ミントティーは木漏れ日を浮かべて

1.客間にて

 その日帰宅したマルガにはある重要任務が課せられていた。


「私が客間に行くの? お父さんのお客さんよね」

「挨拶に来るようにと言付ことづかっております」

「……知ってる人?」


 なんだか嫌な予感がする。眉を顰めるマルガに使用人は予想通りの名を告げ、少女はひっそり溜息をつくことになった。取り立てて呼ばれる心当たりはないけれど、そもそも理由なんかなくたって気軽に人を呼びつける人ではある。


 重い足取りで向かった客間はマルガの気分とは裏腹に明るい陽射しが降り注いでいた。遠慮がちに入室すれば、飛んできたのは朗らかな声だった。


「やあおかえりマルガ。学校は楽しかった?」


 びくりと肩が跳ねた。

 応接椅子にふたりの人影があった。扉付近に立つマルガからでは逆光になっていて表情はよくわからない。けれどシルエットから片方は父だろう。つまり片手を上げて手招きしている方が本日の客人であり、マルガにとってはだ。

 とはいえこっちにおいでと呼ばれれば従うしかない。のろのろ歩み寄るマルガを眺めながら彼は鷹揚に頬杖をつき、口許に微笑を湛えた。


「お邪魔してるよ」

「……こんにちは伯父さん」

「表情が硬いなあ。疲れてる? しっかり食べて、しっかり寝ないと」


 にこやかに口角を持ち上げる伯父に曖昧な声を返し、マルガは腹の前で所在なげに両手指を組み合わせた。目線は自ずと下がっていく。




 マルガの父は四人兄弟の三番目、この伯父は父のすぐ上の兄にあたる。

 ドレーゲル家の現当主を務める伯父は良く言えば社交的、悪く言えば艶聞えんぶんが絶えず、マルガにとってはあまり良い印象がなかった。浮き名が流れるたび我が家にやってくる奥方さまが、幼心に空恐そらおそろしかったから。

 静かに怒りをぶちまける奥方さまを隠れて見ていればよかったマルガとは違い、両親は聞き役に宥め役、時にはふたりの仲介役さえ務めていた。両親を困らせ振りまわす伯父たちに不満を覚えると同時に、文句ひとつ言わずに付き合う父母の姿には密かな賞賛と尊敬の念を抱いたものだ。

 そんな傍迷惑はためいわくな交流も伯父夫婦の間に子どもが生まれるとさすがに落ち着き、ここ数年は安穏とした日々を送っていたのだけれど。


「レンは?」


 振ってきた声にはっと顔を上げる。父の穏やかな眼差しとぶつかった。


「……お兄ちゃんは、図書館に寄るからちょっと遅くなるって」

「珍しいな、テストが近いのか?」

「テスト勉強じゃないと思う。ユール先輩と一緒だったし……。多分、調べ物かも」

「聞いたぞマルガ。困ってるならおれが手伝ってやろうか」


 割って入ってきた伯父に目を瞬く。え、と父に振り向けばマルガの困惑が伝わったらしい。微苦笑とともに肩をすくめられた。


「今おまえたちの話をしてたんだ。ティエル湖について発表するんだって?」

「あ、うん。でも別に困っては……」


 マルガは一歩後ずさり、首を横に振った。




 の一件以来ユールは度々遊びに来るようになった。

 三人で集まれば話は自然と〝竜に会う方法について〟になる。竜の城へ行くには〝霧を打ち消すランプ〟が必要で、それは〝導きの花〟から作られるらしい。

 普通に考えて花からランプは作れない。であればランプのように発光するものと考えるのが妥当だろう。元から光る種類なのか、何らかの条件が揃って初めて効果が現れるものなのか。


 まずは花から絞ろうと議論していたところ「ひといき入れたら?」と母がお茶を持ってきた。卓上には植物図鑑や歴史書、果てはユールお手製の地図などが雑然と広げられ、お茶を置くスペースはなかった。


「あらこれ……マルガの好きな童話」


 置き場所を求めてうろうろと彷徨さまよっていた母の目は、テーブルの端に積まれた馴染みのあるタイトルに留まった。マルガは咄嗟にグループワークの課題が出ていると嘘をついた。


「ティエル湖のことを調べてるの。見所とか、おすすめスポットとか」

「ああ。そういえば『竜と導きの花』はティエル湖の話だったかしら」

「う、うん、そうなんだって……」

「伝説の竜がこんな身近にいるなんてびっくりだよね。僕、会えたら何を話そうかなあ」

「会う……?」


 のほほんと答えた兄に母の首がゆっくり傾いていく。


「あっあのっ! ティエル湖の東側の、白い花の花畑は知ってますか!? 夏の始め頃に満開で、なんて種類の花かなあって今話してて!」

「……そうそうそう! お母さん知ってる?」


 飛び切りの笑顔を浮かべたユールが援護射撃を繰り出し、マルガはこくこく頷いて彼を後押しした。

 竜と会って交渉したい。そんなことは到底打ち明けられるわけもなかった。母の後ろには父がいる。お伽噺とぎばなしや夢物語が好きな母と違い、いつも冷静沈着で論理的な父から色好いろよい答えが返ってくる可能性は限りなく低い。知られれば一巻の終わりだ。


 果たしてユールの策が功を奏したのか否か、母はにっこり顔を綻ばせ「白いお花ね。きっとお父さんが知っているから聞いておくわね」と言い置き出ていった。ユールと顔を見合わせほうっと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。




 父が口角を上げた。


「花畑は昔よく行ったよ。初夏の白い花なら釣鐘草だな」

「あ、釣鐘草……。そっか、釣鐘草なんだ」

「前に言わなかったか。おまえの好きな童話が関係してるんだよ」


 曖昧に頷く。あの日の母の約束はちゃんと守られていたらしい。それは知ってる、とは言えずにマルガは内心どきどきしながら微笑を浮かべた。父は勘が鋭い。母がどこまで話したかわからない以上、余計な発言は慎むのがよさそうだ。

 さりげなく窓の外を一瞥した。


 ――兄の帰宅はまだだろうか。


 考えた側から「まだに決まってる」ともうひとりの自分が答える。今頃きっとユールと一緒に花の図鑑を漁っている。だからこの場はマルガひとりで切り抜けなければならない。


「精霊が花でランプを作るくだりがあっただろう。花畑はそこからきてるんだ」

「ふぅん……」

「他に知りたいことは?」

「うん、多分、大丈夫かな。ありがとうお父さん。……じゃあ私は課題があるからこれで」


 努めて冷静なふりを装って小さく会釈した。ボロが出る前にさっさと退散するに限る。

 だが踵を返しかけたところでマルガは「待て待て、」と呼び止められた。


「だから伯父さんが力になるって言ってるじゃないか。ティエル湖なら竜伝説も調べるんだろう? 伯父さんはすごーく詳しいぞ。なんせうちの初代殿の話だ、何でも聞いてくれ」

「え?」


 眉根を寄せ、伯父に向き直る。


「水害の記録に、水竜に奉じた儀式の内容も残っていたはずだ。あとは……そうだ、ランプがある」


 頬杖をついた伯父の面持ちは相変わらず楽しげに綻んでいた。「ランプ、」とおうむ返しに呟くと、マルガを見据える藍色の双眸が心なしか光った気がした。


「さっき言ってた、童話に出てくるやつだよ。その昔竜退治に貢献したと伝わっているな。今度見に来るか? はなかなか豪華だぞ」


 伯父の言葉を理解するのに数秒を要した。マルガは目を見張り、両頬を手で押さえた。


「ええぇぇぇ、ランプ!? は、花は!?」

「花とは?」

「だって精霊が、白い花から作るんでしょう……!?」


 伯父が声を上げて笑った。

 その後、笑みの残る顔で告げられた真実にマルガはいよいよ絶句した。

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