117 未来
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アールデコ調の優雅な部屋の中で、白いドレスを身に纏った女神はうなだれる友人に慈愛の籠もった目を向けていた。
3人掛けのソファに深く座った人物は、「悪魔らしく」顔を白く塗り化粧をしている。
大悪魔カッカがテトゥーコの手により天界に連れ戻されてから間もなく、カッカはこの部屋で意識を取り戻した。
「迷惑を、掛けたようだな」
「カッカさんがいついなくなったのか気付かなかったのもいけなかったですしね。ウジハーラさんにカッズさんにウィザーワさん、学問の神々がアナタを必死に探しましたが見つけられなかった。……思えば、あの時にはもうアナタは勇者アーノルドの中で眠りに就いていたのね」
大悪魔カッカは、本来非常に理性的な性格であった。神が森羅万象を司る以上、死や破壊を領分とする者も必要となる。堕落や破壊をその本分のうちに抱えながらも、彼はその力を好き勝手に振るうことは決して無かったのだ。
テトゥーコを初めとする神々は、それをよく知っていた。「大悪魔」カッカはその理性で、ともすれば悪逆に傾きかける本能を厳しく律していると深く信頼していた。
「吾輩も、老いたのかもしれないな。この身に澱のように溜まる穢れが理性を侵食していることに気付いたときには手遅れだった。既に人格ある人間をこの大悪魔の依代とすることはどうにもできず、まだ胎児だったアーノルドに勇者としての祝福を与え、その中で眠りに就くのがやっとだった……。勇者となっても崇敬が足りずに目覚めなければそれで時間稼ぎにもなる。もし吾輩が目覚めることになっても、人の正しき行いで断罪をされることを信じていた。――吾輩は、宿った赤子を、アーノルドをある意味誰よりも信じていたのだ。彼が正しい道を歩むなら、紡ぎし縁がきっと彼を止めるであろうと」
「それはある意味正しかったのね。私の聖女が勇者アーノルドの側にいたのも、異世界からの転移者であるジョーさんがあそこまでの力を発揮したのも、全て偶然ですけど。まさしく勇者アーノルドは自らの積み重ねた信頼で自分を止めて見せた。そして、正気を失っていたカッカさんが大暴れしたことで澱んでいた穢れも全て噴出し、アナタは正気に戻って元通り。これから先何千年かわかりませんけど、このような事態は再び起こることはないでしょう」
「もっと早くに気付けば、他の神に助けを求められたのだが……吾輩の勇者には酷な運命を背負わせてしまった」
指を組み、カッカは深くため息をついた。テットゥーコはその友の哀切な表情を見ながら、ぽつりと呟く。
「彼の最期は悲しいものであったけど、彼の人生そのものは悪いものではなかったと私は思いますね。――彼は、様々な人にあんなにも愛されたのだから」
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大悪魔カッカとの戦いの翌日、俺はアンディさんとダイアンと一緒にボッコボコにしたハロンズの城壁近辺を修復していた。
まだ固まっていない溶岩とその中に落ちて絶命した魔物を一塊で収納して、穴を掘ったときに魔法収納空間に入れた土を使ってそこを塞ぐ。3人がかりで掘ったものだから、3人揃わないと土が足りなくなるのだ。
溶岩をしまって土を元通りに入れると、そこだけ色は違うけども戦いの爪痕は驚くほど消えた。今は草も生えていないけど、春になったら元通りになるだろう。
そして、ニルブス山の山頂へ移動して、回収した溶岩を火口に放り込んで処理は完了。1ヶ月くらいしたら新しい溶岩を取りに来よう。
昨日の戦いは激しいものであったけど、最初に魔物の迎撃に当たった人たちに犠牲はあったものの、プリーストが総動員されていたので命がある人は全て助かった。それがせめてもの幸いだ。――いや、死んだ人がいるのに「少なくてよかった」と思うのは俺には正直しんどいけども。
大悪魔カッカと対峙し、それを倒したサーシャの活躍はもちろん素晴らしいものだった。だけどアンギルド長はサーシャに並んで俺と教授を戦功第1として国王陛下に報告したらしい。俺が溶岩の堀を作ったことで魔物の侵入を徹底的に拒んだことと、教授が発明した魔道具が近接戦闘を減らして犠牲を最小限に抑えたからだそうだ。
そこまで聞いて嫌な予感がしたけれど、10日後にこのヤフォーネ王国を治める国王陛下に謁見することになった。招かれたのは俺たちのパーティーと教授とルイ。アンギルド長も列席する。
もちろん、神殿のプリーストや騎士団員、冒険者も含めて戦った人間全てに功績があるけども、その全てと会うわけにいかないから代表でということらしい。
「なんで自分も行かんとあかんのや!? 目立った働きなんて何もしとらんで!」
夏に礼服を仕立てたときからソニアの覚悟は決まっていたようで、国王謁見と聞いたときも少ししか表情を動かさなかったけども、サイモンさんの方が予想外の事態に大騒ぎだ。
「聖女のパーティーメンバーだからよ。私たちはサーシャとジョーのおまけ。さ、諦めなさい。明日は礼服を仕立てに行くわよ。前に作ったのは夏用だから今は着られないわ。今回も仕立てが急ぎね……この前ほどじゃないからいいけども」
乾いた声でソニアが笑う。仕立てと聞いて一気にメンタルポイントが減少したけど、今の俺たちにはとにかく何かをしている時間がありがたかった。
ソニアはアーノルドさんとはタンバー神殿に一緒に行ったくらいであまり付き合いがなかったから、それほどまでにショックは受けていないようだ。
でもレヴィさんは幼馴染みであり親友を亡くしたのだし、俺とサーシャは兄のように慕っていた人を亡くした。
昨日の夜は平静でいられそうになかったので、レヴィさんのことはソニアがなんとかするだろうと丸投げして俺とサーシャはケルボの実家まで戻って大泣きしてきた。
今朝はふたりとも目がめちゃくちゃ腫れてたけど、ばさまが心得てるとばかりに冷やした布を差しだしてくれて、それで腫れを抑えてきた。完全には治らなかったけど、昨日の今日だし目がちょっと腫れてることに関してはハロンズに戻ってきても誰も突っ込んでこなかった。
とにかく、昨夜はケルボに行ってよかった。兄のような人を失った悲しみを和らげてくれたのは、家族だったから。
……落ち着いたら、またしばらくケルボにいたいな。
そして迎えた謁見の日、俺たちは新調した礼服に身を包んでガチガチになりながら玉座の間で国王陛下を待っていた。
俺とサーシャは同じ紺色の布を使った礼服で、夏の礼服よりも飾りが少ない分品があるしサーシャの色の白さを引き立てていてなかなかいい。俺はこっちの世界に来たときに着ていたブレザーをちょっと思い出した。
ソニアとレヴィさんも布がお揃いで、深い緑色がどちらにもよく似合っていた。ソニアは「緑だと派手になりすぎるのよ」と前は言ってたけど、唐草みたいな模様の織り込まれた
ここの二組は「結婚を前提にお付き合いを!」の域なので、服装が同じ
教授は明るめの紺色の上着に白いズボンの礼服、ルイは暗赤色の上着、そしてアンギルド長はドレスではなく臙脂の上着と白いベストに白いズボンで、安定の男装だった。俺から見ても格好いい。
アンギルド長含む男性陣は片膝をついて胸に手を当てる礼の作法、サーシャとソニアはさすがに片膝付くわけにはいかないのでドレスのスカートを摘まんで片足を引き、膝を曲げるカーテシーで陛下を迎えた。
「楽にするがよい」
俺が想像していたよりも柔らかい声が掛かって、アンギルド長が立ち上がったのに倣って俺も立ち上がる。
初めて見たヤフォーネ国王は、温厚そうな顔をした壮年の人物だった。その顔には笑みが浮かべられ、高い位置にある玉座から俺たちに優しい眼差しを投げかけている。
「国王陛下のご壮健を心より御祝い申し上げます」
「クオリアンカ、堅苦しい挨拶は不要だ。この度の大悪魔カッカ及び魔物襲撃にあたり、その方らがハロンズ防衛に特に功多きことは聞き及んでおる。褒美を、と思ったが先に断られてしまったな」
陛下は笑みを深くした。アンギルド長とは親しげだけど、恐ろしいことにアンギルド長は陛下が子供の頃に剣の師匠をしたことがあるらしい。今更初めて聞いたけど、伯爵家の生まれなんだそうだ。そんな生まれで冒険者の世界に飛び込み、しかも冒険者でありながら王子の剣の指南役とかどんだけチートな人生を送ってるんだ、この人は……アン様だし。
事前にアンギルド長を通じて叙爵の打診とかがあったんだけど、根が小市民の俺はガクブルして断ってしまった。そもそも貴族なんて柄じゃないし、社交とか難しそうで絶対やりたくない。
そもそも今回は防衛戦であり、領土を勝ち取ったりする戦いじゃなかった。戦国大名みたいに「獲った領地を褒美にくれてやろう」って訳にいかないんだから、国庫から支出をしてもらうのは何か違うんじゃないかと自分の中で納得したのだ。
それを説明したら俺以外の人たちも「確かに違うよな」となったので、「城壁の修復や防衛戦で亡くなった人の家族への見舞金などに回していただくのが望みです」とアンギルド長を通して陛下へ奏上してもらった。ここで謁見を取りやめる流れもあったんだけど、俺たちにはどうしても直接陛下に言いたいことがあってこの場にいる。
「恐れながら、ひとつ願いをお聞き届けいただけますでしょうか」
サーシャが控えめに声を上げる。申してみよ、と陛下から許可が下りたので、彼女はひとつ深呼吸をして手を握りしめた。
「勇者アーノルドのこれまでの名誉をお守りいただきたいのです。今回は勇者アーノルドに加護を与えていたのが大悪魔カッカだったということでこのような事態になりましたが、勇者は長い歴史の中で現れる度に人の護り手として戦い続けてきました。彼も――神にその身を奪われなければ、決して人を害しようとは思わなかったはずです」
それが、俺たちのただひとつの願い。
ぶっちゃけ、ハロンズ防衛戦に至るまでの依頼ラッシュで、このまま働かなくても一生余裕で暮らせるよね? っていう程金が貯まっているし、高ランク冒険者はだいたいみんなそんな感じらしい。今更褒美をもらう必要もないのだ。
「それが聖女の望みか」
「この場にいる者全員の望みでございます」
「そうか。宜しい、神の企ては人にはどうにもならぬもの。勇者アーノルドのこれまでの功績を
「陛下の温かきお心に深く感謝いたします」
サーシャの礼は、俺たち全員を代表する心からのものだった。
この世界にも他の国はあるけど、俺が住んでるのがこの国でよかった……。
数年後――。
「こら、アーノルド! ちゃんと服を着ないと風邪をひきますよ!」
風呂上がりにサーシャの手を逃れて、俺たちの小さな息子が笑い声を上げながら走り回る。
ハロンズ防衛戦の翌年の春、出会ってからちょうど1年が経った頃に俺とサーシャはあのときの約束通り結婚した。日本にいたら18才で結婚することはそうそうないだろうけど、こっちの世界はいろいろと事情が違う。10代後半で結婚することも珍しくないらしい。その1年後にはレヴィさんとソニアもめでたく結婚した。
魔物の出現は以前よりもむしろ減り、後進の育成も必要なので星5冒険者である俺たちは、本当に星5でないと対応できない依頼以外は他の冒険者に回すことになった。
自然と、テント屋のミマヤ商会やオールマン食堂や蜜蜂亭絡みの方が仕事が増えて、こちらに来てから最初の半年の慌ただしさはなんだったんだろうという穏やかな時間が流れていった。
そんな中で俺とサーシャの間に男の子が生まれた。
俺によく似た黒髪と黒い目に、サーシャに似た整った顔立ち。黒髪と金髪だと子供は黒髪になりやすいらしいけど、その組み合わせはあまりにもあの人を思い起こさせて、名前は「アーノルド」以外に思いつかなかった。将来はきっとイケメンになるだろう。だってサーシャ似の美形なんだし。
まあ、今はフルチンで走り回ってるお子様なんだけど。
アーノルドを寝かしつけるために彼を挟んで3人でベッドに横になり、その日にあった色々なことをとりとめなく話す。クロはアーノルドの足元の布団の上に寝そべっていて、テンテンはぬいぐるみのようにアーノルドにくっついてすぴすぴと寝ていた。
教授がいろんな虫を見せてくれたとかルイが木登りを手伝ってくれたとかアーノルドは興奮気味に喋っていたけど、その内にアーノルドの手がポカポカとしてきて、突然こてんと眠ってしまった。
子供の寝付きはいつも唐突だ。レヴィさんとソニアの子供はなかなか寝付かなくてぐずるらしく、聞く度「アーノルドは楽なタイプでよかったなー」と思ってる。
「アーノルド、大好きよ」
サーシャが微笑んで息子の額にキスを落とす。次は俺が同じ場所にキスを落とす。
「アーノルドのことも、サーシャのことも大好きだよ」
「ふふっ、そうですね。私ももちろん大好きです」
息子を挟んで愛する人とキスを交わすこの瞬間、俺は間違いなく幸せに生きてると胸を張って言える。
これは、いきなり異世界に飛ばされて生きることになった俺と、俺が出会ったひとりの少女、そして、様々な周囲の人々との物語――。
殴り聖女の彼女と、異世界転移の俺 加藤伊織 @rokushou
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