3.木漏れ日の下で

「何してるの!?」


 駆け戻ったマルガは無我夢中でランプを引ったくった。

 十分な距離を取って振り向けば相手は両腕を上げた姿勢のままきょとんとした顔を向けていた。短い黒髪の小柄な少年だ。整った顔立ちに覚えはない。彼が着ているこざっぱりとした服は使用人のお仕着せではなさそうだし、かといって身分が高い者のそれでもないし。


「だ、誰?」


 正門のある方向を一瞥し、マルガは少年を見据えた。

 ドレーゲル家には大きな門があってちゃんと門番もいる。マルガたちが挨拶をしたら気さくに通してくれたけど、それは三人がドレーゲル家に連なる者だからだ。不審者は当然門前払い、ましてやこんな子どもがふらふら来たって相手にするわけがない。

 もしかしてこの子もドレーゲル家に縁があるのだろうか。マルガが知らないだけで。

 少年は両手を下ろし、マルガをじっと見つめてきた。深い瑠璃色の双眸はとても静かで何の感情も読み取れない。滑らかな白磁の肌に綺麗な顔つきをしていることも相俟あいまってまるで精巧に造られた人形のようだ。


 ――普通の子じゃない。


 直感だった。マルガはランプをしっかり抱えこんだ。胸はずっと早鐘を打っている。どうしよう、怖い。




 一歩二歩と後ずさると何かが背中にとんと当たった。心臓が大きく跳ねたがなんてことはない、テラスの手すりだ。そのままじりじりと身体をずらし、テラスの角まで移動する。

 少年はふんふんと鼻を鳴らしていたが、やがてニカッと口角を上げた。途端に彼のまとう空気が軽くなる。


「マリーのニオイがする。おまえ、マリーの子だな。マリーはどこだ?」


 訝しむマルガには構わず、少年はきょろきょろあたりを見回し出した。

 兄たちに危機を伝えたくても階段は少年の向こう側。すり抜ける際に捕まらない保証はない。下に飛び降りるには若干高さがあるしできれば避けたい。

 では客間の掃き出し窓に駆けこめば――そう考えてマルガはあっと声を上げた。そうだ呼び鈴があったはず。


「答えろマリーの子! マリーはどこだ」


 少年の語気が荒くなった。マルガの肩がびくりと震える。


「……ひ、人違いです! 私の母は、マリーじゃないわ」

「マリーは一緒じゃないのか。オレサマ、会いにきてやった!」

「知りません! そんな人、ここにはいません」

「あ? おまえ、マリーを知らないのか? マリーの子なのに」


 目をパチクリと瞬かせ、少年は首を真横に傾けた。

 マルガはむうっと眉根を寄せた。なんて失礼なのだろう。マルガの話もろくに聞かず、さもこちらがおかしいと決めつけて。

 マリーなんて大して珍しい名前ではない。大体この街の住人全てを把握するなんて不可能だ。

 少年は眉間に深いしわを刻み、うーんと腕組みをした。


「オレサマ、マリーと約束した。いっぱいいっぱい探した。それで見つけた。持ってきた。でも、マリーはいない……」


 マルガがランプを抱えこんだまま睨んでいると不意に少年が顔を上げた。マルガ目掛けて走ってくる。

 反射的に身をすくめた。が、少年はマルガに構うことなくすぐ横から手すりに飛び乗った。


「マリーに言え。黒いキラキラがあったぞ。山の卵も認めた。今度こそ流れ星だ!」

「山の……ながれぼし?」

「美味しいものを置いてくれたらいつでも来てやる。そうだ、カリカリのクッキーがいい。マリーと食べると楽しいからな!」


 両手を腰に当て、マルガを見下ろして偉そうに胸を張る。彼は満足そうに二度三度と頷くとぴょんとテラスの外へ飛び降りた。

 瞬間、一陣の風が起こった。

 思わず目を瞑ったマルガは風が収まると慌てて身を乗り出した。あたりをくまなく見回したがそれらしい人影はどこにも見当たらない。


「消えた……?」

「……マルガ、何してるの?」

「ひゃっ!」


 真後ろから届いた声に飛び上がった。勢いよく振り向けばすぐそばにいた人――兄がわっと声をあげて後ずさった。驚いた顔を見せるレンの肩越しに、ちょうど階段を上がってきたユールの姿が映った。彼はテーブルの自分の席に着きながらマルガと目を合わせて破顔する。その指がマルガの手元を差した。


「許可貰ってきたよ。話を進めよう」

「あ……」

「マルガ? どうかした?」

「あのねお兄ちゃん! 今、変な子がいて……!」

「へんなこ?」


 小首を傾げる兄にこくこくと激しく頷く。

 ユールが歩み寄ってくるのを待ってマルガは経緯を話した。いつの間にか少年がいてランプを掲げていたこと、わけのわからないことを一方的に喋ってあっという間にいなくなってしまったことを告げると男子陣は怪訝な顔になった。


「その子、ランプをどうするつもりだったんだろ」

「お兄ちゃんはマリーって人知ってる?」

「ちょっとわからないな……。お父さんとお母さんの兄弟にそんな人いたかなぁ?」

「ランプを守ってくれてありがとうマルガちゃん。やっぱり残ってもらって正解だったよ。だけど一歩間違えば危ないことになってたかもしれない……何もなくて本当によかった」


 そこまで言ってユールは生真面目な顔を作ると声を潜め、「今後はより気をつけることにしよう」と結んだ。兄妹も真剣な面持ちで首肯する。

 ユールがぱちんと手を鳴らした。


「それじゃあ気を取り直して。目的地を決めようか。絶対に竜に会うんだ」

「あ、その前にお茶のおかわりを貰ってもいいかなぁ」

「あっオレも。走ったら喉が渇いた」

「今日暑いよねー」


 雑談を交わしながらレンとユールがテーブルに歩いていく。

 手元に目を落とせばランプが木漏れ日を弾いた。まるで喜んでいるかのような明るい輝きにマルガの口角も上がる。しみじみ、ランプが無事でよかったと思う。


「ねーマルガもおかわり貰う?」


 呼び鈴を手にした兄が振り向いた。うんと返事をし、マルガはふたりに駆け寄った。

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