絵を描く話
B君は手慰みに絵を描いていた。大層なものではなく、広告裏の白い面にボールペンを走らせるのである。最近は裏の白い広告もつるつるしたものが多く、鉛筆では歯が立たない。
「ほうこれは素晴らしいタヌキだ」
「はあ、いえ、これは」
古新聞の整理が終わった休憩時間とは言え、師たるA博士に見つかってしまったことに狼狽したB君は続く言葉を失った。屁理屈学の権威たるA博士はその蛇のごとき目をこたつの上の幼い絵に注ぎやがて皮肉屋らしい表情を覗かせる。
「いや、続けてくれたまえ。君のそれは趣味だ、趣味であるならば好きに続けるべきである」
「はあ、ありがとうございます」
「うむ。趣味は素晴らしい。しかし世には純然たる趣味をまるで将来の仕事であるかのように決めつける人がいる。君、いったいあれは何なのかね」
「はあ」
幼い絵の言い訳を必死に考えていたB君は、A博士の悪癖たる屁理屈学の講釈の始まるのにすぐには気づかなかった。
「絵を描くのがうまければ画家にならぬのかと聞き、物語を書くのがうまければ作家にならぬのかと聞く。これは何故かね。何故趣味を楽しむのに職業が関わってくるのかね。期待を込めているのもあるのかね、だとすれば素晴らしかろうがそのような人たちの中に彼らの将来を本気で案じる者がどれ程あるだろう。それに食べるのが好きな子に力士を勧める一方で、きれい好きな子に掃除屋を勧めるものは稀だ。君、これは却って職業差別ではないのかね」
「はあ」
「趣味は趣味たるべきである。そうして彼の将来は彼のものである。彼が決めるべきなのである」
「はあ」
B君は曖昧な返事を返す。冗談混じりに人の将来を決めるでないとの講義を終え満足そうなA博士に、B君は言わねばならぬことがあった。
「ところで博士」
「何だね絵のうまいB君よ」
これはタヌキではなく、熊である。ついでに言えばB君の絵の才能はからっきしで、ヘリコプターを描けば蛸と言われ、蜥蜴を描けば亀と言われる。どうも目指したものは他人の目には違って映り評価されるのだ。
しかしそれを言えばきっと「君はこのタヌキの将来性を熊に決めてしまうのかね、タヌキにも熊にもなれる可能性があるということだろう」との流れになるだろう。
「昼食を作ります」
「楽しみにしている」
描きかけのタヌキはそのままに、B君は立ち上がった。
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