なぜ短編を書くのか

最後に長編を書いてからすでに3年が過ぎてしまい、「そろそろ長編新作を書かねば」と日々焦っています。


将来の展望が危ういのに、なぜ短編ばかり書いているのか。身も蓋もない話をすれば、締切のある仕事を優先しているせいです。商業短編には締切がありますが、書き下ろし長編にはありません。したがって、短編と長編の案件が並んでいるときは、まず短編をこなします。それが終わる頃には次の短編の依頼が始まります。それが終わる頃には頼まれてもいない新作のネタを思いついてしまうので、書いてどこかの出版社に持ち込みます。これを延々と繰り返していると、必然的に長編が書けなくなります。


つまり、飽きっぽくて長期計画が立てられないので長編が書けない。情けないですがこれが最大の理由です。もともとアイデアを出す速度に比べて執筆が遅すぎるので、悠長に長編を書いていては消化不良になってしまうのです。


よりポジティブな理由もあります。単純に、短編のほうが自由で楽しいからです。


長編であれば、登場人物があって、ストーリーがあって、起承転結があって、主人公の人間的成長があって、ロマンスとちょっとしたお笑いがあって……と、ジャンルごとに決まったフォーマットに沿わないといけません。あえて型を破る人はいますが、破りすぎると読者が途中でついてこれなくなってしまいます。しかし、短編であれば読者が「ついていけない」と思う前に話が終わるので、やっていい無茶の度合いが高くなります。


たとえば「説明」だけの小説はダメだ「描写」をしろ、設定は登場人物の会話で自然に説明しろ、といったことがどんな創作論でも言われますが、SF短編ではそもそも登場人物やストーリーがまるっきり存在せず、淡々と設定を書くだけの小説もあります。これは「SFだから」ではなく「短編だから」許されることでしょう。いくらSFファンでもそんなものを1冊は読めません。


物語は自由であると言いつつも、商業小説は商業である以上「読者に認められ、買われなければならない」という制約がつきます。そういう制約が、短編のほうが少しゆるいので、少しだけ自由になれます。そうしたわずかな余白の空間で手足をじたばたさせていると、ぼくは自分が生きていることを明確に実感できるのです。


(おわり)

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商業で短編小説を書くことについて 柞刈湯葉 @yubais

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