エピローグ
「ふむふむ。なるほどなるほど。これはこれは」
海に面した町。既に機能を果たしていない、時代から取り残されたようにポツンと佇む廃灯台があった。スクルドがそこを不法占拠して今も生活していることは、数週間前に偶然この灯台にやって来た伏川夏海しかいない。
スクルド。自称数百年の時を生きている女性。「スクルド」といえば北欧神話に登場する運命の女神の一柱の名だが、それが彼女の本名なのかどうかも不明だ。ただ一つ確かなのは、彼女が夏海たちの住むこの町に持ち主の運命を変えるタロットカード【アルカナ】を持ち込んだということだけ。
彼女は現在、パチン、パチンと軽快に指を鳴らしながら住処の灯台内で虚空を見つめている。その視線の先には何もないはずなのだが、何もないはずの空間に彼女は確かな何かを認めているようだった。
「———さっきから何独り言言ってるんだ?」
そんな彼女の行動の真意が、傍にいた伏川夏海には理解できなかった。彼の目から見れば、ただ妙齢の女性が何もない空を見つめてニヤニヤ笑いながら指を鳴らしているようにしか映らないのだろう。
ちなみに、夏海はスクルドの指を鳴らす癖を気に入っていない。特に会話中に指を鳴らされると集中力を欠いてしまうのだ。
「なんだ、いたのかお主」
「なんだとはご挨拶だな」
夏海は
対するスクルドの方は、伏川夏海という個人に対する興味関心はさほど持っていない。数百年に渡り多くの人々の運命を見届けてきた“傍観者”からすれば、夏海がこの灯台に現れ
だから今も、彼女はただ見ていた。
彼が憑かれた
そのどれもが、これから先等しく彼の前に現れる運命という名の分岐路だ。彼がどの運命に選ばれるのかは分からないが、彼にとっては、そのどれもが決して幸福な運命というわけではないだろう。
運命は変わるが、変えられない。
彼がこの先何を選びとろうと、多くの不幸と受難が襲い掛かる苦難の道を辿るのは変えようのない運命だ。
「のう、お主」
パチンと小気味よく鳴らした指で、スクルドは伏川夏海を指した。
「ん?」
「お主のこの先の人生に一寸の幸福も喜びもなかったとしたら、それが変えようのない運命だと天から定められてこの世に生まれてきたのだとしたら、今のお主はこれ以上先を生きたいと思うか?」
「多分、生きると思う」
夏海の回答は、スクルドの予想に反して存外早かった。
「なぜ?」
「死ぬのは怖い。というか幸せとか不幸とか、生きる理由にそんなのって関係ないと思う。たまたま生まれちゃったけど自分でも死ぬのも怖いから仕方なく生きる。それだけ。幸福も喜びも不幸も悲しみも関係ない。強いて言えばこの世界に生まれてきたことが一番の受難だよ僕は」
スクルドは少しだけ、伏川夏海という個人に興味を持った。
人というのは今も昔も各々の幸福を目的に生きているとスクルドは思っていたし、実際に彼女が管理するタロットカードと出会ったばかりに運命を狂わされた人々を彼女は掃いて捨てるほど見てきた。まして
だが彼は、生きることの価値観が他の大多数とは違うようだ。自分も含めて。
———幸福も不幸も関係なく、ただ生まれてきたから生きる。
———この世界に生まれてきたことが一番の受難。
「なるほど。お主がこの
「え?」
「なんでもない。それで、今日はどうしたのじゃ?妾も暇ではないのじゃが」
「あんたほど暇してる人を僕は知らないよ」
カードを通じて持ち主が辿り得る運命を見ることができるスクルドだが、そんな彼女でも分からないことはあった。
———お主がこれから訪れる苦難の運命の中で何を思い、何を信じるのか。
———たとえ不幸だったとしても納得できる人生を送れたのなら、それが一番の“幸福”なのかもしれんの。
月に魅せられて 棗颯介 @rainaon
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