​七草粥の話

「B君、私は君に持論を説く前に、一つ感謝しておきたいことがある」

「はあ」

 蛇のごとき顔を心持ち神妙にしながら、A博士はB君を見つめるのである。

 夕食時であった。差し向かう二人の間にはそれぞれ、湯気の立つ七草粥が置いてある。

「君の料理の才は素晴らしい。いつも旨い飯をありがとう。先日の御節、雑煮――、また日々の食事であれば君の作る春巻。あれはかの中華料理店など負けを認めざるを得ない腕前と言えるだろう。またそもそも、米を上手に炊けるというのも私は一つの才だと思うのだ。そう、君には天賦の才がある、素晴らしい」

「はあ――」

 滔々と流れるような演説に、B君はまたいつもの悪癖が始まったと小さく息を吐いた。

 とは言え今回は、ひたすらな賛辞が溢れるように降ってくるので、B君とて悪い気はしない。

 しかし器用に喋るものだと受け流しつつ、B君はふとあることに気づいた。

「博士」

「何だね、料理の王たるB君よ」

「召し上がらないのですか」

 A博士の七草粥は一向に減っていない。

 指摘された途端、A博士はその語気を弱め、しょんぼりとした表情をその蛇のごとき顔に顕す。

「そう。そこが一点、天賦の才を持ち料理の王たる王のB君に申し上げたいことなのだよ。君は天性の才を持っているというのに、何故その才を存分に振るわず、このような――、雑草と米を浮かべただけのスープを毎年私に提供するのだ」

「一月七日ですから」

「いいや。いいや。それは理由になり得ないのだよ。世間一般で一月七日に七草粥を食すのは、いわゆる胃腸休めというやつだろう」

 A博士は、お前は何も分っていないとでも言うような顔で首を振る。

「一月七日に七草粥を食す、これは当然のように今行われているが、元を辿れば所謂ただの『慣習』というやつだろう。つまりは暴飲暴食で胃が疲れるだろうからという気遣いから始まった文化であるな。きっとこれを定めたのは心優しく賢い女性であったと推測する。しかしだねB君。心配から七草粥の慣習を定めたその優しき女史に私は言おう。気遣い大いに結構、お気持ちは大変ありがたく頂戴すると。しかし私もいい年だ、己の管理は己でする、己の事には己ですべて責任を持つ。自ら食べる物は節制し、摂取したエネルギーは発散まで行う」

「はあ――」

「心優しき女性よ、せっかくのお心遣いを無碍にして相済まないが、己の管理は己が行う、己の行動には己が責任を負う。だからもう、お気遣いはなさらず結構」

 A博士はそこで言葉を切ると、改めてB君の顔を見据える。

「というわけでだ、B君」

「はあ」

「私は今、君の料理――無論、君の作ったこのスープが非常に美味なることも知っているが――、それより極上の、君の作った春巻が非常に食べたいのだ。私の胃は油分を求めているのだ、理解してくれるかね」

 A博士の目は期待に輝いていた。

「はあ」

 要するに、七草粥が得意でないゆえに、屁理屈で要望を通す魂胆だろうとB君は推測する。

 ――春巻なんてまた、時間のかかるものを。

 しかし反論すればそれこそ春巻を作るより長い時間弁舌に晒されなければならない――、と困ったB君はふと閃いた。

「博士」

「何だね」

「博士は先ほど、己の管理は己で行い、己で責任を持つと仰いましたね」

「ああ無論。成人男子として当然だ」

「その責任は全てにおいてですか」

「無論」

「本当ですね」

「無論だ、B君」

「では食事を作る責任も」

「――」

 A博士は渋い顔をする。

「僕は自堕落な人間ですから、ありがたく優しい女史の気遣いを受け取っておきます。どうぞ博士は、己で責を負い、己で管理なさってくださいね」

 ただ冷静に言い放ち、B君は空になった器を持って立ち上がる。

 鍋と自らの食器を洗いながら、動きのないA博士をちらりと振り返ると、渋い顔のまま、一さじ一さじ、七草粥を啜っていた。

(明日は、春巻にして差し上げよう) 

 一月七日の夜であった。


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