第5話
「
「
「そうしたら勝手にジャンベが鳴り出した、と?」
スマートフォンで動画を撮りながら市岡ヒサシ氏が尋ねた。真夜中だった。喫茶店で私立探偵の間宮と別れた私たちは、その足で恋人と
「どうもどうも、市岡稟市の弟でヒサシと申します。この度は無理を言ってしまってすみまっせん!」
クルマを降りたヒサシ氏はこれっぽっちもすみません感のない声でふたりに挨拶をした。対するスーツ姿の女性はこれ以上ないほど深々と頭を下げ、
「大きな話になってしまいまして……」
「俺が小さくして片付けるので大丈夫っす! えっと、それでそちらが悠木教授?」
「ピアノ科の責任者を務めている
ピアノ科。恋人が在籍していた打楽器科からどんどん話が離れていく。短い黒髪をほとんどオールバックに撫で付けた悠木氏は薄いまぶたを震わせ、絞り出すように言葉を続ける。
「私がきちんと管理をしていればこんなことには……」
「いや、やるやつは何があってもやりますからね! そこまで気にせんでいいですよ。それより、問題のふたりは?」
あっけらかんと応じるヒサシ氏に、申し訳ありません、と悠木氏は頭を下げ、
「呼び出してあります。応接室に」
「了解! では若者たち、いざいざ鬼退治と参りましょう!!」
ヒサシ氏はどこまでもアッパーだ。
学長を先頭にぞろぞろと真夜中の大学に入り、応接室前に辿り着く。ドアを開けようとする学長に、ここから先は、とヒサシ氏は言った。
「俺たちだけで」
「でも」
「任せてください。あの市岡稟市の弟ですよ俺は。綺麗に片付けます。でもちょっと……見られたくないこともやるので」
茶目っ気たっぷりにウインクをするヒサシ氏に、暴力は、と悠木氏が困惑しきった表情を向ける。
「あまり……その……」
「殴ったりとかはしませんよー。俺こう見えて平和主義者です。だから先生たちは、お茶とか飲んで待っててください。終わったら電話しますね!」
そうして足を踏み入れた応接室には、田中鞠江と小宮作彦がいた。真っ青な顔でこちらを見上げるふたりの表情が、彼らが偽幽霊動画の発信元であるということを証明していた。
「まとめると、事の発端としては宮内氏の賞受賞に逆ギレした小宮氏が不法侵入した悠木氏のお部屋でジャンベが勝手に鳴り出した、と」
「逆ギレとか言うな!」
「逆ギレじゃん。ちなみに田中氏の担当は何だったんです?」
「あ、あたしは……」
恋人の葬儀の日に騒ぎ立てていた女性は田中鞠江という名前だったのか、と私はぼんやりと思う。応接室のソファに腰掛けているのは小宮、田中、テーブルを挟んで向かい合うようにヒサシ氏だけで、私たち3人はドアの前に突っ立ったままで話を聞いていた。なぜ恋人の死から3年も経ってこんな騒ぎが起きたのか、ようやく理解ができた。宮内くり子先生の翻訳演劇賞受賞の際には私は既にチームで仕事をしていた。あれがトリガーだったのか。葬儀の際に平手を食らったことを、今も恨んでいたのか。その逆恨みの気持ちが、私の恋人に向かったのか……。
「ピアノ科にも友だちいるから、悠木先生が外してるタイミングで小宮教授に連絡して……誰も使ってない倉庫みたいなとこにジャンベを持ってって、撮影して、あと映像の加工を……」
「技術班というわけですね。音は?」
ヒサシ氏の重ねての問いに、俺だよ、と小宮がヤケクソになった様子で即答した。
「でもあのジャンベ、俺が初めて悠木の部屋に入った時には勝手に鳴り出したのに、いざ叩いてみたらうんともすんともいいやしねえ」
吐き捨てる小宮に対して、不思議と憎しみは湧かなかった。先ほどの供述で私の恋人を貶めるようなことを言った田中に対しても同様だ。なぜだろう。
「警告と抵抗」
ヒサシ氏が言った。今までとはまるで違う、冷たい響きだった。
応接室のテーブルの上には、恋人のジャンベが置かれている。
「これ以上関わるなという良守氏からの警告、それが初めの音です」
「はあ……?」
「音を出さないのはあなたたちにはその権利がないという抵抗です。理解できませんか?」
侮蔑の音だった。ヒサシ氏は小宮、田中両氏を心底軽蔑している。
「田中鞠江さん、あなたは愚かな人だ。良守氏に勝手に懸想し、勝手に恋に破れ、こんな男に手を貸した。俺の兄ならあなたに対して『もっと自分を大切にしなさい』とか言うでしょうけど、俺は言いませんよ。あなたは愚かで、とても醜い」
「みに、く……!!」
田中が顔を歪める。ああ、可哀想に、と思った。他人に、特に男の人に、こんな風に言われたことがないのだろう。
「魂がみっともない。それから小宮作彦さん、あなたの存在は本当に不愉快だ。不愉快極まりない。俺はあなたみたいな人が大嫌いだ。だってあなたはスタジオミュージシャンなんかじゃない。あなたの仕事が全部カネを払ってクレジットに名前を入れてもらったものだってことは、もう裏が取れてるんですよ。俺の兄の友だちにそこそこ腕のいい探偵がいて、そいつがもう何もかも調べ尽くしています」
「た、探偵まで雇ったのか……こんな、たかが悪ふざけを糾弾するために……?」
悪ふざけ、と傍らの真野が唸った。三藤は今にも殴りかかりそうだ。私は、私の心は、奇妙に冷えている。
「
ヒサシ氏が呼んだ。私は夢の中にいるような気分でこちらを振り返った彼の顔を見詰める。
「どうしたいですか?」
それは、私が決めて、いいことなのだろうか。
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