後編


 ミステリーの書き方。


 僕が書いているのは主にヒューマンドラマだ。それでも、ミステリーの書き方を知らないよりも知っている方がいい。引き出しも増えるだろう。


「お願いしていいかな」


 うんと小さく頷く寿さん。


「ミステリーの書き方と一言で言っても色々ある。トリックやキャラクター、ガジェット」


「ガジェット?」


「指紋とか遺書とか、小道具のことを言うの」


 へーっと納得しながら、確かにミステリーの書き方を勉強しているのだと感心する。


 そういえば作家の琴吹先生はミステリーを書かない。多少の叙述トリックを使うことはあっても、主にヒューマンドラマだ。


 もしかしたら、目の前のこの寿さんは琴吹先生に憧れている作家志望の子なのではないだろうか。本来はしてはいけないが、寿珠杏というのは琴吹先生に寄せたペンネームなのかもしれない。


 音だけなら同じ名前だから、真美姉ちゃんは面白がって紹介したのだろう。さすがに、作家先生を紹介してくれるなんて、そう上手い話があるはずがなかったのだ。


 ただ作家同士で仲良くすれば、お互い勉強になるし、刺激にもなる。


 それならばと僕は笑みを浮かべた。


「やっぱり、ミステリーってトリックが重要なのかな。あ、僕はミステリーを書いたとこないんだけれどね」


「確かにトリックは重要。だけど、もっと重要なことがある」


「もっと重要なこと?」


 ミスリードや伏線だろうか。


「それは、魅力的な謎を作ること」


「謎……、それも魅力的な」


 そうと言う寿さんは口元だけ微かに笑う。


「探偵が活躍する本格ミステリーでは、よくさっさと死体を転がせって言う。それって物語の最初に謎を提示することと同じなんだ。誰が殺したか。どうやって殺したか。動機はなにか。少なくても三つの謎が一度に提示されたことになる」


「なるほど」


 考えてもみなかったことだ。言われてみると死体が一つあるだけで、謎がいくつも出来ることになる。


「殺人事件ほど魅力的な謎はない」


 寿さんはスマホを置いて、目の前のコーヒーカップを手にする。上品にすする様子は、どこかの令嬢に見えた。


「実際に殺人現場を取材出来ればいいんだけど」


 しかし、言うことは物騒だ。


「だから、私はよく想像している」


「想像?」


「小説家の初歩中の初歩だけれどね。イメージする。実際に言葉にする。メモをする」


 言われて気づいた。これまでの話をメモしていない。


 慌てて鞄の中から使い込んだメモ帳を取り出した。


「いまどき、紙のメモ?」


「ああ、スマホのメモも試してみたんだけど、やっぱり馴染めなくて。僕はめっきりアナログ派。プロットも紙だし。原稿も最初は紙なんだ」


「へー。紙でなんて書いたことない。一度試してみようかな」


 そう言う寿さんは僕を絶滅危惧種でも見ているような眼をしている。


「お待たせしました」


 僕の目の前にマスターがコーヒーを置いた。香ばしい匂いが鼻をくすぐる。ミルクと砂糖を入れてかき混ぜた。


「それで、イメージだっけ。具体的にはどんな方法をしているの? やっぱり思いつくまま?」


「そういうときもあるけれど、ここに居るときはいい実験台がある」


 寿さんは眼鏡のブリッジを押さえて、また不敵に笑った。


「実験台?」


 不穏な言葉だ。寿さんは内緒話をするように顔を寄せる。


「そう。例えばマスターが殺された。犯人はカウンターに座る男。その殺害方法と動機はなに?」


 密やかに告げられた言葉に息を飲む。僕も顔を寄せて、小さな声を心掛けた。


「実際にいる人たちをネタにしようっていうの? それは、さすがに悪いよ」


「小声なら大丈夫。二人とも自分たちの作業に夢中だし、聞いてない」


 確かにマスターはカップを磨いているし、中年男性はパソコンで作業中だ。


「そうは言っても……」


「これぐらいでビビっているの?」


 見くびったような言い方に少しムッとする。だけど続く言葉に反論できなかった。


「作家は想像のカメレオン。どんな人物でも、想像でイメージを塗り替えてしまう。なに。それを表現するのは文字の中だけ。本人たちが気づくことなんてない。それに、それぐらいしないとキャラクターに幅が出ない」


 寿さんの言うことに、ごくりと喉を鳴らす。


 キャラクターに幅がない。


 以前、作家志望仲間に言われた言葉だ。


「マスターがあの男の人に殺されたんだよね」


「そう」


 満足そうに頷く寿さん。


「まずは二人に名前がないと」


「マスターはマスターのままでいいでしょ。男は永原。私がいつも使っている名前」


 僕はうんと頷く。考える手間が省けた。


「殺害方法は、この喫茶店の中の包丁。手袋をしていたから指紋は出ない」


「背後から? 正面から?」


「ここで背後からって難しいよね。正面からかな」


「返り血がつくよね。少なくとも手袋にはつく。それはどうするの?」


「えっと、血がついた手袋はここに来る途中にあった川に捨てる」


「あの川は浅い。それだと、探偵か警察が見つけてしまうかもね」


「でも、それが事件解決の糸口になるかも」


「どうかな?」


 くすりと笑う寿さん。僕に立て続けに質問をしている間もスマホを忙しなく触っている。話をメモしているのだろうか。


「それでマスターを永原が殺した動機は?」


「動機か……。永原がマスターに借金をしていたとか」


「有り得そうだけど、魅力的じゃない。私たちが今作っているのは魅力的な謎。殺害方法がオーソドックスなんだから、動機はもっと意外性があるものが良い」


 魅力的な犯行動機か。意外と難しい。


「そういえば、店の前に錨があったな。じゃあ、実はマスターは元漁師なんだ」


「へぇ」


 動機を語るには、二人のキャラクターも突き詰めないといけない。


「漁師町には代々受け継がれている恐ろしい秘密があって、それを知ったマスターは漁師町から逃げ出した。永原はその漁師町に雇われた殺し屋で、依頼が動機。依頼主たちは秘密を口封じするのが目的。どうかな?」


 かなり、ぼんやりした設定だ。


「ホラミスか、いいね」


 突っ込まれるかなと思ったけれど、寿さんはこちらを向いて口角を上げた。


「じゃあ、本格的な舞台はその漁師町になるね」


「自分で言っておいてなんだけれど、受け継がれている恐ろしい秘密って何だろう。あと永原のキャラクターも……」


 もっと作り込もうとしたとき、コロンコロンとドアベルが鳴る。誰かが入ってきた音だ。振り返ると、そこに立っていたのは真美姉ちゃんだ。コートについた水滴を払っている。


「おっ! 若人たち、やっているかい?」


 笑って真美姉ちゃんは手を上げた。この様子だと、やはり本物の琴吹先生は来なさそうだ。ブレンドを一つと真美姉ちゃんは慣れた様子でマスターに注文して、僕の隣に座る。


「どうどう? 話は弾んでいる?」


「いま、ミステリーの話を作っているところだよ」


「ああ、ミステリーね。うん。まぁ、羽矢士が知っていてもいいかもね」


 何となく微妙な反応をする真美姉ちゃん。


「それで、寿さん。お預かりしていた原稿ですが」


 真美姉ちゃんが寿さんを真っ直ぐ見て言う。寿さんも居住まいを正した。へえ、真美姉ちゃんが原稿を読むっていうことは、何か賞をとったことがあるのかな。


 一緒に聞く僕も何だか緊張してくる。


「ボツです!」


 真美姉ちゃんは全く遠慮せずにバッサリ言い切った。


「ぐはっ」


 ごんとテーブルに額をぶつける寿さん。


「二ページ目で犯人が分かってしまいますよ。ミスリードかと思えば、まんま犯人じゃないですか!」


「うう……。でも、トリックには自信あり」


「いいのはキャラクターだけです」


 随分バシバシきついことを言う。新人には酷じゃないかな。


 しかし、そう思ったことは一瞬で覆される。


「というわけで、雑誌に掲載する短編はミステリーではなく、恋愛ものでお願いします」


「どの名義?」


岡本恵理那おかもとえりなです」


「短編。ネタのストックがあったはず」


 寿さんがスマホをいじる中、僕の頭の中では疑問符が駆け巡っていた。


 どの名義と聞くということは、複数の名義があるということだ。それ以前に雑誌に掲載する依頼が来るということは、売れている作家の証拠でもある。


 岡本恵理那の名前は聞いたことがある。二年ぐらい前にデビューした中高生に人気の青春恋愛ドラマを書く作家のはずだ。


「えっと……、寿さんって岡本先生なの?」


「うん」


 軽く頷かれた。そうか、寿さんは僕の一歩先を行っているのか。しかし、実際は一歩どころではなかった。真美姉ちゃんがスマホをチェックしてから言う。


「それから、フェニクスノベルから続巻の原稿の催促も来ています」


「うん。いまやっていた。もうちょっとで推敲も終わる」


「フェニクスノベル……」


 スマホで調べてみるとweb小説の拾い上げを主にしているライトノベルのレーベルのようだった。


「ライトノベルもしているの?」


「うん。趣味で書いていたら、書籍化の打診があった」


 さらっと言うことに目まいがする。僕は真美姉ちゃんの方を向いた。


「まさか寿さんって、本当に琴吹樹庵先生ってことは……」


「言ったでしょ。作家の琴吹樹庵を紹介するって」


 返ってきたのは肯定の言葉。


「そっか、天才って本当にいたんだ……」


 さらに真美姉ちゃんは追い打ちをかける。


「それだけじゃない。児童文庫も、漫画の原作も、別名義で出しているわ。全部で五つね」


 一つも作家として名が売れていない僕には信じられなかった。


「なんで、別名義で……」


「目立ちたくないから」


 スマホから顔を上げずに言う寿さん。確かにこれだけ多才なら目立ってしょうがないだろう。琴吹樹庵の名だけでも、確たる地位を築いているのだから。


「このことを知っているのは業界でも、ごく一部。知っている人たちは彼女のことをカメレオンライターと呼んでいるわ」


 カメレオンライター。五つの通り名を持つ彼女らしい呼称だ。


「……就職しよう」


 自然と口から出ていた。作家一本で食えるほど、僕には才能はないと思い知ったからだ。


 真美姉ちゃんが微笑みながら、ポンと肩に手を置く。


 なるほど、これを見越して僕をここに呼んだんだな。


「推敲済んだ。送る」


 スマホを操作していた寿さんが静かに言う。


「ラノベも真美姉ちゃんが編集しているの?」


「編集は別にいるわよ。でも、寿さん、ここに直接来ないと中々連絡つかないから。私が連絡係になっているっていうだけ」


「原稿に集中しているから、メールに気づかない」


 本当に小説を書くことに特化した子だ。


「ミステリーの勉強をしているということは、また名前が増えるの?」


「いや、琴吹で出す」


「面白いミステリーが書ければね」


「……ミステリー、難しい」


 どうやら変幻自在のカメレオンも、ミステリーだけは苦手らしい。


「なんでまた苦手なミステリーを書こうとしているんです?」


 これだけ書ければ、ミステリーを書かなくても十分すぎるほど作家としてやっていける。


 寿さんは黙り込んだ。


「それはね! パパに構って欲しいんだよ!」


「え?」


 声の方を見上げると、カウンターに座っていた中年男性がすぐそばに立っていた。


「パパ?」


「そう。いやー、娘の珠杏がお世話になっています。真美さん、今日もお綺麗で」


 中年男性は真美姉ちゃんの方に顔を寄せる。


「お仕事ですから」「邪魔」


 女性二人は邪険にするが、中年男性はめげない。


「君、聞いていたよ。私を殺人犯にしていたね」


「あ……」


 聞かれていたら気分を悪くしただろう。僕は顔を青くする。


「大丈夫! 娘の珠杏ちゃんの為だからね。殺人犯にでも、強盗犯にでもなんでもなるよ」


 娘という言葉をことさら強調して言う。なんだか、付いていけないけれど……。


「えっと、すみません。寿さんのお父さんなんですね」


「そう!」


「違う」


 中年男性は肯定するが、寿さんは首を横に振る。


「珠杏ちゃん。パパはお父さんだろ」


「私はお母さん一人に育てられた」


 どうやら複雑な家庭なようだ。真美姉ちゃんが僕に耳打ちをする。


「昔は売れない作家だったから、寿さんのお母さんに自分一人で育てるってあっさり捨てられちゃったらしいのよ」


 単純な理由だった。


「珠杏ちゃん、パパに構って欲しくて一生懸命ミステリーを書こうとしているんだよね」


「違う。お母さんに苦労させた奴にぎゃふんと言わせるため」


 デレデレした中年男性に寿さんは心底嫌そうに顔を背ける。


「ちなみにこの人は、永原桜慈さん。ミステリー作家よ」


 名前を聞いて目を見開く。永原さんって、そのまま名前を使っていたんだ。しかも、そこそこ売れている作家さんだ。


「ちなみに殺されたのは、おじいちゃんでーす。あ、母方のね」


 真美姉ちゃんのコーヒーを持ってきたマスターが言う。


「は、はは……」


 やはり小説家は奇人変人が多い。僕はすっかり冷めたコーヒーをすすった。


 しかし、この後僕もこの暁喫茶に通うことになる。寿さんが、一緒にミステリー小説を書こうと誘ってきたからだ。一か月後には就職先も決まり、執筆時間は取れなくなってしまったが、土日は必ず執筆に来る。


 六か月後、僕は小説の賞を受賞した。このとき寿さんと考えたホラーミステリーだ。


「ミステリーの賞……、ズルい」


 目の前の席に座るカメレオンな彼女は本当に悔しそうだった。



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カメレオンライター ~ミステリー小説の書き方~ 白川ちさと @thisa-s

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