第3話
「間宮探偵事務所の
カフェ、いや純喫茶というべきか、とにかくそういう場所のテーブルの上にトランプのカードでも扱うかのように名刺を3枚滑らせ、その女性は笑った。市岡稟市弁護士が紹介してくれた『探偵』だ。彼女の隣には、なぜかあの日と同じように市岡ヒサシ氏が腰掛けて笑みを浮かべている。名刺を受け取った私たち3人、私こと
癖ひとつない真っ直ぐな黒髪の先端だけを燃えるような赤に染めた間宮氏は、
「結論、経緯、その他、どれからお話しましょう?」
と右手の指を3本立てて尋ねた。折り曲げてある小指の先端がないことに不意に気付いたが、探偵という仕事をしていればそういうこともあるだろう。私が働いている宮内くり子先生のチームの舞台監督も、背中いっぱいに刺青が入っている。
「結論!」
「いや経緯だろ」
「その他ってなんですか?」
三藤、真野、私の順で口を開いて、少しかぶってしまった。長い脚を持て余すように組んだ間宮氏は、私たちをじっと見詰めて、それからくすぐったそうに微笑んだ。
「いいっすね、全部お話ししましょう。順番はこちらで決めます。ヒサシくんもそれで構わないかな?」
「俺はー今回ーお目付役なのでー」
妙に間延びした声で言いながら煙草を取り出したヒサシ氏は、店内に貼られた『禁煙』のステッカーを目にすると肩を縮めて箱をしまった。私たち3人は全員非喫煙者なのでとても助かる。
「お目付役?」
「間宮くんがー若い子たちにー変なこと言わないようにってー」
「あんたの兄貴、私のことなんだと思ってんの?」
「腕はいいけどクソな探偵」
「クソって!」
大仰に天を(天井を)仰いだ間宮氏は、まいっか、とすぐに真顔になってこちらを見た。
「それでは……」
「ちょちょっ、ちょっと待ってください!」
声を遮ったのは真野だ。はい? と長いまつ毛を揺らす間宮氏に、真野は大真面目な顔で言った。
「ま、間宮さんへのお支払いは、クレジットカードでも大丈夫ですか……?」
「うん?」
「いや、ですからその、俺たち探偵さんにお仕事頼むのとか初めてで……」
市岡稟市弁護士との面会のあと「探偵を紹介してもらうことになった」と真野に報告したところ「お金はどうするの!?」とすぐに反応したのが彼だった。面会の際市岡弁護士からは金銭の支払いを一切要求されなかったので、私も三藤もぼんやりしてしまっていたのだ。市岡弁護士からも後日相談料を要求されるかもしれないと思うと(向こうだってボランティアで弁護士やってるわけじゃないんだから、当然の権利だ)お金が幾らあっても足りない。
丸い爪でぽってりと丸いくちびるを撫でた間宮氏は、お金は、いいです、と少し優しい声で答えた。
「えっ」
「でも」
「バラしてしまいますが、市岡先生から先払いでいただいております」
「ええっ」
「なんで!?」
私の周りは大騒ぎである。そういえば恋人と交際していた当時もその前も、自分の周囲にこんなに人間がいたことなんてなかったな、と不意に思った。恋人に出会うまで私は本当にひとりだったのだ。両親も祖父母も兄もいたけど、小中学、それに高校大学でそれなりに知り合いもできたけど、それでも私はひとりだった。ひとりが当たり前の私の世界に突然飛び込んできたのが、良守覚だったのだ。
「では経緯からですね。まず、酒々井耀さん」
「は、はい……」
「あなたの雇い主である宮内くり子氏ですが、3年前、良守覚氏のお葬式の際に起きた出来事について訴訟を起こされています」
「えっ!?」
恋人の葬儀の際に起きた出来事というと、アレしかない。アレしかないし、アレに関係して宮内先生を訴える人間といえば。
「原告は小宮作彦氏。良守覚氏と真野球亮さん、おふたりの母校の打楽器科アシスタントであった男性です」
…………アシスタント?
「え、小宮って教授じゃなかったんですか?」
「大きな学校みたいですし、真野さんがご存知ないのも無理ないですね。真野さんは当該学科にもご縁がなかったようですし」
と、間宮氏はピンク色の帆布で作られた丸い肩掛けバッグから書類を取り出し、無感情な声で話を続ける。
「小宮作彦、当時30歳。●●音楽大学のOBです。アシスタントとして勤め始めたのは卒業してすぐ。まあ、教授というのは端的に言って身分詐称です」
「知らんかった……」
「当該学科の指導教員であった
呆気に取られる真野を他所に、訴訟は、と三藤が問う。
「どうなったんですか」
「宮内氏が今現在何の問題もなく演出家としての仕事をしていることが何よりの証左ですが、小宮氏の敗訴で終わりました。その際身分詐称と職権濫用の件が職場に知られ、小宮氏は解雇、崎村氏も停職処分ののち指導教員を辞しています。とはいえ今は別の音大で働いてらっしゃるそうですが……」
ま、この人についてはどうでもいいですね、と間宮氏が傍らのヒサシ氏に書類をパスする。
「その際、宮内氏の弁護を引き受けたのが、皆さまご存知の市岡稟市先生です。ですので、だいぶ遠回りにはなりますが、あの人はこの件にまったくの無関係というわけではないんですよね」
知らなかった。本当に知らなかった。葬儀の直後なんて、私はかろうじて人間としての姿形を保って生活していた時期だ。宮内先生もそのことは知っている。だから余計に、訴訟のことは伏せられていたのだろう。
「以上が経緯です。続いて結論といきたいところですが、その前に『その他』の話をしましょう。真野球亮さん」
「また俺ですか」
「あなたです。良守覚氏の片見分けを手伝いましたね」
「それは、はい」
真野が大きく肯く。私が恋人の母親に真野の存在を告げたのだから、私もこの話題については関係者だ。
「良守覚氏が所持していた打楽器、誰にどれを譲ったのか覚えてらっしゃいますか?」
「それも、はい」
真野が繰り返す。
「良守は楽器をすごく大事にするやつだったから、適当はできなかったです。その楽器をちゃんと大事に、一生大事にしてくれる友だちに、全部俺が直接渡しに行きました」
「なるほど。ちなみに、いちばん人気は?」
「競馬みたいな言い方するんですね……ガタムです」
「!」
ガタム。私の恋人のガタム。彼が最後に抱き締めていた楽器。
「正直かなりのレア楽器だし、高値だし、何より亡くなる直前の良守がいちばん可愛がってた楽器でしたからね……思い出としてほしがるのも無理ないと思いましたよ」
「でも?」
「でも、ガタムだけは俺が参加する前に良守のお母さんが耀さんに送ってました。だよね?」
話を振られ、首を縦に振る。ガタムは今も私の部屋にある。エアコンが増えた私の部屋に。
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