手品師の帽子
snowdrop
アブニールを待ちわびて
「天才奇術師、ジャン・ピエール・ヤキニクスキーの登場です」
フジ支配人の紹介とともに、観客から拍手がわき上がる。
舞台の袖から現れたのは、黄色いタキシードに身を包み、黒いシルクハットをかぶる、顔の大きさと同じくらいの赤い蝶ネクタイを首もとにつけたショートボブの少女だ。
『イッツショータイム』の店に所属する中では、最年少のマジシャンである。
彼女が指を鳴らせば、懐に仕込んでいたハトが一斉に逃げ出し、捕まえようと腕を振りあげれば、袖からカードがしこたまこぼれ落ちる。あげく、くるりとまわしたシルクハットからは、なにも出てこなかった。
観客からは拍手のかわりに、「へたくそ」「金返せ」のヤジが飛ぶ。
彼女は逃げるように舞台裏へ下がり、べつのマジシャンが現れてつぎのショーがはじまった。
騒いでいた観客たちは静まり、やがて感嘆の声に変わっていく……。
「せめて、帽子からウサギの一匹でも出してもらわないと困るよ」
閉店してから、ジャン・ピエール・ヤキニクスキーことシキシマアンズは、支配人室に呼ばれた。
精悍な顔に、あごヒゲを少しはやすフジ支配人は二十六歳。十二歳のとき、世界マジック大会で優勝をし、いまなお活躍を続けている。彼の経営する『イッツショータイム』は手品グッズの販売、定期的に行われるショーをはじめ、小学校や老人ホームなどの出張も行いながら、マジシャンを夢見る若手の育成にも力を入れている。
アンズもそんな新人の一人。
といっても、彼女はフジ支配人目当てで参加しているだけ。
客の一人として来店したとき、年上の魅力というか魔力に、彼女のハートは鷲づかみされてしまったのだ。
バイトをはじめた理由――フジ支配人を間近で見つめていたい、ただそれだけだった。手品なんてまったく興味がなかった。
「明日の舞台も今日みたいだったら、やめてもらうから」
「や、やめるなんて……それって、不当解雇じゃないですか」
一目惚れ相手から、突然の解雇勧告。
フラれるのと同じ衝撃を、彼女はおぼえた。
泣きそうな顔ですがりつく彼女に、にこやかな笑みを浮かべながらフジ支配人はこたえた。
「シキシマさんが来てから一カ月はたつけど、ちっとも上達してない。基礎はできてるんだから、そこから先は自分で努力しないとうまくならないよ。明日のショー、期待してるからね」
「は、はい! がんばりまっす」
フジ支配人に期待していると言われたら、がんばるっきゃないっ。
アンズは自分に言い聞かせ、どんなことをしてでも帽子からウサギを出してみせると息巻きながら、部屋を飛び出していった。
とにかくウサギを調達しなくてはいけなかった。
バイトが首になったら、イケメン支配人の傍にいられなくなるのだ。
さっそく、ペットショップに出かけた彼女だったが、あいにくウサギは置いてなかった。他の店ものぞいてみるも、帽子に入れるには大きすぎたり手持ちのお金が足らなかったりで、購入することができない。
こうなれば、最後の手段。
――森へ行こう!
ウサギを狩ることを決意したアンズの行動は早かった。
電車に乗り継ぎ、ひとがあまり入らないような山にたどり着くと、釣り針に餌のニンジンをつけて茂みに放り込んだ。
魚釣りみたいに竿を握って食いつくのを静かに待つこと一時間。
竿に反応がきた。
ぎゅっと握って、リールを巻きながら手元に竿を引く。
逃がしてなるものかーっ。
「……えっ?」
釣り上げたのは、ウサギだった。
いやいや、ウサギにはちがいないのだろうけども、なにかおかしい。
ニンジンを口にくわえているのは、白衣を着たぬいぐるみみたいなウサギだった。
「あなたウサギ?」
「失礼な! あんな耳の長い生き物といっしょにするな!」
「あんたも充分耳が長いんですけど……ていうか、ぬいぐるみがしゃべった!」
アンズはあわてて竿を放り投げる。
珍妙なぬいぐるみウサギは、なにごともなかったような顔をしながらニンジンを食べ続けた。
「久しぶりのごちそうであった。礼をいうナリ。でもどうせなら、飲茶や点心、マンゴーかき氷が食べたかったナリよ」
「いったい、あんたはなんなの?」
「我が名はアブニール・さくや(略名)ナリ。とおくはるかアパラチア星からやってきた、宇宙が生んだ世紀の超発明家である。そういうオマエは何者あるか?」
「わたしは、天才マジシャン、ジャン・ピエール・ヤキニクスキーこと、シキシマアンズ、十六歳。『イッツショータイム』で超売れっ子マジシャン……になる予定」
嘘はついてない。と言い聞かせつつも、イケメン支配人が好きだからバイトでもぐり込んだことはふせて、「ウサギじゃないなら逃がしてあげる」と作り笑いを浮かべた。
(宇宙人? いや、宇宙生物……なの?)
アンズは首をかしげつつ、触ろうと手を近づけてみる。
でもひょっとしたら、がぶっと噛みつくかも、という不安が手を引っ込めさせた。
「ところで、名前の後の(略名)ってなんなの?」
「我が名前は四千もあるナリ。ぜんぶ言い終えるまで数日はかかってしまうナリ。だから、名前で呼ぶときは(略名)と忘れないでね」
「……だったら、アブニールでいいじゃん」
あきれつつ、ため息をこぼした。
こんなのにかまっている暇はない。
新しいニンジンを釣り糸につけはじめたアンズにアブニールは、なぜウサギを捕まえているのか、たずねてくる。
「今夜の晩ごはん?」
「ちがうってば。マジックに使うの」
「マジック?」
「帽子の中から、ウサギを出すの」
「へえ。こんなふうに?」
と、アブニールがいったかと思えば、長い耳を揺さぶり、にょお~っとなにかが出てくる。
なんと、出てきたのは黒い毛に覆われている熊。
目の前でなにが起きているのかわからないアンズは、思わずその場にひれ伏した。
「なにやってるの、アズちん」
アブニールの声に、「しぃーっ、死んだふりしてるんだから」と、うっすら目を開け口元に人差し指を持っていく。
「森で熊と遭遇したときは、木の陰に隠れて、じっと動かないようにしないとダメだよ。相手の握力は推定一五〇キログラム。リンゴなんて簡単につぶせる握力をもっているナリ。死んだふりなんてしたってダメだって。もちろん、木に登って逃げるのもダメ。熊は木登り得意だから。あと、頭と首を守ることも忘れずに。でないと、凶暴な爪の一撃で襲われちゃうナリ」
そうなんだと納得しながら顔をあげると、熊がアンズの顔をのぞきこんでいた。
――っ!
おもわず声をあげそうになるも、暴れるかもと思い必死に歯を食いしばる。
「怖がらなくても大丈夫だよ、アズちん。うちの友だちだから」
「と、友だち? 熊が?」
「この子は生後五歳くらい。人間でいうと大人。体長は百三十センチ。体重は百キロ。ヒマラヤグマ属ツキノワグマのレオナルド・デカメロンパン。あだ名はクマだよ」
熊のあだ名にクマって、そのまんまなんですけど……と思いつつも愛想笑いを浮かべ、「ど、どうもはじめまして。シキシマアンズです」とクマに自己紹介した。
「これは御丁寧に、ありがとうクマ。ぼくはアブニール・さくや(略名)に、餌不足で人里に迷い込んで帰れなくなったところを助けてもらったクマ。もう少しで猟銃で撃ち殺されるところだったクマ」
「クマが、しゃべってる!」
アンズはおどろいた。
でも、ぬいぐるみウサギのアブニールがしゃべったときのおどろきにくらべ、衝撃はいまいちだった。
「ていうか、いま、耳から出てきたよね。ありえないって! どんな耳になってるの?」
両手でアブニールを持ち上げ、耳をのぞいてみる。
どうみても、ぬいぐるみのウサギ耳。
指を入れようとすると、ピクピクっと左右に動いた。
「知りたい? アズちん」
「うん」
アブニールは得意気にいった。
「クマは雑食。普段は果物やミツバチの巣を食べているけど、牛肉やお魚も食べるんだよ。大好物は甘柿ナリ」
「クマの好物なんてきいてない!」
「わかってるわかってる」
てひひひ、とアブニールは笑った。
「クマに、どんな狭いところでも入って身を隠すことができる秘儀を授けたナリ」
「秘儀?」
「そうナリ。これで人間がいっぱいいるところに迷い込んで猟師に撃ち殺されそうになったとしても、すぐに隠れることができるのじゃー。現在、この秘儀は銀河連邦特許庁に申請中ナリよ」
アンズはクマをみた。
目の前にあぐらをかくクマは、体格のいい子供くらいの大きさはある。
対してアブニールは、両腕でぎゅっと抱きかかえることができるくらい、ちいさくて可愛い。
どう見くらべても、体の大きなクマがアブニールの耳の中に入るわけがなかった。
「会得するにはコツがいるナリ。体がヨーグルトみたいになって、骨がハチミツみたいにな~るとイメージするナリ」
「そんなんでいいの?」
「疑うならやってみせよう。帽子借りるね」
アブニールはアンズがかぶっているシルクハットを手に取るや、クマの目の前に、かぶる方を上に向けて置いた。
のぞきこむクマ。
吸い寄せられるように、頭からシルクハットの中へと入っていった。
「えっ、まじ?」
あわててアンズはのぞき込む。
「まあ、こんな感じかな」
思わず引いてしまったけど、たしかに中に入っている。帽子をウサギから出すよりも、クマを出した方がインパクトがあるかもしれない。アンズはクマに頼み込んで、マジックショーに出てもらうようお願いする。
「ちょっと待ったーっ!」
間に割って入ってきたのはアブニール。
「そういうことなら、ジャーマネのアブニール・さくや(略名)に相談してもらわないと困るナリ。とりあえず、儲けの九割はもらわないと」
「なにそれ! 手品するのはわたしなんだよ」
「でも、シルクハットにもぐり込むのはクマ。どうしても、クマの協力がほしいんだろ。だったら、素直に払うものを払ってもらわないと」
ちっちっち~と舌打ちするアブニール。
どこから取りだしたのか黒いサングラスをかけ、電卓を叩きだす。
「だからって、そんなの無理だって! せめてハチミツで我慢してくれないかな」
アブニールを無視してクマに直接お願いすると、「べつにいいクマ」とすんなりOKをもらえた。
ラッキー、ありがとー。
「わたしが指を鳴らしたら、シルクハットから飛び出てね」
クマの入った帽子をそのまま頭にかぶってみた。クマが入っているとは思えないくらい軽い。一体どんな仕組みになっているのだろう。
「ちっ、クマ公め。まったくもって欲がないナリよ~」
山を下りはじめたアンズのうしろを、アブニールは文句をいいながらついってくる。
「なんで、アブニールまでくるの?」問いかけると、「クマは友だちだからね」とつまんなさそうにつぶやいた。
拗ねてるのかもしれない。
アンズはやさしくアブニールを抱きかかえ、いっしょに山を下りた。
翌日。
遅刻すれすれで登校したアンズは、睡魔と闘いながら授業を受けてきた。
とはいっても、ほとんどおぼえておらず、がんばって黒板の文字を書き写したノートも解読不能な呪文と化していた。「今度のテストに出すから」と教師の声をきいた気もするけどおぼえていない。
そんなことより、彼女には他に大切なことがある。
今日のマジックショーでウサギ、じゃなくてクマを出すのだ。
きっと観客のどよめき声に、フジ支配人も見直してくれるにちがいない。
やさしい声で、「よくやったぞ、アンズ。ぼくは君はできる子だと前々から思っていたんだ」と両腕でぎゅっと抱きしめてくれるはず。頭までなでられて、「実は、はじめてあったときから君のことが好きだったんだ」なんて告白されちゃったりしたら、どうしよう。
顔がにやけて、火照ってくる。それを隠そうと、両手で両手を顔に当てるが、無意識に体をくねらせてしまう。
さいわい、放課後の教室には彼女しかおらず、奇行をみられることはなかった。
店に行く前に忘れ物はないか、確かめておこう。
アンズは手提げカバンを開けてみた。
「ん?」
中に入っていたのは、眠りこけているアブニールだった。
「ちょっと、どういうつもり? わたしの荷物はどこやったのよ」
カバンから持ち上げると、おもむろに顔を左右に引っぱってみる。
おもしろいように顔が伸びるのだ。持ちのような肌触りに、ゴムのような弾力のある伸縮性。まったくもって、変な生き物。
「んー、もう食べられないナリ~」
「寝ぼけてんじゃないっ!」
思い切り引っぱる手を離すや、ボールのように勢いよく飛んで、壁にぶつかり弾みをくり返し、アンズの顔面に直撃。
その場にひっくり返ってしまった。
「まったく、人の顔をなんだと思ってるナリか」
「それはこっちのセリフだって……」
あたた……と、アンズは鼻を押さえながら体を起こし、手のひらをみる。
鼻血は出ていないみたい。
「寝るのに狭かったから、耳の中に入れただけナリ」
あくびをするアブニールの耳がぴくっと動く。
途端、タキシードや蝶ネクタイが飛び出してきた。
「ねぇ、わたしのシルクハットは?」
アンズの問いかけに「これだけしか入ってなかったナリ」とこたえながら、伸びきった顔をまるめながらもどしていく。
「ふざけてないで返して。あれがないと、ステージに立てないじゃないの」
「ふざけてないナリ。カバンの中にはこれだけしか入ってなかったナリよ」
ほんとうだろうか。
疑いの目をアブニールにむけながら、「家に忘れたのかな」とケータイを制服のポケットから取りだした。
いや、まてよ。
ケータイを折りたたみ、昨夜のことを思い出してみる。
部屋に入って着がえたとき、シルクハットを脱いだ記憶がない。改札を出て夜道を歩いていたとき、シルクハットをかぶっていただろうか。電車を降りるとき、あるいは電車に乗るとき。山を下りるときはかぶっていたのに……。
「あっ!」
「どうした、アズちん。鼻血が出た?」
「ちがうって。電車の中だって」
アンズはカバンにタキシードを押し込み、あわてて教室を飛び出した。
「どうしたの、アズちん」
走る彼女のうしろをアブニールは、コウモリみたいな羽根を広げ、飛んで追いかけてくる。
どうして空が飛べるのかなんて、おどろいている暇がなかった。
「電車の中でシルクハットを脱いだおぼえはあるけど、かぶって降りた記憶がないの!」
「電車の中を探しに行く?」
「ひとまず駅に行って聞いてみる」
叫びながら廊下を走り、急いで校舎を出た。
次の瞬間、アブニールはアンズの背中にしがみつくと、一気に空へと飛び上がった。
「駅まで連れて行くナリ~」
「すみません。シルクハットの忘れ物が届いていませんか?」
昨夜下車した駅にたどり着いたアンズとアブニールは、改札口付近にいた駅員に話しかけた。
駅員の話では、電車内の忘れ物は『お忘れ物総合取扱所』に集められるという。三駅先に取扱所があるため、自分で探しに行ってくださいといわれてた。
駅の時計では、マジックショーが開始するまで、あと三十分。
迷っている時間はなかった。
ふたたび、アブニールと共に空を飛ぶアンズ。時間までに入店できないかもしれないと考え、フジ支配人にメールを打つことにした。
『少し遅れるかもしれません。でも、必ずステージに出ます!』
返事はすぐに来た。
『わかりました。順番を変えます。でも十五分しか待てません。なるべく遅れないよう、来てください』
ハートの絵文字がならんでいたら最高なのに。
呟きつつ、彼から届いたメールを大事に保存した。
目的の駅構内に入り、通行人の頭上をかすめて飛ぶ。何度かぶつかりそうになるたびに、「すみませーん」と謝りながら駅員を探した。
改札口にいた駅員に場所を教えてもらい、お忘れ物総合取扱所の扉を開けた。
「すみません。昨日、シルクハットの忘れ物は届いていませんか?」
中に入るや、アンズはいった。
パソコンを前に座るおじさんは、いきなり飛び込んできた彼女におどろくも、「昨日のいつごろ、どの電車で忘れたのかね?」と落ち着いた口調でたずねる。
「中央線の、夜の八時ごろだったと」
「昨夜の忘れ物……かね」
担当のおじさんはキーボードを人差し指一本で叩く。
モニターには、集められた忘れ物が、届けられた日にちと沿線ごとにまとめられ、入力されていた。
「昨日の忘れ物に、シルクハットはないね」
「まじですか!」
「だれかが、持っていってしまったのかもしれないねえ」
最悪だ。
どうしたらいいんだろう……。
アンズはその場にしゃがみ込んでしまった。
そんなとき、テレビの音声が耳に届く。おじさんの脇に置かれているテレビに目をむけると、夕方の報道番組の映像が流れていた。街に熊が現れ、パニックになっているという。
「あの熊って……まさか」
「まちがいないナリ。クマ公だ」
背中にしがみついていたアブニールがいった。
おじさんは目を大きく開けて「なんだね、それは」と聞いてくる。
「なんでもないですよー」
笑っておもむろにアブニールの頭を押さえて誤魔化すアンズ。失礼しましたーと、扉を開けて外に出た。
「アズちん、ひどいナリ~」
「ごめん。それより、クマが街で暴れてるって」
「おそらく、何者かがシルクハットを盗み、なにかのきっかけで外に出たナリ。きっと、クマ公はアズちんを探してるんだよ」
「まじで?」
「むかえに行くのじゃ~」
わかってると駆け出すアンズだが、気になってケータイを取り出し立ち止まった。
もうすぐショーがはじまる。十五分送らせてもらったとはいえ、ここから店にむかう時間を考えると、クマを探しに行っていては間に合わない。かといって、クマがいなければ手品はできないし、首はいやだ。
一体どうしたらいいのだろう。考えてもわからないアンズは、頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまった。
「しょうがないナリねぇ~」
アブニールはアンズの前に立っていった。
「アズちんは店にむかうのじゃー。かわりにクマ公をみつけて連れていってあげるナリ」
「ほんと?」と顔をあげるアンズ。
「まかせるナリ~」
と声を残し、アブニールは勢いよく駅の外へと飛んでいった。
急いで電車に飛び乗ったものの、アンズは悩んでいた。
今日のステージ、帽子からウサギならぬ、クマを出す手品ができなければアルバイトが首になる。
でも、肝心のクマがいない。
アブニールが連れてくるまで他の手品で場をつなぐしかないのだけれど、ほかの手品の用意をしていなかった。
ステージに立ったところで、マジックができない手品師は、マジシャンではない。ただの女子高生だ。
このまま家に帰りたいという気持ちが胸の中でふくらんでいく。
(手品を成功させて、フジ支配人をよろこばせたかったなぁ)
車窓からみえる街並みを眺め、ガラスに映る自分の顔にため息をかけた。
マジックショーに出るためにむかっているというより、電車に運ばれている感じ。
ケータイを開き、保存したフジ支配人のメールを読み直してみた。
『遅れないように、来てください』
わたしがいなくても、ショーははじめられる。
下手なマジシャンを出すのなら、上手なひとを起用した方が観客だってよろこぶはず。
なのに彼は、待つと送ってくれた。
たとえ、アブニールが間に合わなかったとしても、彼の思いにはどうしてもこたえたい。
いまはステージに立って、彼のためにショーをするんだと、アンズは願うようになっていった。
『イッツショータイム』には、なんとか約束の時間に間に合った。
「早く着がえてステージに」と、フジ支配人が出迎えてくれたときはうれしかった。だけど、よろこんでるときじゃない。
「遅れて申し訳ありません」
小声でこたえ、控え室へと入りタキシードの袖を通した。
手品のタネを用意せず舞台に上がるのは、ネタを作っていないお笑い芸人に匹敵する。
とりあえず袖や懐にカードを詰め込み、深呼吸をして落ち着くよう言い聞かせた。
「よし! 行くぞ、わたし」
パパンっと両手で顔を叩き、アンズは控え室を飛び出した。
「お待たせしました。当店に現れた若手最年少の天才マジシャン、ジャン・ピエール・ヤキニクスキーの登場です」
フジ支配人の紹介に、観客席からまばらながら拍手が巻き起こった、
スポットライトの当たる舞台にアンズは立ち、観客に深々と頭を下げる。
「ん?」
みると最前列に、羊羹一本まるごとかじるアブニールの姿があった。
小脇に抱えているのは、アンズのシルクハット!
みつけてくれたんだ。と思いつつも表情には出さず、「本日は、わたしのショーを見に来て頂き、ありがとうございます」挨拶し、気づかないふりをしながら客席を見渡した。
「あ、ちょっとすみません。それをお借りしてもいいですか」
アンズは客席のアブニールに手を差し伸ばす。
なにげなく、食べかけの羊羹を突き出してきた。
「いえいえ、それじゃなくて、そちらの素敵なシルクハットです」
「これ? いいけど」
「お借りしますね」といってアンズは受け取った。
「さて、みなさん。天才マジシャン、ジャン・ピエール・ヤキニクスキーのマジックショーのはじまりです」
くるりとシルクハットをまわしてかぶり、その場でターンを披露した。
「さてさてさて、お客様からお借りしたこのシルクハット。こちらからウサギを出して御覧に入れます。ワン、ツー、スリー」
カウントにあわせて指を鳴らした瞬間、ぬぃ~っとシルクハットからクマが出てきた。
「えっ――!」
悲鳴に似たおどろく声が観客からわき上がる。
「おやおや、ウサギのはずがクマが出てきてしまいました」
アンズは、舞台にそっとシルクハットを置いた。
「あまりうろうろしないで。はやく巣穴にお帰り」
軽く指を鳴らすと、クマは飛び上がったかと思えば、水泳の飛び込みみたいに帽子の中へちゃぷんと入っていった。
会場からは、感嘆の声と拍手が巻き起こった。
「すごいじゃないか!」
舞台から帰ってきたアンズを、フジ支配人は思いっきり抱きしめた。
「首にしませんよね」
「当たり前だろ」
彼に撫でられ、髪の毛はくしゃくしゃになっていく。
彼女の妄想だと愛の告白があって、むっちゅ~と口付けされたりするはずだったのに、されずじまい。
だけど、フジ支配人がよろこんでいる。
彼に認められた!
それだけで、アンズはうれしくて、抱きしめ返すのだった。
以来、天才ジャン・ピエール・ヤキニクスキーの熊出しマジックは大盛況。連日、彼女の手品をみるために行列ができた。
さらに口コミで広まり、ネットの動画サイトやテレビのニュースでも取り上げられるようになった。
最新のマジックは、トビウオみたいに、帽子から帽子へ熊が飛び回るというもの。
手品というか、曲芸みたいになってきていた。
こうなると「熊以外のものを出さないと、お客に飽きられてしまう」とフジ支配人が心配して声をかけてきた。
たしかにそうかもしれない。
彼にいわれて納得するも、熊以外、といわれてもアンズは困ってしまう。
家に帰ってから、アブニールに「なんとかならないかな」と相談してみた。
「なるナリよ」
「まじで?」
「うん。帽子に入る秘儀を、他の動物にも教えてあげたらいいナリ」
「そっか、なるほど。じゃあ、お願いできるかな」
アンズは手を合わせる。
「しょうがないナリね~」
白衣をひるがえし、ひょこひょこ部屋を歩き回るも、「べつにいいナリよ」と返事。さっそく仕込んでくると言い残し、どこかへ飛んでいってしまった。
つぎの日。学校が終わるのを見計ったかのように、アブニールがアンズのいる教室に飛んできた。
「おい、なんだよあれ」
「ウサギに羽根が生えてる!」
空を飛んでくるものだから、クラスメイトがおどろいて騒ぎはじめた。
でも「これも手品じゃない?」とだれかがいったおかげで、鎮まっていく。
アンズはアブニールを抱えると、ひとまず屋上へと駆け上がった。
「飛んできたら、みんながおどろくじゃない!」
「そんないい方しなくてもいーじゃん。せっかく、がんばって秘儀を教えた動物たちを連れてきたっていうのに」
口をとがらせ、ぶーぶかぶ~と愚痴った。
それをいわれると返す言葉がない。
「アブニール、ありがとー」アンズは抱き上げた。「それで、どんな動物を連れてきたの?」
「よくぞ聞いてくれたナリ」
とぉーっ、とかけ声と共にアブニールはアンズから飛び降りる。そして、すかさず、三つのシルクハットをならべた。
「まずは、この赤いの。レッドスネイク、カモ~ン」
赤い帽子から、にゅるるる~と長いものが伸びてくる。
「まさか、蛇!」
背をむけあわてて逃げ出すアンズ。だが、彼女の体をなにかが巻き付き、フワ~っと持ち上げる。
「な、なんなの?」
振り返り見ると、シルクハットから飛び出して屋上に現れたのは、巨大な象だった。
「体高三メートルの長鼻目アジア象。名前は、エレファントム・カシマシ娘。名前の通り女の子で、あだ名はゾウナリ~」
「説明はいいから、助けてよ」
「しょうがないナリね」
アブニールは手を叩いた。
合図なのだろう。ゾウはアンズを下ろし、赤いシルクハットの中へと入っていく。
「それではつぎのご紹介。ブルースネイク、カモ~ン」
アブニールのかけ声で、青いシルクハットから、またも長いものがにゅ~っと突き出ていく。
ドンドン伸びる。
まだまだ伸びる。
ようやく首がぜんぶ出たかと思ったら、長い足で踏ん張り出てきた。
「今度は、キリン!」
「そのとおりナリ。体長五メートル、鯨偶蹄目キリン科の熟成本生搾りラガーこと、キリン。キリンは法律上、ペットとして買うことができるとされてるナリよ~」
「だれが家で飼うんだってば。家よりキリンの方が大きすぎ」
まったく、またそのネーミングはなんだろう。
アンズはあきれて、頭を抱えたくなった。
アブニールはまた手を叩き、キリンが青い帽子の中に戻っていく。
残すはひとつ、黄色いシルクハットだ。
「最後は、ダチョウやカバが出てくるんじゃない? それとも、今度こそ蛇?」
それだけはやめてほしい。
アンズは蛇が嫌いだった。
「さてどうナリか。出でよ、イエロースネイク、カモ~ン」
ぐわぁ~お、と大口開けて飛び出てきたのは、たてがみを振り乱し爪を立てるライオンだった。
「金髪の小僧と呼ばれてる食肉目ネコ科、ラインハルト・チーズフォンデュ・イチキログラムこと、ライオンだよ」
食べられちゃう~っ。
身の危険を感じたアンズは逃げ出すも、四つ足のライオンの方が移動がはやい。こうなれば仕方ない! アンズは、自分の体がヨーグルトみたいになって、骨がハチミツみたいになれとイメージしながらシルクハットへ飛び込んだ。
アブニールはアンズが逃げ込んだシルクハットを耳の中にしまい込むと、ライオンの背中に飛び乗って、空の彼方へと飛んでいってしまった。
手品師の帽子 snowdrop @kasumin
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