きれいにたまご焼きを作りたい

藤光

きれいにたまご焼きを作りたい

 きれいにたまご焼きを作りたい。


 毎あさ、そう念じながらわたしはたまご焼きを作る。


 ボウルに生たまごを割り、菜ばしでかき混ぜる。

 たまご焼き器にうすく油をひいて、その上に解いたたまごを流し込む。




 ――卵焼きくらい、もっと上手く作れないのかよ!


 妻からうけとった弁当のたまご焼きに文句をつけた日。

 仕事からかえってみると、妻と娘の部屋はからっぽになっていた――。


 


 さて、たまご焼き器に広がった、たまごのうす焼きをどう巻き上げよう。

 きれいなたまご焼きを作るためには、ここからが肝心だ。

 菜ばしをにぎる手に力がこもる。


 ひと気のないリビング。

 空気の冷たいキッチン。

 開け放たれたドア。

 青空にせりだしたベランダ。


 できあがったたまご焼きを写真にとると、春の風をほほに感じながらTwitterにつぶやく。


 ――けさのたまご焼きです。


  メッセージといっしょにわたしのたまご焼きがスマートフォンをはなれて空中に舞いあがる。風にのって、空へのぼり、拡散していく。どこのだれとも分からない人のもとへと。



「ぼくの元へ来てるけど」


 午後、わたしは友人の玄山くろやまとふたり、博物館へ向かい歩いていた。


「毎日、きみのたまご焼きが、ぼくのタイムラインにやってくるんだよね」

「どう」

「もう少し美味しそうだったら、いいねするんだけどな」

「しろよ」

「もうお腹いっぱいさ。ごちそうさまだよ」


 もう少しわたしの気分をよくしてくれてもよさそうなものだが、友だちがいのない男だなあ。


「いいねが貯まらないね」

「大きなお世話だ」

あきちゃん、Twitterやってるんだっけ」

「……」

「はやく気づいてもらえたらいいのにね」

「……そんなんじゃねえよ」


 いや、ぜんぜんそんなんじゃねえってことはなかった。わたしはずっと、なのだ。


 秋は17歳になる。

 わたしの娘だ。

 妻とともに家を出ていってから一年。わたしたちはお互いに音信不通である。念願のスマートフォンを買ってもらった次の日のできごとだった。


 ――スマホを買ってもらったら、Twitterをはじめるんだ。


 うれしそうに話していたのが、昨日のことのように思い出される。


 あれからまいにち、わたしはたまご焼きを作っている。

 まいにちひとつずつ。365個。

 でも、ひとつとしてきれいにできたと思えるものがない。


「会いたいねえ」

「……」


 わたしは否定しなかった。


「きみは変わったのにね」

「そうか」

「うん、やわらかくなったよ」

「人をタコみたいにいうな」


 きょう、玄山とふたりで訪れる博物館では、いま『幕末の剣豪たち』という企画展が開かれている。幕末。志士とよばれた、在野の尊攘活動家の多くは下級武士で、剣の達人も多かった。


 妻と秋は坂本龍馬が好きだった。

 なんとかいうゲームのキャラクターとしての龍馬に惹かれて、親子そろって好きになっていったと話していた。


 ――かっこいいよね。でも、明治維新をみずに死んじゃったんだって。

 ――かわいそう。


 龍馬について書かれた本を手にして、ほんとうに悲しそうな顔でそういっていた。秋はまだ16歳になったばかりだったのに。


 背が高く、清潔な博物館では、広い敷地内のあちこちに志士たちにまつわる品々が展示されていた。


 玄関ロビーでは、近藤勇が。

 中庭では、土方歳三が。

 展示室へつづく大階段では、桂小五郎が。


 わたしを出迎えた。

 それぞれ、彼らにふさわしいただずまいで。





 ――かっこいいよね。

 ――お父さんも、こうだったらよかったのに。


 わるい父親ではないと思っていた。

 浮気もせず、よく働くよい夫だとさえ思っていた。


 あの日、暗くてがらんと広いばかりのわが家を目の当たりにするまでは。


 わたしは、なにをまちがえてしまったのだろうか。

 ひとばん、考えとおしたが、答えは見つからなかった。ただ、


「卵焼きくらい、もっと上手く作れないのかよ」


あのとき口をついた、じぶんの台詞となにも言わなかった妻の顔とが、ぐるぐると頭のなかで回りつづけるばかりだった。


 あくるあさ、寝床からはい出たわたしは、たまごを焼いた。油もひかれず鉄板で焼かれたたまごは、いびつで焦げていて、ちっともおいしそうでなかった。


 わたしは、まいにち、たまごを焼き続けた。

 からっぽになったこの胸がいっぱいになるくらい。


 ――かわいそう。





 展示室の一番奥では、坂本龍馬が待っていた。


「この展覧会の目玉だからね」


 うれしそうな玄山が、龍馬の展示スペースにかけよる。中学生のとき、司馬遼太郎の小説に夢中になって以来の歴史好きだ。愛読書は『龍馬がゆく』。


 写真パネルや、衣装、小物と並んで中央に一振りの刀が展示されている。玄山が見たがっていたのはこれだった。


「陸奥守吉行」

「なんだって?」

「むつのかみよしゆき――龍馬の刀なんだよ」

「ふうん」


 刀は思ったより短い。

 太刀といわれるからには、もっと長大なものを想像していたが、70センチくらいだろうか。


「龍馬が暗殺されたとき、身につけていた刀さ」

「へえ」

「この刀を振るう間もなく、殺されてしまったんだ」

「……」

「かわいそうだよなあ」


 そうなのだろうか。

 秋もそういっていたが、龍馬はかわいそうな男なのだろうか。

 展示室には、明治維新の立役者、悲運の志士、坂本龍馬の遺品にひと目でも接したいと大勢の人がつめかけている。


 こんなにも大勢の人たちに慕われる男が、かわいそうなものだろうか。

 それとも、かわそうな男だからこそ、こんなにも慕われているのだろうか。


 わたしは、こんなふうになれないのだろうか。

 たったふたりの女のための龍馬でいいのだ。

 わたしは龍馬になりたい。


 淡い照明のなかに柔らかくひかっている刀身をずっとながめていた。


 どれくらいそうしていたか。

 ふと、キッチンのにおいがした。

 

「あれ、秋ちゃんじゃないか?」


 玄山がわたしのひじを掴んだ。

 陳列ケースをはなれ、薄暗い展示室を出口へと去っていく若い女性を目で追っていた。


「似てるけどちがうよ」


 痛いよ、玄山。

 秋があんなにきれいな女性であるわけがない。

 若い女性は、つめかける人波をわけて出口へ向かう。 


「やっぱり、秋ちゃんだよ。追いかけなくちゃ」

「いいんだ」


 そんなに、わたしをひっぱらないでくれ。

 あの子は、あんなに背は高くなかったし、髪ももっと短かったんだ。


「よくないだろ」

「いいんだってば!」


 やっとのことで、玄山がわたしをひっぱって展示室を出たときには、人ごみにまぎれたその女性は、どこへ行ったかわからなくなっていた。

 わたしは、ほっとして、しかし、少し悲しかった。

 

 あのときすぐに追いかけていればと、さんざん玄山から責められた、博物館からの帰り道。


 わたしのスマートフォンにTwitterの通知音が。

 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……、いつまでも鳴りやまない。

 

 一年分のたまご焼き。

 365個のいいね。





 

 けさも、わたしはたまご焼きを作った。

 いつものように、たまご焼き器のうえで、くるくる巻いてできあがり。

 小さな皿にとって写真を撮ると、ベランダに出て、Twitterをつぶやくのだ。


 ――けさのたまご焼きです。


 空からやってきた通知音がスマートフォンに届く。

 いいね。

 が、たったひとつ。


 わたしは、きれいにたまご焼きを作りたい。

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きれいにたまご焼きを作りたい 藤光 @gigan_280614

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