花粉症の話
A博士は朝からくしゃみをしていた。その蛇のごとき眼眸を細め、まるで小爆発でも起きるような景気のよいくしゃみを繰り返すのである。
「博士」
「何かねB君」
B君はA博士の弟子である。弟子であるからにはA博士の究めた屁理屈学の、その後継者たる人物であった。A博士は愛弟子を、ただれたように真っ赤な瞳で睨み付ける。
「博士は病院には行かれないのですか」
季節はそろそろ春を迎えんとする頃であった。しかるにこの、A博士の朝から繰り返す景気のよいくしゃみも真っ赤にただれた目もきっと花粉のせいではないかとB君は思ったのである。
「君も私が花粉症だとでも言うのかね」
「はあ」
しかしその言葉はA博士の悪癖たる長弁舌を始めるに充分であり、Bくんの曖昧な返事を受けて水を受けた魚のようにA博士は滔々と語りだした。
「人は私がくしゃみをすればそれは花粉症だという。それは思い込みではないかね。人がくしゃみをするのは何も花粉に限ることではないだろう。最近ではあちらこちらから細かい粒子が飛んでいるのだ。AM4.5だけではないぞ、他にもある。ぶえっくしょん。風邪を引いた可能性だって十二分にあり得るし、その他新種のウイルスである可能性もある。いくら春先にくしゃみをしていようと安易に花粉症と片付けてしまうのはそういった病気への気づきを遅らすもとでもあるのだ」
「はあ」
どうも花粉症とは認めたくないらしい博士の言葉を受けながら、Bくんは空になったティッシュ箱を片付け、追加のティッシュ箱を机上に二ケース置く。A博士は机上の原稿を押しやると演説を続ける。
「昔から一褒め二謗り三惚れ四風邪という。花粉症? 花粉症だと。ぶえっくしょん。そのようなものが割り込む隙はわが国にはそもそもないのだよ。五花粉症とでも付け加える気かね。この美しい言葉の流れを崩す気かね」
「はあ」
B君はA博士の言葉を背中に受ける。本来愛弟子としてはしてはならないことだ。成らないことではあるが、博士のためを思い、冷蔵庫から新しい目薬を取り出すと机上に置いた。冷やして保存しておいた方が眼に指したときにも楽であるし、目薬の方でも冷蔵庫での保管を望んでいる。A博士はその冷えた目薬をじっと見つめている。
「……」
A博士の弁舌が止んだのに気づかぬまま、Bくんは冷蔵庫を見て思ったことを口にした。
「ヨーグルトがもうないようですので、買って参ります。緑茶はそちらの棚です」
「君は花粉症ではないのに何故そう詳しいのかね」
A博士はB君の出立の言葉には一言も返さず、ただ瞬発的にそう問うた。
「……はあ」
ヨーグルトも緑茶も、花粉症にてきめんと言われる食材である。どちらも以前から、Bくんが冷蔵庫に棚に蓄えているものであった。
今さら告げるのも申し訳ないような気もしながら、B君は種明かしをする。
「いえ、自分も花粉症なもので。今は薬をもらっています」
「なるほど君の通う耳鼻科を紹介したまえ。今すぐだ」
驚くほど早い切り返しであったが、医者嫌いの屁理屈学権威が珍しく素直であるので、これもよかろうとB君は耳鼻科へ電話を掛けるのであった。
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