第45話

 そうして、半年ほどの時間が流れた。

 


 最終的に、この事件がどうなったのかをまとめるとすれば、ミシェルは当初の目的通り、自分の塔を手に入れることが出来た。めでたしめでたし、だ。

 何故ならそれは、新たに魔法使いの一家になったから。

 より正確に言うならば、それはノトーリアス家――つまり、私の本来の家名の再興という形で達せられた。

 真の意味で、ミシェルと私は家族になった。なってしまったのだ。


「ノノー? ノノはいるかしらー?」

 魔力炉の隙間に身体をねじ込み、必死にバルブ調整に勤しんでいた私に、聞き知った澄んだ声が届いた。

「ミシェル! もう戻ったの? 2週間はかかるんじゃなかったのかしら?」

 私が魔力炉の隙間から抜け出すと、そこには天使――ではなく、私の義妹であるミシェルがいた。そう、義妹。義妹なのだ。

「だって馬車が遅いんですもの。オーベルと一緒に走ったほうがずっと早いのよ? 結局、道程はぜーんぶ走ったの」

 道程を全部走り抜けたとは、それは…なんというか、オーベルの奴に同情を禁じえないな…。そもそも、ミシェルの全速力は私よりも早い。オーベルはミシェルについていくので一杯一杯だったはずだ。

「でも、とても面白かったわ。ノノ、知ってる? 海って本当にしょっぱいのよ!」

「あー、はいはい。分かったから。土産話は夕食のときに聞くわ」

「えぇ? もしかしてノノ、今は少し忙しいかしら?」

「それを聞くの?」

 ここノトーリアス魔法塔の下層で、一人孤独に魔力炉の調整をしている私は埃まみれの姿をミシェルに見せつける。

「実質、この塔の管理は私一人でやってるんだけど」

「…そういえば、そうだったわ!」

 そう、新たなる魔法使いの血族、ノトーリアス家の塔は、この私が全てを管理しているのだ。魔力炉の整備。浄水器の調整。汲み上げ機の管理。羽鎧虫達の世話。植物園での栽培―――…全部、全部だ!

 何故なら、この塔にはミシェルと私、そしてオーベルしか住んでいないのだから!

「だから人を雇おうって言ったのよ! 少なくとも、魔力炉の管理にグリンジャを引っ張ってくるべきだったわ!」

「でも、炉技師のお爺様も今年で引退と仰ってたわ。グリンジャは跡を継ぐと決まっていたそうよ?」

「そんなの無理やりにでも連れてきてしまえばこっちのもんよ。そもそもお隣なんだから、グリンジャだって通えるじゃない」

「えー? うーん…でもなぁ…」

 ミシェルは浮かない顔だ。私が人員補充の話をすると、ミシェルは困ったような顔をして、すぐにはぐらかしてくる。

「ま、夕飯を食べた後に考えましょう」

「そういってもう何度目かしら、これ」

「えへへ」

 ミシェルはバツ悪そうに笑い、そそくさと私から距離を取る。

「そ、それじゃあ私は、少し虫を採ってくるわ」

「ミシェル、ちょっと、待ちなさいよ」

「ノノ~! 頑張ってねぇ~!」

「………」

 ミシェルは風のように走って去っていった。早い。追いつけない。

「…はぁ」

 私はため息を吐いて、今日も幸せを逃しながら、作業に戻った。

 半年前、オーベルと初めて出会った日。

 あの時交換した炉は、今も元気に稼働している。

 そう、ここは、あの廃塔だ。

 レイムス家が抹消され、真に廃塔となったこの塔が、オーベルとミシェルの夫婦に新たに与えられた塔となったのだ。

 まぁ、だから、私にとっては勝手知ったる場所ではある。

 炉から伸びる魔力の路―――無理やり貼り付けた危険極まりない突貫工事の痕跡から、私は視線を外しつつ、私は作業を終えた魔力炉から離れた。

 下層から中層へ、長い長い階段を登っていく。

 ミシェル達が戻ってきたということは、予定を繰り上げて夕食の準備をしなくてはなるまい。

 二人の新婚旅行…と、いえるかどうかはわからないけど、ミシェルの思いつきから発案された”海までの旅”は、予想以上の強行路程で終わったようで、私としては大いに予定が狂ってしまったところではあるのだが。

 まぁ、備蓄食料のありあわせでなんとかなるだろう。

 私は献立を考えながら、階段を登っていく。

「ノノ」

 中層へたどり着いた私に、呑気な声がかけられる。オーベルのやつだ。

「忙しい所すまない、ミシェルを知らないか?」

「”門”を潜って草原よ。夕食まで虫を採るみたいだわ」

「あ、そうか…」

 私はオーベルの背後に見える魔法使いの部屋の奥で魔力の光を放つ忌まわしき”門”に、恨めしげな視線を送った。


 そう、この”門”は、壊されることなく健在なのである。

 この災禍の門は、ミシェルが草原の国ではなく濡闇ノ国で暮らすことを認める条件の一つとして、破壊を免れたのだ。これには、私もヴァスガロン様も思わず目を見合わせてしまった。

 あのミシェルが、自分の意見を曲げるなんて、思わなかったから。

「よく考えれば、”門”があるのなら――いつでも草原の国とここを行き来できるのなら、塔に住んだって問題ないはずよね」

 と、ミシェルが私から視線を反らしながら言ったのを、生涯忘れることはないだろう。



「ノノ、何か手伝おうか?」

「はぁ? アンタはこの塔の主様でしょ? そんな雑用は下々にやらせて、アンタは顔役としてもっとパリっとしてなさい。絵の仕事だってあるんでしょ?」

「いや、まぁ、そうなんだけど…」

「…? 何よ」

 端切れが悪いな。

「”姉さん”の事を、たまには気遣いたいんだよ」

 私は黙ってオーベルの足を蹴った。

 かなり本気で蹴ったので、オーベルの足には間違いなくヒビが入っただろう。オーベルは思わぬ痛みに堪らず蹲る。

「姉と呼ぶな!」

 気色悪い! っていうか、ほとんど他人だろうに! お前には本当の兄と妹がいるだろうが! ミシェルは私のことをお義姉様と呼んでもいいが、お前には絶対に姉と呼ぶことを許さない!

「ふん!」

「まったく…ノノは容赦がないな…」

 私がそっぽを向くと同時に、オーベルは何事もなく立ち上がった。骨のヒビくらい瞬時に治ってしまうのだ。なにせ私と同等の再生力があるのである。

「俺には、ノノに返しきれない恩があるんだ。少しでも、こういうところで返させてくれないか?」

「本当に姉弟だというのなら、そんなものは気にしないはずだわ」

 それに私は、返礼は気にしないと、何度も言ったはずだ。本当に気にしてるのなら、オーベルを匿うときに使った配給券の分、全部倍返しで請求しているところなのだから。

 ………。あれ? そうだとすると、私はオーベルを弟だと認めてるってことになるじゃないか!?

 ふと気づき、罰悪い顔をしていると、オーベルが笑いを堪えてるのが視界に入った。腹がたったので、オーベルを再び蹴ろうとするのだが、今度はあっさり避けられた。

「もうっ!」

 くそ、日に日に手強くなっていく…。


 正直な所、これで良かったのかどうか、私にはよくわからない。

 私が状況の全てを理解し、咀嚼し、納得する前に、ヴァスガロン様は至極あっさりと、あの事件の顛末をまとめ上げ、草原の国と折衝してしまった。

 とどのつまり、オーベルが濡闇ノ国へ拐われてきたのを助け、草原の国に蔓延る悪の存在に気づいた私達は、反乱を扇動する邪悪な魔人を討つため、オーベルと共に遥々やってきたのだ、等など。

 よくもまぁ、口が回るものだと、私は感心してヴァスガロン様と兄王のやり取りを聞いていた。

 過去対立していた濡闇ノ国の魔人といえど、救国の士を無碍にするわけにも行かず、草原の国は我々を歓待し、それにかこつけてミシェルとの婚姻の交渉も繰り広げ(これは揉めに揉めた)、なんとかオーベルは婿養子という形で、濡闇ノ国へと連れてきた。

 このオーベルの婚約は、草原の国と濡闇ノ国を繋ぐ新たな架け橋として濡闇ノ国では大いに歓迎され、濡闇ノ国の王様とも謁見した。

 相変わらずデカすぎてどうしようもない王様は、純粋にオーベルとミシェルのことを祝福してくれた。

 大揉めに揉めたオーベルと、ダグニムの関係も半年経った今では良好だ。

 先日はこいつの妹がこちらに遊びに来た。ミシェルは「義妹よ、義妹よ!」と鼻息を荒くしており、そりゃ大層可愛がっていたのだけれど、義妹としては不服な様子だった。もう二度と来ないかも知れない。まぁ、それはそれで静かになっていいけれど。

 

 と、そんな感じで、世間体としても、当事者の感情としても、今の状態が最も良い状態のはずだ。誰も何の文句も言わない。私達は自由だ。”門”を潜って国の外へも遊びに行ける。

 けれど――…

 半年経って、ライフォテール魔法塔で暮らしていた日々を思い返せば、あの時もまた”輝かしい日々”だったと感じる。

 ミシェルにとってはそうではないようだけれど、私には満更でもない日々だった。

 190年変化の無かった生活が、一つの運命に出会ったせいで、たった半年でガラリと変わり、何とか有るべき姿に落ち着いた。

 もうあの頃には戻れない。

 私は泥の中から新しい宝石を見つけて、それを愛でて暮らしている。

 だけど、隣に聳えるあの魔法塔での日々もまた、輝かしい宝石だった。

 だから、これで良かったのか、あの日々を想うと、今でも少し自信がない。

 全ては容赦なく、残酷に変わってしまったから。


「それじゃ、私は夕食の支度をしてくるから」

 私はオーベルとの会話を切り上げ、足早に立ち去ろうとした。何度も言うが、私は忙しいのだ。

「ああ、また後で―――あっ、最後に一つだけ、いいか?」

 私は足を止めた。

「何よ? 私は忙しいの。何かあるなら手短にして頂戴」

「ノア・ノトーリアス、それが君の本当の名前なのか?」

 私は、動きを止めた。

 懐かしい誰かに、名前を呼ばれた気がして。

 全ては残酷に変わってしまった。だけど、何もかもが変わる前、最初に幸福だった時の感情が、どこか遠い場所から溢れてきそうだった。

 ああ、くそ。

 やっぱりお前はそうやって私の心を乱すんだな。

「…――どこでその名前を知ったのかは知らないけれど、オーベル。気をつけて。次にその名を呼んだなら、義弟であっても許さない」

 私は赤い瞳でオーベルを睨んだ。


「私の名前はノノ。濡闇ノ国の魔法ノ塔に住んでいる――ただの裁縫師見習いよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

濡闇ノ国の魔法ノ塔 ささがせ @sasagase

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ