同じ時に流れる協奏曲(コンチェルト)

「それにしても……前代未聞よこんなの。あたし、今日の事絶対忘れないわ……」

「あはは……ごめんごめん、迷惑かけたのは謝るから!」


 あの騒動から数日後。喫茶店のオープンテラスには談笑するリーンとケニーの姿があった。

 喫茶店で久しぶりに会う親友を待っていたケニーは、自分の声を聞くなりその場に崩れ落ちたリーンにとにかく面食らう羽目になった。薄い化粧をどろどろにするほど泣いたリーンを、落ち着くまでいていいからと添えて、ケニーは化粧室に送った。その数十分後、ようやくリーンが顔を整えて戻ってきたのが現在だ。


 戻ってきたリーンにケニーは特に訳を聞かず、3個目になるチョコレートケーキをほおばりながら他愛のない雑談を持ち掛ける。互いが近況を報告する中、次第にその話題は最近のリーンの記事に移っていく。


「あとこの前の記事見たよ。なんか、書き方というか情報元替えた?今まで面白おかしい都市伝説検証記事、って感じの読みものだったのが、途端に真相に迫ってリアリティたっぷりのニッチな需要付いたドキュメントになった……って感じ!」

「え、私そんな作風変わった?逆に自信ないなそれ……大丈夫だった?」

「あたしはどっちも好きだけど?閲覧数位信じなさいよ。ちゃんと伸びてたじゃん」


 にかっと人のいい笑顔を浮かべて、ケニーがリーンを後押しする。理由をつけて物をはっきり言う点では、リーンは1読者の視点としてケニーをかなり信頼していた。閲覧数的にはちゃんと伸びていた……客観的な評価に少しだけ顔がほころぶリーンを見て、ケニーが満足げに次のケーキに手を付け始めた。



「ところでさ、リーンってあんまりアクセサリー付けたがらなかったじゃない?タイピングに邪魔っつって。……どしたのそのバングル?」


 ケニーの目の先には、リーンの左手があった。細めの赤いバングルの中央に、バラのエンブレムが光っているシンプルなデザインだった。


「ん-……内緒。心変わりってやつ?」

「へえー?……なんかリーン変わったねえ。もちろんいい意味なんだけどさ」


 話し終わって口に入れたのが最後の一口だったらしく、リーンの顔色も確認せずにケニーが皿をまとめ始めた。慌てて手元のアイスコーヒーを一気飲みしようとしたリーンを、ケニーが制止する。


「次の記事も期待してるからね大先生」

「大先生って……それは言い過ぎ」

「じゃあ“未来の”ってつけといてよ。あたしの分は自分で払うから、お先ー」

「うん、また書き終わった頃感想聞かして」


 ケーキ、サンドイッチ、コーヒーで長くなったレシートを持って、ケニーがレジへ向かっていくのをリーンが見送った。店の入り口と反対方向にあるオープンテラスなので、もうケニーが席に戻ってくることはなかった。




「……やっぱりケニー鋭いんだよなあ」


 ケニーが遠く離れた後、困ったように笑いながらリーンの手がバングルを触る。光を反射して、赤いバラが強く輝く。それが単なる輝きではないことを、リーンが一番体感していた。


「ああいわれたからには、やんなきゃね。今日も協力、がんばりますか」



―――――



 深夜、オーセルクヴァックの路地裏に何故かリーンの姿があった。携帯のメモに「患者が老けていく怪奇、公にされない謎の整形外科の正体」と打ち込まれ、電源が切られる。リーンの目の前には人気のない寂れた建物があり、そこに一人の女性が入っていくのが見える。ペンライトを手に、その後ろをリーンが追う形になった。


 建物の中の階段を上った先、女性がたどり着いた部屋をリーンがこっそりのぞくと、中年の男性が白衣を着て座っていた。用意された椅子に女性が座るのを見て、女性に男性が近づいていく。


(……今ね)


 急激に冷えていく空気の中、無謀にもリーンがペンライトを男性に向けた。目に強い光を入れられて男性がたじろいだ瞬間、女性が椅子から転げ落ちる。我に返った女性は、至近距離にいる男性の顔を見るや否や、半狂乱で女性が部屋から出ていった。女性を笑顔で見送るリーンを見て、男性が嫌悪で顔を歪ませる。


「……なぜここに異物が入ってきたのかな」


 ねっとりとした落ち着いた声には、僅かに怒気が含まれていた。敵意を向けられて背中がざわつくも、その場で踏みとどまってリーンがにやりと笑って見せた。


「結界の中にまで入ってくるなんて思ってなかった感じね?」

「お帰り願いたいところだが、診察を邪魔するのはいけないね。……弁償をしていただきたい」

「……そう?私上物だから、お釣りが来ちゃうと思うんだけ、ど!」


 声と共に、リーンが勢いよくバングルを外す。その下には白い薔薇のタトゥーが鎮座している。……リーンはあの時、転生輪への楔ヴェルメルトゥーユを解除していなかった。

 外れたバングルから赤い光が伸び、男性の目に直撃する。その瞬間、男性が甲高い叫び声を上げながら体をよじり始めた。


「お前、う、あ」

「このタトゥー、基本碌ろくなことないけど1個だけ便利なの。耐えられるからこうやって持ち運べるのよ、あんたたちが苦手なをね」


 呻く男性の背中が、みるみるうちに盛り上がっていく。それに合わせて、音源を早回しにしたように声がどんどん高くなっていく様子を見て、リーンがじりじりと後ずさりを始めていた。


「うつ、器、うつつううう、ううう……!!」


 白衣を粘液で汚し、そのまま割いて白い肉の塊が這い出てくる。男性の口から、耳から、ズボンから……ありとあらゆる場所からあふれた肉は、合体して泡のようになり始めた。

 壁に背をつける形になったリーンに、肉の泡がじわじわと迫る。階段の方に逃げる道はあるのだが、足が震えていてすぐ走れそうにもない。獲物をゆっくりいたぶれると判断したのか、肉の泡の一部が一気にリーンの方に押し寄せる。



 次の瞬間、リーンの目の前に影が降り立った。音もなく降りてきた影は、手にした逆手剣で泡を切りつけ、まとった炎を泡に擦り付ける。的確に肉の泡だけを燃やす炎は本体まで到達し、表面を黒く焼き始めた。

 いつもの黒基調の服に、腰ほどはある黒い長髪に、強烈に印象に残る赤いハーフマスク。リーンと肉の泡の間には、髪の先を少しだけ燃やしたアガットが立っていた。


「……計画性のないあおりはやめろ」

「来るってわかってると、虚勢に箔が付くの。舐められたら困るでしょ」

「腰が砕けたまま話されても説得力がないな」


 リーンを壁から立たせて、アガットがそのまま反転聖者インヴァードセイントを警戒する。表面で泡がはじける度、水音が鳴る。醜悪さに嫌悪感はとうに振り切れているのだが、やせ我慢でリーンの顔が笑みを作る。


「やっぱり、どれぐらい強いかとかわかるわけ?」

「ざっくりとだがな。あれは想定よりは格下だ。……それより無理に笑うのはやめておけ。割と今の顔は不細工だ」

「……着眼点が最っ低。あんた絶対生前ろくな男じゃなかったでしょ。なんなら言い回しもちょっとアイツに似てきてない?」

「勘弁してくれ。金切り声になるのは想像もしたくない」

「あー……それは同感。長く聞いてると頭痛くなるのよね」


 2人が言い合いをしている間に、肉の泡が再度膨らみ始める。改めてアガットがリーンの前に立ち、逆手剣に変形した赤い双銃を構えた。


「……協力、ここまでで平気?」

「あとは俺の仕事だ。離れてろ」


 アガットが、息を吐く。マスクの下で黒い目が赤い光を帯び、それを合図に逆手剣にちらついていた炎が一斉に髪に広がる。燃え盛る炎が黒髪を赤く染め、全身にもうっすらと覇気をまとう。



 輪廻に乗るべき魂を貪り、この世の理を捻じ曲げて現世にこびりつく罪人……反転聖者インヴァードセイントを断罪するべく、紅き幻影ファントム・ルージュが床を蹴った。

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深淵断罪牙 ファントム・ルージュ 蒼天 隼輝 @S_Souten

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