第2話
「で、その楽器が勝手に鳴ると」
「私のガタムは鳴らないんですが……」
「不勉強でお恥ずかしいのですが、ガタムというのはどういう楽器なんですか?」
「写真しかないんですが、これです」
「これは……壺ですね」
「はい。素焼きの壺です。叩いて音を出すんです」
「叩いて……ほう……」
私の携帯をまじまじと見詰めた弁護士は、次の瞬間にこりと笑みを浮かべて言った。
「演奏、聴いてみたかったですね」
「とても上手でした。打楽器はなんでも得意な人だったので」
「亡くなられたのは……」
「3年前です」
「3年前。それなのに、楽器が鳴り出したのは最近?」
「はい……」
恋人、良守覚の死から3年が経った。私はあのあと丸1年休学し、昨年ようやく大学を卒業した。そして、今は。
「演出家の
「まだまだ駆け出しなんですが、美術助手として雇っていただいています」
宮内くり子とは、あの日大学教授
「楽器が鳴るという話は、どなたから? 或いはご自身でお聴きになった?」
「見つけたのは、友だちが」
教えてくれたのは真野球亮だ。片見分けをした良守の楽器が勝手に鳴り始めているらしい、と。三藤キヨノと真野と私の3人は、今でも時々飲みに行く関係だった。三藤とわたしのふたりだけなら週末にカフェに行ったり映画館に遊びに行ったりするので、真野よりはもう少し頻繁に顔を合わせているが。それはともかく、1ヶ月ぶりに飲み屋に集合した際に真野がひどく思い詰めたような顔でスマートフォンの画面を示して言ったのだ。これ、良守のジャンベだよね? と。
YouTubeの画面だった。再生回数はそこそこ(と三藤が言った。私は普段YouTubeを見ないのでどこを見れば回数が分かるのか良く分からなかった)。怪奇! 真夜中に鳴るジャンベの謎! とかいう三流ホラー映画みたいなタイトルの動画はどこかの誰かの部屋の中に設置された定点カメラの映像で、たしかに私の恋人の持ち物だったジャンベが軽快なリズムを刻んでいた。傍には、ジャンベを叩く人間の姿などないというのに。
真野は動画を上げた人間にコンタクトを取って事情を聞こうとしたらしいのだが、どんなメッセージやコメントを送っても完全に無視でどうにもならないらしい。それなのに週に一度か二度のペースで幽霊ジャンベの動画は投稿される。
「これ完全に名誉毀損だと思うんですよ」
法律事務所の応接室、ソファの右隣に座る三藤が言った。硬く握った手の甲に青筋が浮いている。彼女はめちゃくちゃ怒っている。
「幽霊ジャンベだなんて……つまり、良守が鳴らしてるって言いたいんでしょ!? 失礼すぎて、あたし、ほんと、」
「キヨノ、落ち着いて。大丈夫だよ」
怒っているのは主に三藤で、今日ここに同席していない真野は責任を感じている様子だった。あの時恋人の片見分けに手を貸して、彼が持っていた楽器たちをそれぞれ相応しい場所に送付する手配をしたのは真野なのだ。恋人が良く路上で演奏していたこのジャンベだって、本来ならば彼の母校である音大にあるはずで。
「盗み出された……ということですかね?」
弁護士が小首を傾げる。私と三藤は一瞬視線を交わし、
「分からないんです。この動画の部屋暗すぎて、個人の部屋なのか、それとも大学の中にこういう個室があるのか……」
「あたしも耀もこの良守の大学とは何の関係もないから、中に入ったこともないし。でも真野、あ、この動画を見つけたやつなんですけど、そいつは卒業生で、その真野もこんな部屋があるなんて知らないって言ってました」
早口の三藤の言葉を弁護士はうんうんと肯きながら聞き、それから左手でつるりと自らの顎を撫でた。
「盗まれたなら警察沙汰になっていてもおかしくないと思うんですけど。形見とはいえ今は大学の備品になっているわけですからね。うーん。それに、この動画……」
「おいっす
「依頼人だ馬鹿、静かにしろ」
応接室の扉を勢い良く開けて登場したのは、弁護士に良く似た風貌の若い男だった。傍らの三藤が露骨に殺気立つのが分かる。三藤は男性全般があまり好きではない。私は人間があまり得意ではないが、この若い男からは嫌な気配がしなかった。
「失敬。
弁護士……
「作り物です」
「やっぱり!」
三藤が叫ぶ。私も、だろうな、と思う。
「演奏と映像をなんかこうどうにかして編集する技術があれば簡単に作れるシロモノですし、まあそれにしては出来は良かったかな……こういうの見慣れてない人はほんとにお化け動画だと思っちゃうかも。でも見る人が見ればすぐ分かる程度のものですよ」
「うちらはすぐ分かりましたよ! だってあんなの、良守の演奏じゃ……」
そう、あれは恋人の鳴らすジャンベの音じゃない。どこかの誰かが適当に鳴らした太鼓の音だ。あんな演奏で私の恋人の幽霊を名乗るなんて、笑わせる。
「さて、どうしましょう」
弁護士が言った。どうって? とヒサシ氏が兄の顔を覗き込む。
「動画を上げている人間を特定して名誉毀損で訴えることも可能です。もう少し細かく証拠を集める必要がありますが」
「ははー、なるほど」
相槌を打つのは私でも三藤でもなくヒサシ氏だ。私たちより少し年下の彼は、色々なことに興味津々らしい。でも、私の気持ちはもう決まっていた。
「調べたいんです」
「調べる、というと?」
「本当に、彼の楽器は鳴っていなかったのか」
私は、死後の世界を信じない。幽霊を信じない。怪奇現象を信じない。だけど、世界のどこかで時々起きている、愛された楽器が起こす奇跡は認めている。老衰でこの世を去った主人の名を呼ぶように曲を奏で続けるピアノ。コンクール直前に事故で命を落とした持ち主を待つように鳴り響くトランペット。初めて与えられた自分の楽器を愛した余命僅かの小学生のリコーダーが奏でる荒城の月。これらのエピソードはすべて恋人から聞いたもので、私はそんなことが起きるわけないと思いつつも、愛すると応えてくれる楽器は素敵だと目を輝かせる彼を否定することができなかった。
私の恋人には、死んでも奏でたい楽器はなかったのだろうか。
「……では、ここから先は探偵の出番です」
市岡稟市弁護士はそう言って、テーブルの上に投げ出されていたスマートフォンを手に取った。
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