悩みの種

 B君とA博士とが引き合わせられたのは、B君の収まらぬ頭痛からであった。

 B君はそれまで会社勤めをしていたが、ある時から理由のない頭痛に悩まされるようになった。

 身体にはもちろん、心にも原因を持った覚えはなく、各病院を回ったがやはり重大な疾患は見当たらなかった。

 それだのに、急に頭痛が始まって、やがては布団から起き上がることすら相成らぬ状態になった。

 会社に行けないのだから、当然ながら勤めはやめねばならず、家族も友人も心から同情し、心配し、八方手を尽くして病院を探し、またいろいろの薬をくれたのだがB君はすべて断った。

 それは、人に会えば同情の目を向けられるからというよりも、自身の自尊心が大いに傷つけられるからであった。

 そうして一人住まいの部屋のカーテンを閉め切り、死ぬ勇気を持てぬ自身を恨みながら日々を過ごしていた時に、部屋の扉が唐突に開けられた。

 遠慮もなく部屋の中を突き進む蛇のような顔を、呆気にとられながら眺めていたことをB君はよく覚えている。

「思うに君の頭痛は太陽を見れば治るのではないかね」

「どなたです」

 A博士は初め名乗らなかった。

「君を悩ますのはいわゆる『悩みの種』であると見える」

「は?」

 知り合いが妙な宗教家でも頼んだのか――、と思ったB君は唐突に開けられたカーテンの向こうから光が射したので、思わず手で目を覆った。

「見るのだ。見たまえ、浴びたまえ」

「何がです」

 A博士はB君が目を覆うのを許さず、目いっぱいに光を浴びさせた。

 太陽療法の真似事か、とむっとしたB君の口に、今度は甘いパウンドケーキが突っ込まれる。

「種は太陽と栄養と水があれば開花するのだ。私はただ学術的興味で、君の中にある悩みの種を開花させてみたいのだよ」

 蛇のような顔がニヤニヤ笑う。

 咳き込んだB君はA博士の差しだす水を飲み干しながら、漸く冷静さを取り戻した。

「悩みの種なんてありませんよ。何です、あなたは宗教家か何かですか、誰に頼まれたんです。いきなり人の家にやってきて――、第一どうやって部屋を開けて――」

「良く喋る土塊だな」

「誰が土塊ですって」

「違うのかね。動かず隅っこに固まっていたから、人だと思わなかったのだ」

「……」

 今まで家族や友人の同情に悲哀に優しさに浸っていたB君にとって、久しぶりに聞いた厳しい言葉であった。

 A博士は続ける。

「土が種の種類など知る必要があるものか。私はただ君の中にある悩みの種に興味があるから、光を水を栄養を与えて開花させてやろうというのだ。そうして咲いてから、花の面をじっくり拝んでやろう。種が何だったのか知るのは、土に栄養を与え開花させた後で構うまいよ」

「無茶苦茶だな、あんた……」

「あんた、ではない。私は屁理屈学の第一人者、Aという者である。君は晴れて私の実験台となったのだ。これから研究所に運ぶ。そこでは必ず一日一度の日光と、水と栄養を約束しよう」

 斯くして土塊たるB君は無理やりにA博士にこの研究所に運ばれて、今に至る。

 残念なことに、当時は無茶苦茶たるA博士を追い返す気力も訴える気力もなく、またようよう気力がわいたころにはB君はA博士の研究所の弟子として働き始めていたのであった。

 悩みの種の正体は色々と折り重なっていたようではあるが、それらは開花し、そして枯れ、今や見る影もなくなってしまった。

(ありがたいことだが――、しかし)

 ――果たしてA博士がどのようにしてB君の状況を知り得たのか、B君には未だもって謎である。

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