2.由緒正しきランプ

 伯父の来訪から数日後、マルガとレンとユールの三人は本家を訪れた。

 通されたのは客間の外にあるテラスだった。屋敷の脇から張り出した梢が木陰を作り、心地よい空間を提供している。テラスの端には庭園へ降りる階段があって、ユリにオルレア、クレマチスなど見た目に爽やかな白い花々が競うように咲き乱れていた。


 わあ、と歓声が上がった。ユールだ。個々の皿に盛りつけられた三種類のプチタルト――ドレープを寄せたクリームにそれぞれ桃、チェリー、ブルーベリーが乗っている――に、きらきらと目を輝かせた。他にも中央の大皿にはマフィンとクッキーが整然と並び、ガラスの器に盛られた大粒の葡萄や数種のベリーが卓上に花を添える。


 ――先輩は本当に甘いものが好きなんだから。


 顔の真ん中に「幸せ」と書いてある彼に内心呆れつつも、くだんのタルトはマルガの胸も踊ってしまう愛らしさだった。自分でさえこうなのだからユールにとってはさぞ魅力的なことだろう。降り注ぐ木漏れ日すらスポットライトに見えているのかも。


 始めこそ軟派な印象の強かったユールだが、日が経つにつれ彼のスイーツ愛は本物だとマルガは実感するようになった。ユールが自信を持って勧める菓子はどれもハズレがない。

 そんな彼がマルガの手作り菓子については毎度大絶賛だった。もちろん兄や父も美味しいと言ってくれる。けれどユールのそれは段違いなのだ。嬉しさより気恥ずかしさが勝つし、そういうところが軟派なのよと言いたくなる。せっかく親切で面倒見がよくて機転もきく素敵な人なんだから、誤解を招く言動はやめればいいのに。


 視線の先でユールが振り向いた。その目許が嬉しそうに綻び、マルガは慌てて目を逸らした。失礼だったかなと少し気になったが再び目線を合わせる勇気はない。

 そうこうしているうちにミントの添えられた冷たいお茶が運ばれてきた。こちらはなんとも涼しげだ。


「可愛らしい客人が来ると言ったら料理人が張り切ってな。まあ堪能していってくれ」


 やってきた伯父はにこにこと笑みを浮かべ、マルガとレンの席の真ん中あたりに〝本日の主役〟を置いた。

 一拍の間を置いてマルガはガタンと立ち上がった。


「これ……これが、そうなんですか!?」

「うちに代々伝わる由緒正しきランプだ。初代殿の持参品と言われている」

「持参品……」

「ねえ伯父さん、ちょっとだけなら触ってもいいかな」

だよ。おれは少し出てくるから、気の済むまで観察していくといい。話があれば帰ってから聞く」


 伯父はレンの肩をぽんぽんと叩き、颯爽と去っていった。





  * *





 仕事を終えた使用人は呼び鈴の存在を伝えると室内に戻っていった。

 おもむろに立ち上がったレンに合わせてマルガもランプに歩み寄る。

 見るからに華やかな雰囲気を持つランプだった。五角形をかたどる金色のフレームは宝石の粒で埋め尽くされ、端から端までごてごてと装飾が施されている。ガラス面に至ってはまるで川を成すかのような細かな星々が精緻に彫りこまれ、とんでもなくきらきらしい。

 レンがおそるおそる手を伸ばした。両手で持ち上げ、ためつすがめつ眺めている。


「お兄ちゃん、どう? 重い?」

「うーん、こんなもの、かな。普通のランプって感じ」

「……花は必要なかったのね」

「夢がないよなあ。童話あれは作り話って言われたんでしょ、マルガちゃん?」


 斜め後ろから覗きこんできたユールにマルガは頷く。伯父に聞かされてがっかりしたことのひとつだった。あの童話は事実に忠実に基づいた物語だと思っていたのに。

 そして同じくらいがっかりしたのがランプだ。存在するかどうかもわからない幻想の道具などではなく、ちゃんと実在する品だった。

 一般に魔術道具といえば精霊の力――いわゆる元素エレメントを加えることでより効果を強めたり、便利に使えるようにしたものだ。精霊が絡んでいるには違いないが、正直な話お金さえ積めば入手はわりと容易である。今まで花探しに費やした手間と時間を思うと拍子抜けもいいところだ。


「まるっきり見当違いだったわけでもないと思うよ。竜退治に役立ったんだから、ランプはやっぱり必需品ってことでしょ。しかもこの子は実際に竜と会ったことがある。生き証人なんだよ」


 今にも頬擦りしそうな勢いでランプを顔に寄せ、レンは晴れやかに破顔した。口をへの字に曲げたユールは「物に魂を込めるなよ」とガリガリ後頭部を掻いた。


「まあ験担げんかつぎっていうか、縁の力に期待したいところはあるよな」

「竜に会える確率が少しでも上がるなら使わない手はないと思います」

「マルガの言う通りだね。とりあえず使う方向で考えようよ」


 それぞれ顔を見合わせて頷くと、三人はあらためて席に着いた。




 冷たいお茶をひといきにあおってレンは小さく息をつく。


「次のステップはランプを使う場所かぁ」

「そうだな。……ん、マルガちゃんこれ、中にジャムが入ってる!」

「……ほんとだ、プラムですね!」


 わっと顔を輝かせたユールに釣られ、同じようにプチタルトをつついていたマルガも腰を浮かせた。


「ナッツも入ってます?」

「くるみかな。食感が楽しいな」

「クリームなしでも美味しいですよ。上に乗ってる生地がザクザクで、ほろほろ崩れて」

「え、待って食べてみる」

「ふふ、マルガとユールくん、すっかり仲良しだね」


 不意打ちの合いの手に変な間があいた。両手でグラスを抱えた兄がにこにこ笑みを浮かべている。彼はさらに「マルガが喧嘩を売ってきたときは本当にどうしようと思ったけど」と続け、マルガの頬がカッと熱を帯びた。


「いつの話をしてるのお兄ちゃん!?」

「えーと三ヶ月前? あ、二ヶ月半かな?」

「そうじゃなくて!」

「オレもレンに妹がいるって知らなかったよ。大体おまえとこんなに話すようになるなんて思ってなかったんだからな」

「え、僕?」

「まさか竜を探すことになるなんてさ。けど、おかげでマルガちゃんとも知り合えたし、みんなで調べたりするの楽しいし。その点は竜に感謝かな」


 ユールは照れ笑いながら頬を掻いた。ね、と顔を覗きこまれるとマルガも頷くしかない。

 確かに竜がもたらした縁だ。時々意味不明なことを言ってきて反応に困る点を除けば、優しくて頼りになるユールと知り合えたのはよかったと思っている。

 そのユールはお茶で喉を湿らせると「本題に入ろう」と持ちかけた。


「ランプをどこで使うか。普通に考えて竜の城の近くだろ。まあ実際は巣って感じかもしれないけど」

「巣かあ。竜ってどんな場所を好むんだろう」

「あの、洞窟は? ランプが役立つということは暗い場所ですよね。うんと大きな洞窟があったら、竜が棲んでいてもおかしくない気がします」

「あ、なるほど洞窟か……オレは夜だったからだと思ってた。洞窟に行くなら当然ランプを持っていくもんな」

「地形か、時間帯か……どっちが理由なんだろうね」


 思案げに視線を彷徨わせるユールを前に、レンは腕組みをしてうーんと目を閉じた。

 マルガはランプを見つめた。それは降り注ぐ木漏れ日の下でどこか神々しい輝きを放っている。

 追い払われた竜がその後どこへ行ったかは明らかにされていない。童話だと湖の奥深くに移り住んだことになっているし、授業では『初代ロヒガルム伯が友好関係を築いた』という記述のみで、所在の言及はなかった。どちらにしろ今もティエル湖のどこかから人間の暮らしぶりをひっそりと見守ってくれていると信じたい。


「ひとまず洞窟から探ってみる?」


 小首を傾げたレンにマルガも是を唱えた。洞窟の可能性をなくしてから他をあたった方が効率的だろう。

 ユールは頬杖をつき唇を尖らせた。


「いっそティエル湖が丸ごと巣だったりしないかな。湖の底が寝床みたいなさ。ね、マルガちゃんどう思う?」

「……そうですね。水竜だし、なくはないと思いますけど……」

「それなら滝は? ティエル湖の北の方に滝があるって聞いたことあるよ」

「滝ぃ? 滝のどこに棲むって言うんだよ」

「ええと、滝壺?」

「だから湖の底だろ」

「えー、違うよ。滝壺は滝の真下のことだもん」

「湖に注ぎこんでるんだろ? だったら湖じゃん」


 マルガはそっと溜息をついた。どちらでもいいと思う。

 兄たちの言い合いに口を挟むべきか迷っていると、視界の外から馬のいななきが小さく届いた。


 木立の向こうにエントランスが見えていた。今まさに馬車に乗りこもうとしているのは小さな手を引いた奥方さま。その後ろに伯父が控えている。外出とは家族揃ってのものだったらしい。


「なあ、思ったんだけど」


 ユールの声に振り向く。兄たちもエントランスを眺めていたようだ。ユールは目を彼方に留めたまま、続きの語を口にした。


「ランプって借りられるのかな」

「え?」

「何も言わずに勝手に持っていったら、やっぱまずいよな?」


 予期せぬ沈黙が降りた。

 そこからのユールは速かった。ぱっと席を立つと階段を数段飛ばしで駆け降りる。下に降り立った彼はマルガたちを振り仰いだ。


「先に持ち出し許可を貰ってくる! 話はそれからにしよう」

「待ってユールくん。僕も行く!」

「私も――」


 レンが慌ててユールの後を追いかける。マルガも階段を半分降りたが、


「マルガちゃんはそこで待ってて! ランプを見てて」


 ユールの声にハッと息を呑んだ。確かにそうだ。ふたつとない高価な代物を放置するわけにはいかない。

 マルガが見守る中、ユールとレンはあっという間にエントランスに着いた。ふたりが無事伯父を捕まえたのを見届けてマルガはほうと息をつく。交渉力のあるユールのことだ、こちらの言い分をうまく通してくれるだろう。


 穏やかな気持ちできびすを返した。

 だが次の瞬間マルガは眉を顰めた。テラスに誰かいる。

 状況把握に努めた時間はほんの数秒。視線の先の人物は両腕をゆっくりと上げていく。その手が掲げる鈍い金色の塊がきらりと木漏れ日を弾いて、マルガは悲鳴をあげた。

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