードクリームの大地に優しいピンク色の薔薇が咲き誇っている。

 ちなみにこの薔薇、当然ながら本物の花ではない。薄くスライスして煮た林檎を花びらに見立て、一枚一枚丁寧に重ねて花の形にしてある。噂には聞いていたし、だからこそ予約したのだが実物は想像以上のシロモノだった。食べ物というよりもはや芸術品だ。

 対面に座る赤毛の少年は目を輝かせ、フォークを手に取った。


「いただきまーす」


 タルトの先を小さく切り分け、パクッとひとくち。途端にその顔がほわんとほころんだ。

 ユールは半眼で頬杖をついた。前から思っていたがこいつ――レンは本当になんでも幸せそうに食べる。好き嫌いはないらしいが、そもそも〝不味まずい〟という感覚があるかどうか疑問だ。

 だが、だからこそ――。


「納得いかない……」

「なにか言った、ユールくん?」


 フォークをくわえたままレンはきょとんと首を傾げる。その心底不思議そうな面持ちがさらにユールを脱力させるのだと彼は知っているのだろうか。……知るわけないよな、絶対。

 レモンの浮かんだ冷たいお茶で喉を湿らせ、ユールは深い溜息をついた。


美味うまい? って聞こうと思ったけど。顔見たらわかった」

「すごく美味しいよ。なんかね、大人向けって感じ」

「おと……どういうこと?」

「風味づけに酒が使われてんだよ。ひとくちやろうか」


 割りこんできた声にユールはむっと眉間に力を込めた。隣から「ほい、」とフォークを突き出しているのはケニーだ。刺さっているのはもちろん薔薇のタルト。本来であれば自分と、本日不在の少女が食べる予定だった品である。味の違いがわかる彼女にこそ目と口両方で楽しんでもらいたかったのに。


「いらねー」


 ふいとそっぽを向くとケニーは不服そうな顔を寄越した。


「なんだよ、人がせっかく」

「今度マルガちゃんと食べるときのために取っとくんだよ。今食べたら感動が薄まるだろ」

「へー。チャラリッドくん、意外とロマンチック?」

「だからその呼び方やめろって」

「まあ要らないなら? 遠慮なく頂くけど?」


 差し出していた欠片かけらをケニーはさっさと自分の口に放りこむ。そうして残りのタルトに豪快にフォークを突き刺し、あっという間に腹に収めてしまった。ひとくちがデカい。せっかくの限定商品なのに、せめてもう少し味わって食べてほしかった。

 タルトを攻略し終わったケニーはグラスの水をあおるとレンの方に身体を向けた。


「それで? 妹はどうしたんだよ」

「え?」

「最近はよく一緒にいるだろ。いないじゃん」


 ケニーの人差し指がユールとレンの間を行ったり来たりする。

 黙々とタルトをやっつけていたレンは目を瞬かせ、次いで眉尻を下げた。フォークに刺さったツヤツヤの花びらをじっと見つめていたが、口に運ばず静かに皿に置いた。


「マルガ、昨夜から熱が出ちゃって。多分風邪だと思うんだけど出掛けるのはちょっと無理かなって。だから僕が代わりに」

「ふーん、風邪ね。ま、実の兄レンが言うんなら嘘ではないか」

「なんだよ嘘って」

「仮病の線はないなってこと。いよいよユールが愛想つかされたか、フラレたかと思ったんだよな。そうなら俺が慰めてあげなきゃなーって」

「はぁ!? 気持ち悪ぃこと言うなよケニー」


 鼻の頭にしわを寄せる。「だいたいおまえは呼んでないだろ」と文句をこぼせばケニーはハハハと椅子の背もたれに背を預けた。


「暇だったからさー。ブラブラしてたらおまえらが並んでたから、俺もご馳走になっとこうかと」

「なに言ってんだ。割り勘だよ当たり前だろ」

「固いこと言うなって。今日は食べないんだろ? 俺のおかげでこうしてケーキが余らずに済んだんだからさ。むしろ感謝するとこだぞ。どういたしまして」


 ケニーの手がバンバンとユールの背中を叩く。むっとはしたが実際その通りなので反論できない。

 ケニーはユールの方に身を乗り出すと肩を組んだ。にやにやしながら「ユールさ、」と僅かに声を潜めた。


「最近押せ押せムードじゃん。妹見つけたら即押しかけてるだろ」

「人聞き悪いな。押しかけてなんか」

「チャラリッドくんならわかってると思うけどさ、もし妹がおまえのことなんとも思ってなかったら、ただ迷惑なだけだからな」


 ユールはぐっと息を呑む。なにを勝手なことをと思う一方で彼の言い分を否定しきれないのは事実だ。マルガが自分のことをどう思っているのか、結局のところよくわからない。声をかければちゃんと答えてくれるし笑ってくれることも増えてきた。今日のお茶にしてもユールは心臓が口から飛び出そうなくらいドキドキしながら誘ったわけだが、マルガは拍子抜けするほどあっさり了承してくれた。

 なのでそんなに悪く思われてないのではないかと――大いに希望的観測をこめて――思うのだが。


「マルガはすごく残念がってたよ」


 だからレンの言葉はまさに天から差す一筋の光だった。彼は思案げに小首を傾げ、うーんと宙を見つめている。


「僕も前に聞いてたんだよね、マルガのクラスで話題になってるケーキの話。そしたらユールくんが誘ってくれたでしょ。マルガ、すごく喜んでたもん」

「えっほんとに!? マルガちゃん、喜んでた?」

「え、うん。だから今朝もギリギリまで粘ってたけど、お父さんもお母さんもちゃんと治るまでだめだって。予約取るの大変みたいなのにって、ユールくんにどうお詫びしたらいいのか悩んでたよ」

「そんなのいいって! マルガちゃんが悪く思う必要ないじゃん。風邪なんて引こうと思って引くものじゃないんだから」


 思わず身を乗り出して訴える。言ってから、人によっては自ら望んで風邪を引く場合もあると思い至ったが、こと真面目なこの兄妹に限っては縁のない話だった。果たして予想通りにレンは真顔でこくこく頷き、ユールはホッと口許を緩めた。


「予約はさ、またすればいいんだよ。マルガちゃんに、全然気にしなくていいよって伝えて」

「そう言ってくれると僕も助かるよ。ありがとユールくん」


 レンがにっこりと口角を上げ、ユールは前のめりになっていた身体を戻した。よかった、誘ったのは迷惑ではなかったのだ。それがわかれば今は十分だった。

 グラスに口をつけて一息つく。隣から「単にケーキが食べたいだけって可能性もあるじゃん」と茶々が入ったがユールには笑みを返す余裕があった。


「でも、嫌いなヤツとは行かないだろ」

「まあな」

「それでいいんだよ」


 焦る必要はない。焦らない。あらためて仕切り直せばきっと楽しい時間を過ごせるはずだ。

 このあとはお見舞いの品を見繕いに行こう。ユールは晴れやかな気分でグラスの残りを飲み干した。

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