第4話

「ところで御三方は、なぜ市岡先生に相談を?」

 可愛らしい猫の絵が描かれたコーヒーカップを片手に、間宮が唐突に尋ねた。このお店のカップはおそらくすべてハンドメイドの品で、どれも作風が異なっている。私が飲んでいるカフェオレは、つやつやと美しい真っ黒のカップに注がれていた。

「真野くんから話を聞いて、動画を見て……誰かに相談しないとって思ったんです」

 3人を代表して私が答えた。

「それで、宍戸ししどさんに紹介されて」

「宍戸さんとは?」

「宮内先生のところで一緒に働いてる人です。制作を担当しているんですけど、」

 たぶん、偽教授小宮からの訴えを受けて市岡弁護士に宮内先生の弁護を依頼したのも彼だ。宍戸さんは制作という業務とはまったく関係がないレベルで法律と数字に強い。その脳味噌があればもっと食える仕事できるだろ、と音響担当の水見みずみさんに良くからかわれている。私よりひと回りほど年上で、制作という仕事を始めたのは私や恋人と同じく宮内先生にスカウトされたことがきっかけらしいが、それまで何をしていたのかについては頑として口を割らない。らしい。私は宍戸さんの過去にそれほど興味がないから問いただしたことはないのだけど。

「市岡さんという弁護士さんがこういう案件に強いから、相談してみたらどうかって……電話でアポも取ってくれて」

「宍戸さんは稟ちゃんのこと良く知ってるよ、大学一緒だし」

 口を挟んだのはヒサシ氏だ。間宮氏が右の眉をぴくりと跳ね上げる。

「なんて?」

「友だちっていうほどの仲じゃないけど、困ってる若い人を紹介する程度の関係ではあるってこと。オッケー?」

「ふーん……そう。じゃあ、分かりました、それでいいです。なるほどね」

 額に落ちる黒髪を払い、間宮氏は言った。何を納得したのかは分からないが、何かが腑に落ちたのだろう。

「世の中って狭いものですね。酒々井耀さん、この件が終わったらぜひ宍戸さんを私に紹介してください」

「え?」

「市岡先生の同輩、興味があります」

 それは。

「い……嫌です」

 考えるより先に言葉が出ていた。こんなこと初めてだ。

 間宮氏が大きく両目を見開く。三藤がさっと身を乗り出して、私を庇うような格好をする。

「嫌ですか?」

 間宮氏が怒ったらどうしようと思った。だって話はまだ終わっていないのだ。でも、彼女は怒らなかった。先ほどまでとまるで変わらない口調で尋ね、ちいさく顔を傾ける。

「は、はい……」

「なぜ、嫌だと思ったのでしょう」

「それは……」

「言わなくていいよ」

 三藤とは反対側の隣の席から真野が言う。警戒心というほどではないが、少しだけ不快感が滲んだ声だった。

「そんな、個人的なこと。今日初めて会った人に」

「……友情に厚いですね」

 間宮氏が呟く。私は三藤の肩をそっと撫で、真野に小さく頷いて見せて、それから口を開いた。

「宍戸さんがどういう人なのか、私は全然知らないんです。でも、一緒に仕事をしていて、とてもいい人です。宍戸さんは自分のことをあまり話したがらない人で、けどその宍戸さんが私たちのことを心配して市岡先生を紹介してくれたことを、すごく感謝しています。だから、宍戸さんの許可なく、宍戸さんを間宮さんに紹介するのは、できません。ごめんなさい」

 初対面の人にこんなにたくさん喋るのは、生まれて初めてだった。でも私は言わなくてはいけなかった。私の言葉で、なぜ嫌なのかを語らなくてはいけなかった。それは、私がずっと避け続けていたことだった。ひとりでいるあいだは、やらなくても赦されていたことだった。

「やめなよ間宮くん」

 間宮氏の隣で3杯目のコーヒーを飲み終えたヒサシ氏が唐突に言った。

「若い子いじめんの」

 若い若いと言うが、ヒサシ氏は恐らく私たちより年下だ。だが、妙な貫禄がある。

「間宮くんがそういうこと言わないように俺が同席してるんだから」

「分かってるよ。それに、酒々井さんの言い分も分かりました。失礼なことを言い出してしまって、私の方こそごめんなさい」

 小さく頭を下げた間宮氏は、さて、と言いながら顔を上げた時にはつい数分前と同じ私立探偵の顔に戻っていた。驚いた。プロだ。

「私にもようやく全貌が見えました。前提として申し上げますが、市岡稟市先生、彼には幽霊が見えます」

「え!?」

 三藤と真野の声が重なる。私は、驚きすぎて声も出せない。

「酒々井さんの同僚の宍戸さんには、動画が本物かどうか判断できなかったのでしょう。それで、本物を見ることができる市岡弁護士を紹介した。直近に宮内氏の弁護を依頼していたこともあり、連絡を取りやすかったのでしょうね」

 恐らくひと目見て偽物だと見抜いたのでしょう、と間宮氏は続ける。

「しかし、誰が、なぜ、どういった目的でそんな動画を? それを知るためには動画そのものを解体しなくてはならない。そこでこの、性格の悪い弟です」

 間宮氏に顎で示された性格の悪い弟ことヒサシ氏は、性格が悪い上有能って言って! などと笑っている。性格が悪い件についての異論はないらしい。

「性悪で有能なヒサシが確認した結果、動画は……」

「偽物。かなり巧妙に作られた偽おばけ動画。でも、ジャンベ自体は良守覚さんの持ち物だったんですよね?」

 後半の言葉は私たち3人に向けられたものだ。間違いないです、と真野が返答をする。

「盗まれて外部で撮られた動画だとしたら、稟ちゃんも言っていた通り大学から無断で持ち出された時点で警察沙汰になっているでしょう。卒業生である真野さんの耳にも入るはず。そうではないということはつまり、ジャンベ自体はまだ大学の中にある」

「真野、ジャンベは誰に預けたの? 崎村? 小宮?」

 三藤が問い、どっちでもない、と真野が答える。間宮氏がくちびるの端を引き上げて笑う。

「それでは、ここからは暴力の時間です」

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