第7話 手塚治虫なエロ世界!
いやあ、困りました。筆が進まず。
正誤は別に、要約するのは割りと得意だと思っていたのですが。
手塚治虫。・・要約できない。
あの膨大な作品の数。大半は未読ですが、大作傑作から迷作まで、その幅の広いこと。対象読者層も作風もころころと変わって。
『火の鳥』『ジャングル大帝』『ブラック・ジャック』『ブッダ』『鉄腕アトム』『陽だまりの樹』『ドン・ドラキュラ』『アドルフに告ぐ』『どろろ』・・
有名どころで未読なのは『リボンの騎士』『海のトリトン』『三つ目がとおる』・・他にもいっぱいありそうです。あ、むらさき毒きのこさんに教えて頂いた『ペックスばんざい』もまだ入手できてません!申し訳ございませんっ!探し出さねばっ!
しかし、ホントに数の多いこと。テーマも様々で。これをどこからどう語ろうか。もう困惑してます。
一番好きな作品?・・うーむ・・やっぱり『どろろ』かなあ。不朽の名作といえば『火の鳥』や『ブラック・ジャック』あたりでしょうか。・・でも、『どろろ』も好き。
子供の頃、親戚のおばちゃんちに古い漫画本が沢山ありまして。昔々おもちゃ屋さんをやっていた頃の名残らしく。高い本棚が立つうす暗い部屋で、僕はうんと手を伸ばして漫画本を引っ張り出したものです。どきどきしながら読んだ物の一つが『どろろ』でした。
百鬼丸、主人公じゃないんですよね。いま思えばここら辺も実にうまい。父親のエゴで四十八箇所の器官を妖魔に喰われて生まれ来た男。妖魔を屠る度、体を取り戻していく。育て親の名匠が充てがってくれた人造臓器が外れ、もごもごと本来の臓器が生えてくる。その描写がなかなかグロテスクなのですが、思えばエロテックでもあるんです。物が命を宿していく様。そうか、フェチズムといってよいのかもしれません。そんな生け贄としてのヒロイン役とそれを救い出すヒーロー役、これを一手に引き受ける百鬼丸。読者はその姿を、主人公どろろを介し見せ付けられる。やあ、流石は手塚先生、エロいです変態ですっ!子供の頃には気づかなかった、この設定の『妙』。エロス溢れる設定はそれだけじゃありません。神話時代からの父親殺しと母に対する葛藤。妖魔たちの宿業。そして、主人公どろろのサガ。読み直してみると見事としか思えない物語ですが、実はこの作品、打ち切りの憂き目にあっているのです。えーっ!あり得ないでしょう!?と吃驚ですが、連載当時は人気が出なかったらしく。・・天才は早すぎるんですよ、たぶん。
だからなんでしょう、ラストが妙にスパンっと終わるんです。それが却って話の続きを夢想させまして。
私はどろろの視点で百鬼丸の背中を追っていたように思います。その頃私が夢想した物語の続きは『どろろはいつまでも子供のままで。百鬼丸はいつまでも憧れで』。こんなところにも、漂うエロスを感じます。
◇
さて、今回お話したい手塚治虫の作品は、『奇子(あやこ)』。これ、隠れた名作だと思ってます。
終戦直後。復員船で戻ってきた天外仁朗(てんげじろう)を母のいばと妹の志子(なおこ)が出迎えます。汽車で実家に戻る前、仁朗は少し街を歩きたいと彼女らと別れます。仁朗が向かった先はGHQ本部。彼は米軍のスパイとなっていたのです。
実家に帰ると下男たちが仁朗を温かく迎えますが、父の作右衛門(さくえもん)は仁朗に「何故、國のために死ななかった」と辛く当たります。母が取りなすも頑迷な作右衛門は聞く耳を持ちません。天外家には封建時代の絶対的家長制度が息づいているのです。
天外の家の人々を紹介しておきましょう。長男市郎(いちろう)は父に従順な男です。顔を下げて嵐が過ぎるのを待つばかり。市郎の妻すえは、美人ながらも苦労のためか、暗い影を背負った女性です。長女志子(なおこ)は天外の家では最も常識的な人物。三男伺朗(しろう)は年少者ながらも理知的な少年で、その言動に仁朗も時々舌を巻きます。そして次女の奇子(あやこ)。この幼い末娘を、作右衛門は溺愛します。最後に、小作人の娘のお涼(りょう)。作右衛門が生ませた私生児で、知的障害を持ちますが奇子の良い遊び友達となっています。
事件は、GHQ の指令により仁朗がある殺人事件に関与することから始まります。GHQ からの指示は、『殺害された男の死体を線路に放置して轢死体に見せかけよ』、というものでした。写真で男の顔を確認する仁朗。ところが偶然にも、その男を町中で見掛けてしまいます。こっそり男の後を追う仁朗。すると男は一軒の飲み屋に入ります。そこは、共産思想グループの会合の場でした。なんとそこで、妹志子の姿を目撃します。仁朗の標的の男は、志子の恋人だったのです。
指令を果たして家に戻った仁朗は、自分のシャツに血が付いていることに気付きます。慌ててシャツを洗いますが、そこをお涼と奇子に見られてしまう。指令は極秘であり、内容が露見することは絶対に避けなければならない。仁朗は、お涼を殺めてしまいます。
隠蔽工作を進める仁朗。ところがそこに思わぬ伏兵が現れました。明晰で論理的な伺朗です。伺朗は仁朗の挙動を怪しみ、真相を暴こうと行動します。焦った仁朗は事なかれ主義の市郎を抱き込みます。天外の家から犯罪者を出すのはまずい。市郎は伺朗の暴き立てを潰し、更には奇子を病死したものと届け出て、土蔵の奥に『幽閉』してしまうのです。
因習と粘っこい家族関係。ええ、まるで横溝正史の世界ですね。幼少の頃に幽閉された奇子は様々な要因の末、その後なんと二十年以上も土蔵に監禁され続けるのです。
天窓から零れる光を僅かに浴びるのみ。殆んど薄暗い密室で寝起きする奇子は、妖しいまでの美しさを醸し出す魅惑的な女性へと成長します。
そして。外界から隔てられ育った彼女は、『禁忌』というものを知らない女となってしまったのです。
やばいですよね?やばいでしょう?もう、この設定だけでくらくらしちゃいます。濡れ光るような肢体を暗闇に横たえ、幼く純真な眼差しで疑うことも知らずに受け入れる女。怖いくらいに猛烈な色香が漂うのです。
この作品では、ある意味様々な『変態性』が語られています。なかでも大きいのは天外家の『因習』。代々の名家である天外家では、外界の『常識』は通用しません。天外家独自の価値観とルールで運営されている。構成員たる人々も、故に独特な行動を執ります。
この作品に触れたとき、『こんなのあり得ない』『人として間違っている』とお思いになる方もいらっしゃるでしょう。しかし、私は愚考します。『正しい』『間違っている』の判別の前に、『人とはごく自然に、そんな欲望も持ち得る存在』なのであろうと。
『生命の形に普遍的なものが存在し得ないように、普遍的な価値観も存在し得ぬだろう』
『常識などというものは、衆に紛れたい者の幻想にすぎぬであろう』
『変態とは、自らの中にはない他者の姿をいうのだろう』
そんな意見を有する私にも、『奇子』は考えさせる作品でした。どろどろした欲望が、あくまでも清廉と美しい奇子の上に覆い被さるとき、その姿はエロスの形で立ち上がってくるのです。
更に詳しく語りたいのはやまやまですが、未読の方もいらっしゃるかと思いますのでこの辺にしておきましょう!傑作ですので、是非お手に取ってみてください!
◇
『漫画の神様』手塚治虫を総括するのは不可能に思われるのですが、エロスに限定し、あくまでも個人の『感想』として、かつ、『アニメの巨匠』宮崎駿と対比してみたら、次のようになると思いました。
――
あくまでも個人の感想ですよっ!
宮崎駿が『乙女のエロス』ならば、手塚治虫は『親父のエロス』。
隠すことなく全力フルオープン。いや、表現としてのメタファーは勿論あるのですが、まず『恥じらい』は皆無です。むしろ、エロを用いて『生とは美しいだろう?』とぬらぬら
『高尚も猥雑も地続きで、全てはお前さんの中に有るものさ』と。
・・もしかしたらこういうの、苦手な方も多いのでは?
ただ。この親父殿は、やっぱり凄いです。悟りという難解な境地に挑んだ『ブッダ』、時代という大きな流れに抗おうと藻掻く人物を描いた『シュマリ』や『陽だまりの樹』、ヒットラーにユダヤ人の血が流れていたとする壮大な歴史漫画『アドルフに告ぐ』。これらはもう、それぞれが超のつく大作です。加えて、漫画史に永遠に君臨し続けるであろう一話完結型の名作『ブラック・ジャック』。そしてなにより。もしも読んでいないなら人生大損しているようっ!という『火の鳥』。
まあ、ばけもんです、親父殿。
宮崎駿は、エロを見せようとはしません。もちろん、エロを無視するのではなく、エロを避けるわけでもなく、エロがそこにあることを前提としながら、敢えて描かない。名刀は鞘の中だと謂わんばかりに、エロを大切に扱うがゆえに、安易にエロを語りません。
対する手塚治虫は、見せます。美しいもの醜いもの、世に溢れるものも見えにくいものも、きっちり描いてみせるのが漫画だとばかりにエロを容赦なく見せ付けます。多岐にわたるテーマを扱いつつ、その作品で一貫して語られるのは『生命の尊さ』。その生命の姿こそがエロスそのものなのだと、豊かなエロスが満ち溢れます。
『ばるぼら』という作品がありまして。これがもう、実に直截的な作品なんです。『エロスの擬人化』、とでもいうのでしょうか。芸術とは金や名声でないことは勿論、称賛を求めるものでもない、衝動であり酩酊と快楽の欲望への爆発。芸術とはエロスそのもの。
・・そんな風に私には読めました。まさに文藝作品。是非とも、皆様よりこの作品の読み方を、ご教授頂きたく存じますっ!
そんな手塚作品ですから『悪書』と吊し上げを食らうこともあったそうで。清濁合わせ飲み、これを吐き出し撒き散らす親父殿は、もちろんめげたりはしないのです。高尚な哲学を語りながら、エロについても教えてくれる偉大なる親父でした。
いやらしいと顔をしかめられても、キモいと蔑まれても、威風堂々と笑っている、そんな大きな親父だったのだと思います。
親父殿の背中を見詰めながら、呪文堂も必死に考えました。
生命を語るとき。
エロスとどう、向き合うのか。
・・そもそも何故。表現したいのか?
『生きる』こと自体が、『表現』そのものだとするならば。
隠してむしろその力を高めようか。自らの生を語る術として用いようか。渾然一体、自然のままに共にあろうか。
どのように表現するかは、どう生きるかに直結する。
そして、エロスこそがその生の
親父殿の作品を眺めながら、ぼんやりそんなことを思いました。
いやあ、掴めませんねえ。漠然としてますねえ。・・今はこれが精一杯。
文豪、巨匠、神様。偉大なる表現者たちに触れてきましたが、分かったような解らなくなったような。でも、このコラムを始める前と比べて明確に解ったことが一つあります。
いまはそれを胸に宿し、精魂込めて刻み込むように書くしかありませんっ!
ヒひゅーっ。まだまだ訪ねるべき文豪、巨匠、名匠、達人が山のようにいるのですが。ぐるぐる渦巻いちゃってまして。これを解決させるには、もう対峙するしかありません!
ひょんなことから始まってしまったこのコラム、そんなわけでしばらく休止とさせて頂きます! またそのうち、悩みがぽんと形になりましたら、戻って参りたいと思います!
ここまでお付き合いを頂きまして、誠に誠にありがとうございましたっ!しばしの間、お
また是非、皆様のご指導を賜りたくっ!
本当に、ありがとうございましたっ!
エロス
エロも大好きっ!!❤️
(つづく。←たぶんっ!!)
文藝と官能小説の狭間で 呪文堂 @jyumondou
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