どんな展望があるのか

そんなふうに商業短編ばかり書いているぼくにどんな未来があるのか。実際のところ「あまりないな」と思っています。


まず現代の商業小説は、どうしても映像メディアに依存しています。ライトノベル業界に片足を突っ込んだときは、アニメ化が最大の(そしてほとんど唯一の)ゴールとして設定されていることがずいぶん印象的でした。短編小説ではそういう方向の展開が難しく、小説というメディア一本で細々とやっていくことになります。


短編小説を原作とした映画は世の中にわりとありますが、短編では映画の尺に足りないので、アイデアだけ拝借してストーリーは抜本的に書き換えることが多いです。筒井康隆「時をかける少女」は細田守のアニメ映画が有名ですが、「別に筒井康隆に著作権料払わなくていいのでは?」というくらい違いますし、少なくとも長編シリーズ小説で通常行われるようなメディアミックスとはだいぶ違うたぐいのものです。


また、小説に限らず大抵の商品は「惰性で買う人」によって支えられるわけですが、シリーズ小説と違って短編はそういう惰性が発生しづらい構造になっています。作家自身をブランドとして確立すればいいのですが、本当の意味でそれに成功したのは日本では星新一くらいでしょう。このため、あらゆる短編作家は「星新一のような〜」と言われる宿命を背負っています。あまりに言われるのでだんだん星新一が嫌いになってきます。


ぼく個人はどうなのかと言えば、収入面でいえば「現状のペースで書き続ければなんとかなるな」と思っています。ただ、この「現状のペース」の維持はおそらく困難です。というのは、ぼくがいくら短編を書いても、それを載せる雑誌等の存続が危ういからです。


漫画業界はこのコロナ禍の巣ごもり需要でアプリの売上を劇的に伸ばし、うまいことデジタルに引越した感がありますが、文芸はそのあたりにだいぶ苦労しているようです。ぼくが短編を載せる媒体はだいたい「なぜ電子版が出ないのか」と言われるのですが、このあたりも電子書籍を想定しない時代に構築された契約関係や業界慣習が足枷になっています。


そういうわけで、ぼくはあまり「商業短編作家」としての未来を肯定的に捉えてはいません。「長編だって映像化されて稼げるのは一握りだよ」と反論する方もあるでしょうが、一握りいることに大きな意味があります。スポーツ選手も YouTuber も本当に稼げるのは一握りです。

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