アルマナイマ博物誌 おかえりなさい、を団子と共に

東洋 夏

おかえりなさい、を団子と共に

 降下中の往還機から眺める月はまん丸から少し欠け始めていて、アムは間違いなく約束に遅れたことを知る。

 次の次の満月までには帰ると約束をしていたのだ。

 海洋放浪民セムタム族いちばんの戦士であり、アムのセムタム社会における師匠でもあるトゥトゥ青年は遅刻にうるさい。

 そのうるささたるや、五分遅れただけで欠席扱いにする大学教授とどっこいどっこいだ。

 アムの身を案じてのこと、そして恐らくは(確信できるほど自惚うぬぼれてはいない)アムがいなくて寂しいと感じてのことだと知っているから、決して嫌な気分ではない。

 むしろ嬉しい。

 窓から浜に泊っている龍骨カヌーファッカの白い帆が見えないかと探したが、残念ながら視界には入らなかった。

 アムが遅れたから別の島に渡っているのかもしれない。

 それでもきっと空から降りてくる火球、彼らセムタムの言うところの<余所者の卵>には気づくことだろう。

 高度計のアラームが鳴った。

 アムは窓から顔を離し、往還機のコンソールに着陸用のコマンドを打ち込む。

 電子機器に拒絶反応を起こすアルマナイマ星の大気圏の内側では、汎銀河系文明の産物はガラクタと同列の扱いを求められる。

 つまりは手動で頑張れ、上手くやれ、駄目そうなら叩いてみろ、そういうこと。

 お陰さまでただの異種族言語学者でしかないというのに、アムは往還機の離着陸用コマンドを暗記するまで脳みその皺に叩き込まれる羽目になってしまったのだった。

 トゥトゥとの約束に遅れたのは、その「往還機離着陸に関わる運転免許」の更新に時間がかかったからである。

 まあ正直に言ってしまえば、実技試験で一回落ちて再試を受けさせられたからだ。

 アムは、汎銀河系の標準から見ると機械オンチの範疇に入るだろう。

 何回やってもアルマナイマ国際空港への着陸コマンド――「対地高度自動観測」「対地速度自動観測」「障害物検知」のたった三つ――を入力するだけで手に汗をかいてしまう。

 それでも往還機は羽のように柔らかく滑走路に舞い降りた。

 ふう、といつのまにか詰めていた息を吐いて人心地つき、機体が充分に冷えたことを確認してから宇宙港ビルとの間にかけ渡すラダーの発出を往還機に命じる。

 見えざるドアマンがハッチを開くと、アムは重いスーツを引きずりながら我が家に向かって歩き始めた。

 我が家。

 コンクリートの亡霊であるアルマナイマ国際宇宙港のたったひとりの住人として。



 翌朝、ベッドから半分ずり落ちた状態で目を覚ました。

 健康管理用のAIが救いようもない阿呆を測定するような調子で、

「お加減は如何でしょうか」

 と言ったので、アムは手を伸ばしてサイレントモードに切り替える。

 お口にチャックしたAIは賢くも冷たい水と精神安定剤を処方してきて、アムは前者を受けとって後者は突き返した。

 このお節介気味なプログラムは、アルマナイマ星の文明への拒絶を少しでも回避できるのではないかと期待されて、外部との通信を断っている。

 医療用として完全に組み立てられた既製品のインストール。

 そのためAIと銘打っているものの、残念ながら利用者に対する最適化はほとんど望めない。

 もうひとつ残念なことにオフにする事も出来なかった。

 たったひとりアルマナイマ星という野蛮で未開な星で暮らす汎銀河系権民の生命を守るため、汎銀河系知性体言語文化研究局は滞在型研究にゴーサインを出す条件として定期的なアムのバイタルサイン測定とそのレポート提出を義務付けている。

 加えて研究費用のすべてがその研究局の財布から出ているという事実を考慮すると、どれだけうざったくてもAIを完全に沈黙させることは出来ないのだった。

 アムは壁面モニターに表示される医療用AIからの警句(「正しい姿勢で睡眠を取らないと、寝不足は解消されません」)を横目に、窓のカーテンを全開にする。

 常夏の星の元気な太陽が、お帰り、と親しみを込めて笑いかけるように、部屋の中を明るく鋭い光で突き刺した。

 モニターの右下隅に渋々表示されているデータによれば、外の気温は三十二℃。

 絶好のセムタム日和ということである。



 寝落ちして皺くちゃになったスーツとパンプスを脱ぎ捨て、オートランドリーシステムにぶち込んだのち、この星に相応しいサンダルとセムタム族謹製の七分丈ズボンに履き替えて、国際宇宙港スタッフジャンパーの胸ポケットにはメモ帳を入れ、アムは意気揚々とコンクリートの塊(セムタム語では<余所者の巣>と表現される)から脱出した。

 早くも脳内では汎銀河系共通語が端っこに追いやられ、思考がセムタム語で回るようになっている。

お久しぶりねヴィーヴィーハンご機嫌いかがエンダ

 という調子。

 良い傾向だ。

 ヒト族においては、思考は言語に引きずられるという。

 汎銀河系共通語で考えれば汎銀河系の物差しが適用され、セムタム語で考えればセムタムの価値観が尺度になる。

 今日、今ここで相応しいのがどちらであるかは考えるまでもない。

 背の高いホピの木の影を縫うように歩いていても、出発してすぐに汗がどっと噴き出した。

 滑走路からは陽炎が立っていて、アムが乗ってきた小型往還機は昼間に現れて困惑している黒い幽霊のように見える。

 場違いな幽霊は今日の午後までのリース契約だから、間もなく自動で帰還の途につくだろう。

 離陸用のコマンド、ちゃんと入れておいたっけとアムは束の間不安になったが、昨夜の記憶を手繰って自分を安心させた。

 古代地球から綿々と伝わる笑い話にあるように、ヒト族は「鍵をかけただろうか?」式の不安からは逃げられないらしい。

 しかし、そのぐるぐると渦巻くような胸騒ぎが続いたのは、ホピの木の林の向こうに青い海が見えるまでだった。

 切通しの坂の上に立って、潮風を吸う。

 体の細胞すべてにその潮気が染み渡るまで。

 目を細めて見上げた空では、白い雲を縫って細長いファルが身をくねらせて飛んでいた。

 その鱗が緑色の輝きを青空にふりまいている。

 一声鳴いた轟きが、遥かな距離を渡ってアムの耳を揺さぶった。

(おかえり)

 と言われた気がして、アムはその姿が見えなくなるまでじっと眺めている。

(ただいま帰りました。セムタム族の成人であるアカトと証立てたところのアム・セパア、あるべき場所にちゃあんと帰って来ましたよ)

 軽い足取りで坂を下ると、果たして待ち人の姿が見えた。

「トゥトゥ、お久しぶりねヴィーヴィーハンご機嫌いかがエンダ

「遅え! ご機嫌は悪いぞ、くそったれバハンガドクめ」

 そう言いながらも、セムタム族の青年は笑っている。

 長い犬歯が唇の隙間からちらりと見えた。

「ごめんなさい。そうね、ええと、いうなれば成人の儀に落第して、その場でやり直しさせられた感じだったの」

「ふうん、ドクらしいな」

「失礼しちゃう」

 爪先まで褐色の大きな足を踏む真似をすると、セムタム族の偉丈夫は、けたけたと声を上げて笑った。

 その背で赤と黒のグラデーションに染まった長髪が揺れて、美しい炎のようだと思う。

 良く似合っている。

 彼を生み出した遺伝子(かなにか。セムタムの身体検査をした学者はひとりもいないのだ)は、その配列がどれだけ偉大な仕事をするかを知らなかっただろうけれど。

 セムタム族に赤髪も黒髪も珍しくないが、混ざっているというのは極めて稀だ。

「それでね、トゥトゥ、お願いがあるんだけど」

「メシが食いたい」

「正解。占い師に弟子入りでもしたの?」

「ドクの顔にでっかく書いてあるからな。馬鹿でも分かるぜ」

 今度は本当に足を踏んでやった。



 火を見てろ、とトゥトゥは言う。

 アムはその通りにした。

 具体的に描写すると、砂浜に熾した焚火を、転がしてきた丸太に座って見つめている。

 焚火の上には水をはった鍋がかかっていた。

 龍骨製の鍋である。

 何度も炙られて、底が鈍い銀色に変色していた。

 アムは見ている。

 見ているだけである。

 野外生活の達人たるトゥトゥの熾した火がそうそう消えるわけもない。

 セムタム族曰く、過不足を貴ぶなかれアルマナイマ

 すなわち働かない口に入れるメシは無い。

 彼らの社会は貨幣の概念に欠けていて、商取引は物々交換によって行われる。

 その対価としては「労働」もまた認められているが、認められている以上「メシを食わせる」に相当する労働が求められるのは当たり前のことであった。

 セムタム族にとってというのは、例え純粋な善意の発露であったとしても、ひどく据わりが悪いらしい。

 なので、トゥトゥは火の見張りという小さな仕事を創り出して、アムを働かせることにしたのだ。

 くつくつと沸き始めたのを伝えると、砂浜を漁っていたトゥトゥが戻ってくる。

 左手に貝の詰まった網袋、右手の銛にはカラフルな熱帯の魚が刺さっていた。

「捌こうか?」

 と言うと、鼻を鳴らして、

「見てろ」

 と返される。

 トゥトゥ・シェフはこだわり派であり、汎銀河系の不器用な指が介在することを好まない。

 調理器具はそこらにあった平らな石と龍の鱗を研いで作った小刀だけ。

 青と緑の筋が入ったおちょぼ口の魚を豪快にぶつ切りにし、ワタだけ避けて鍋に放り込む。

 ワタはあとで刻んでつくねて釣り餌にするのだと、問わず語りにトゥトゥは説明した。

 アムはすかさずそれをノートに取る。

 つくねるときの「つなぎ」はどうするのかとか、思いついた順に質問も書き留めておく。

 トゥトゥは説明している時に話の腰を折られるのが大嫌いだから、余程の重大事でない限りはまず気のすむまで話してもらうのが良いとアムは熟知していた。

 出会ったばかりのとき、質問を差し挟んでは怒られていたのを今でも覚えている。

 網袋に入ったとげとげした巻貝は事前に採って砂を抜いておいたらしく、これまたほいほいと鍋に投入した。

「んでな、今日の鍋の要はこれだ」

 トゥトゥは腰に下げていた革袋を振ってみせた。

 質感から見て、防水性の高い海龍の革の巾着らしい。

 もうひとつ腰から下げていた水筒を取ると、左手に水をわずかに注いだ。

 そこに海龍革の巾着の中身を少しだけあける。

 巾着に入っていたのは白っぽい粉だった。

「こいつは芋をつぶして干したやつ。本当は作るのにすごく手間がかかるんだぜ。刻んで干して潰してって。でも今日はもう出来上がったのがある」

「セムタムにもお料理番組みたいな文化があるのねえ」

「何て?」

「ううん、独り言。それで」

 トゥトゥは目をぱちくりさせてから続けた。

「粉に真水を少しだけ足して揉んでやるとな、ほら」

 やや灰色がかった白色の団子が手のひらに現れる。

 それをトゥトゥは優しく指で潰しながら楕円形に整えた。

 長い方の径は三センチ程度だろうか。

 丸め終わりに親指でちょんと「おへそ」をつけるのに愛嬌がある。

 熟練の和菓子職人(汎銀河系にもごくわずかに生き残っている)の手わざを見せてもらっているような気持ちで、アムはその繊細な団子づくりを観察した。

 トゥトゥという青年は筋肉達磨のような見た目と裏腹に、心も指先も細やかにできている。

 大きな手の中に生まれる団子は、つやつやして如何にも柔らかそうだ。

 それを作っては鍋に放り込み、丸めては放り込みし、十個くらい投入したところで、おもむろに火加減を見る。

 トゥトゥはひとりで何やら納得すると、煮えるまでの間に今度は木陰を探って香草を引きちぎってきた。

 確かにこのままだと全体的に白いので、食欲増進の彩りというところだろうか。

 と思ったら違っていた。

 鍋を火から下ろし、香草を揉んで散らす。

「<島々の恵み、島々を統べる主の叡智。ほとりを覗き込んで悩める時に、その惑いを払いたまえ>」

 島々の主と冠される龍神アラチョファルに捧げる祝詞を唱えているうちに、たちまち華やかで野趣あふれる緑の香りが広がった。

 食欲増進、とんでもない。

 これは敬虔な祈りの一環だ。

 アルマナイマ星の神様は生きているから、お祈りは切実で、実感がこもっている。

 それにしても初めて見る料理だった。

 鍋料理自体はいつも食しているが、団子を入れるのは例がない。

「どういう名前の鍋?」

「名前」

「そう。ナントカ鍋とか、そういう固有名詞……その鍋自体の名前が付いてるんじゃないの」

 うん、と唸ってトゥトゥは視線を彷徨わせ、それから一言。

「無いな」

「無いの」

団子コスト入りの鍋って言うだけだよ、俺たちは。いちいち名前つけんのか、余所者の世界じゃ」

「そうね。名物料理には名前が付くのよ」

「ふうん」

 トゥトゥは興味なさそうに言って、木の実をくりぬいた椀に鍋をよそってくれた。

「まあ強いて言えってんなら、風邪ひき鍋とか遭難鍋になるんじゃねえかな」

「それは……ちょっと」

「気分の悪くなる言葉だろ」

「そうね。いただきます」

 熱々のスープに息を吹きかけながらチビチビと飲む。

 魚と貝の出汁に加えて、鍋の龍骨に染み込んだうま味の出た透明なスープは、宇宙旅行帰りのアムの胃に優しかった。

 鍋ひとつひとつに、その鍋にしか出せない味があるという。

 ひとりのセムタムが生きてきた、その人生の軌跡がにじみ出る味。

 だからアムは鍋料理が好きだ。

 セムタム世界の根っこを教えてくれる。

 トゥトゥの生きてきた今までを溶かした鍋は、力強くも優しい味がする。

「こういうのを余所者の世界じゃおふくろの味って表現するのよ。私にとってはトゥトゥの味ね」

「げ、ドクのおふくろになれってか」

「言葉の綾だから。私もトゥトゥのお腹から生まれる気はないってば」

 そう言いつつ、アムの脳裏にはトゥトゥの育ての親である海龍の顔がちらついていた。

 絶世の美女セムタムに化けた彼女は、海に流された赤ちゃんトゥトゥを拾って、立派に家出するまで育て上げたのである。

 トゥトゥが親になった場合――とふと脳裏に言葉を浮かべて、今までそんなことを考えてもいなかったということに気が付いた。

 彼が親になる日が来るのだろうか。

 当然その相手は私ではない、とアムはしっかり心をガードした。

 異種族の遺伝子をセムタム族に混ぜ込むことは、言語学者として最も実践したくないフィールドワークである。

「ドクみたいにお転婆な子供なんて最悪だろうな。言うことは聞かねえし、目ぇ離すとどっか行っちまうし」

「どの口が言ってるのよ、トゥトゥ?」

「俺の口だな」

 指ですくって芋粉の白玉団子を頬張ると、つるりとした舌触りが心地よい。

 軽く歯を立てると、もっちりとした期待通りの弾力があって、微かな甘みとともに喉を通って行った。

「美味しいわ、これ。どうしていままで食べなかったんだろう」

 トゥトゥは指を、いち・に、と上げて、

「高価だから。非常食だから」

 と言う。

「非常食になるの?」

「少しの水で揉むだけで膨らんで食事になるだろ。もとが芋だから腹もちも良い。まあ真水も貴重なんだけどな。だけど、病気になったり遭難してどうしようもない時は役立つ」

「ああ、だから<風邪ひきの>とか言うわけね。分かった。高いって言うのは、さっき作るのに手間がかかるって教えてくれた部分?」

「そう。絶対に水気が残っちゃいけねえからさ、干すのに時間がかかるんだ。スコールが来たら走って片付けなきゃいけねえし、鳥やら何やらが来たら追っ払うだろ。休みなしで見張ってなきゃいけねえの」

「その手間のぶん高価になる」

「だけじゃない。時間がかかるってことは、島にずっといるってことだろ。つまり、分かるか?」

「ええと、小さい子供がいる家族とか、もう海に出られない人々の作るものってことかな」

「正解だ。だから俺たちみたいな健康なセムタムが貰うときは、そのぶんちゃんと高い値段を付けなきゃな。だいたいは遠洋でしか獲れない魚とか海獣の肉とかと換える」

 こういう話が始まると、アムの知識欲がうずいて止まらなくなる。

 もはや快感だった。

 トゥトゥとのやり取りの中ではセムタムの文化や価値観が芋づる式に展開される。

 アムがそういう知識を求めているのを知っているから、トゥトゥもわざわざ話してくれるのだ。

 本当の成人セムタム同士ならば、物々交換のルールなど説明する必要もない。

「例えばその皮袋に入ってる分でどれくらいの価値?」

「一角鮫の半身と交換」

「うっ」

 アムは唸った。

 一角鮫は群れを成す狂暴な捕食者であり、時に船上のセムタムをも攻撃する。

 未熟な若者が繁殖期に群れの近くに寄ってしまい、その角で突かれて命を失ったり怪我をしたりと言う話も枚挙にいとまがない。

 その鮫の半身と巾着ひとつの芋の粉が等価というのは、アムにはどうにも納得しかねた。

 そしてその貴重な粉で練った団子をパクパク食べたという事実についても承服しかねた。

「何だよその顔」

「普通に作ってもらったけど、この鍋ってお高いんじゃないの」

「だろうな」

「先に言ってよ」

「なんで?」

「もう少し有難がって食べるから」

 ははははは、とトゥトゥが顔じゅうを皺くちゃにして笑う。

「おっかしいのなあドクは!」

「だってね、そんな命懸けと同じ値段の団子なんて食べられないわよ!」

 そこでふとトゥトゥは真顔になった。

「おう、言っとくけどさあ、ドク。俺たちの料理はたいてい命懸けだからな」

 アムの背筋がピンと伸びる。

 そうだった。

 この人たちの暮らしは、毎日が命がけなのだった。

 動力と言えば帆だけのカヌーで捕食者だらけの海を渡るサバイバル生活と、AIと機械たちにおんぶにだっこされながら生きている汎銀河系の生活とは違う。

「ごめんなさい」

 アムは言った。

 何度もこういうやりとり、こういう気づきを繰り返すたびに胸の奥がきゅっと痛くなる。

「ああー、そうじゃねえなちくしょう。そうじゃなくって、俺は別にドクたちの暮らしを馬鹿にしてるわけじゃねえんだ。お互いに知らないことが海ほどもあるってことくらい、俺にだって分かってるんだよ」

 空になったアムの椀を半ば強引にもぎ取ると、トゥトゥは二杯目をよそった。

「ほれ食え」

「トゥトゥは」

「残りを食うから」

 どかりとあぐらを組んだトゥトゥは鍋を引き寄せると、それを椀の代わりにして食べ始める。

 団子をすくう指先に、目線を上げていけば手の甲にも手首から上にだって無数の傷あとがあって、汎銀河系文明に浸って帰ってきたばかりアムにとっては刺激が強かった。

「ドク」

「ん」

「手が止まってる。考え事は食ってから。まずは美味しく食え」

「……ほーんと、お母さんみたいね」

「ああ?」

「ありがとうってこと、トゥトゥ」

「そりゃ、どういたまして、ドク。ちっとも嬉しくないけどなババアの代わりなんて。もうちょっとましなたとえはねえのかよ」

「セムタムの言葉では?」

「師匠みたい、とか、海龍神アラコ様みたいなお節介、とかは言うけどな。まあどっちにせよまともな例えじゃねえか」

 ぶつぶつ言いながらトゥトゥは鍋を抱え上げ、残ったスープを豪快に飲み干す。

 アムもささやかに真似をして椀に口を付けた。

 お兄ちゃんの方が良かったかなあ、とか思いながら。

「ん、おおドク、団子食ったらいい顔になったじゃねえか」

「……そんな変な顔してた?」

「してたしてた。悪い風邪でも引いたのかと思ったんだぜ、俺は。あたりだったな」

「それで、団子鍋」

「ちゃんと薬草も入れてやっただろ。島の上にセムタムを癒す草が生えるのは、<島々の主アラチョ>様の恵みだから、あとでちゃんとドクもお祈りすること」

「そうね。ありがとう」

 そんなふたりの背後で、ドーン、と轟音が響いた。

 驚いて振り向くと、往還機が自動帰還プログラムに基づいて(といってもただのタイマーをセットしてあるというだけの話だが)宇宙への垂直離陸を開始したところだった。

 アムは感じる。

 炎の尾を引いて昇っていく金属光沢の塊は、なるほど、セムタムと同じ目線で見ていれば確かに化け物でしかないのだと。



 食べ終わってのんびりしていると、少しずつ浜風が強く吹き始めた。

 目を細めて遠くを眺めていたトゥトゥはやおら立ち上がり、

「行くか」

 と言う。

 風に長い髪が緩やかにたなびく様は、羽ばたこうと身構える鳥のようだった。

「もう行っちゃうの?」

 アムの言葉に、

「一緒に乗せてってやるよ。またこの芋の粉を仕入れるつもりだけど、どうせ見たいだろ?」

「もちろん」

 立ち上がったアムに、トゥトゥは飛び切りの悪戯を思いついたような顔で、

「さてドク、覚えてるだろうな? この島で、こういう風が吹いた時の龍骨カヌーファッカの出し方ってもんを」

「うわっ。こっちでも運転免許の更新が要るわけ?」

「そりゃあ要るだろ。ナントカってのが成人の儀と同じような話なら」

 アムは尻をはたいて珊瑚砂を落とし、時間稼ぎをした。

「待って、待ってよ。今は<渦緑の背高く空を向く>のこうなのよね。それは合ってるでしょ」

「合ってる」

 鍋を片手に引っ掛けて、さくさくと砂を踏んで歩き出したトゥトゥに遅れじとアムは小走りになる。

「ええと、風が浜に向かって吹いていて、それで雲も無くて、波が」

 爪先だって手をかざした。

 珊瑚礁の向こうで砕ける青の波。

「波がちょっと沖で立ちだしたから、だから、だから風は夕方に近づくにつれて……何だっけ。だめだめまだ言わないでよトゥトゥ。考える!」

「あと五歩くらいは待っててやるよ」

「立ち止まって」

「嫌だね。海は待ってくれねえぞ、ドーク」

 トゥトゥは風と同じリズムで喋った。

 セムタムはアルマナイマ星の呼吸と共に生きている。

 羨ましい限りだと思う。

 そうやってこの美しい海の世界に、息をするのと同じくらいするりと溶けて馴染めたら、さぞかし幸せなことだろう。

 今の自分ではまったく不協和音みたいなセッションしか出来ないけれど。

 セムタムの成人と認めてもらったくせに情けない限りだとアムは自分に腹を立てている。

 風は、さてどう吹くんだったか。

 白い珊瑚砂の浜に視線を落として悩んでいたアムの視界に、トゥトゥの影が入った。

 それがにゅっと伸びたと思ったら、腰を掴まれ軽々と持ち上げられる。

「いいや。続きは実践で聞く」

「鬼教官」

「どういう意味だその余所者語。絶対悪い意味だろ、教えろよドク」

「ナイショ」

「くそったれ。そんな楽しそうなこと内緒にするなって」

 じゃあ今度、言葉の意味が分かるように私が宇宙船の操縦を教えてあげるわよ――と喉まで出かかって飲み込んだ。

 それはアムが持ちかけることではない。

 トゥトゥが望んだときに、するべきことなのだ。

 今日はそうやって自分の心に栓をしておかないとと思うことが多い。

 それもこれも汎銀河系に一度帰ったからなのだろう。

「さてさて、合格するかどうか。楽しみにしてるからな」

 アムはカヌーの上に乗せられて、正解か不正解か賭けに出るような気持ちで帆を開く準備を始める。

「たまに意地悪よね、トゥトゥは」

「ふん、俺はオニキョーカンだぞ」

「ちょっと待ってよ。一回聞いただけで覚えたの、単語丸ごと!?」

 けけけ、と笑ったトゥトゥが真っ白なカヌーに肩を当てて、ぐいぐいと浜辺から押し出していく。

「嘘でしょ」

 じれったくなったかのように、アルマナイマ星の風がアムの手からロープをもぎ取っていく。

 慌てて手を伸ばすアムは空を見て、はたと気付いた。

 感じるしかない。

 そう言われた気がしたのだ。

 全身で感じてみろと。

 本当にセムタムと同じ目線で物事を見ようとするなら、頭でっかちなままでは意味がない。

 心を開いて、感じてみろ。

 そう世界のどこかから言われた気がした。

 カヌーがラグーンに滑り出る。

 驚くほど軽やかにトゥトゥがカヌーに飛び乗った。

 アムは風に舞うロープをようやく掴むと、思い切って、自分の心のままに帆を開く。

 ぱん、と軽やかな音が響き、続いてトゥトゥが口笛を吹いた。

 風を受けてゆっくりとカヌーが進み始める。

「まあまあ、まずまず。さあ見てな」

 そういって鬼教官はアムの背中をぴしゃりと叩き、ロープの角度を変えた。

 魔法のようにカヌーが加速する。

 アムは笑い出した。

「すごい」

「だろ」

 やがて唸る矢のように珊瑚礁を飛び越えたとき、アムは何度目の恋かもう数えようもないけれど、このアルマナイマという名の星に惚れ込んでいることを教えられる。

 海は果てしなく続いて、ふたりの行く先を青く蒼く彩っていた。



(了)

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