ふみちゃん

尾八原ジュージ

ふみちゃん

 姉さんが僕の部屋に、奇妙な動物を置いていった。

「半日だけ預かって。ふみちゃんっていうの」

「ふみちゃん?」

「仲良くしてあげてね」

 というだけの情報と、餌のペレットにトイレシート、そしてその動物が残された。

 大きさはタヌキくらいだろうか。灰色がかった白い体色で、ふっくらと丸っこい胴体に短い手足と尻尾が生えている。困ったような顔つきは元々のようだ。姉さんがいなくなるとそいつ――ふみちゃんは、飼い主を探して部屋の中をうろうろし始め、「ゴテェ……ゴテェ……」と奇妙な声で鳴き始めた。

「おーい、ふみちゃん」

 僕が声をかけると、ふみちゃんはぎくっとした様子で足を止め、おどおどと僕を見た。知らない人間に怯えているのだろう。丸い顔は確かに愛らしいが、それ以上に嗜虐心をあおるものがある。

「ふみちゃんって何? 何者?」

「ゴテェ……」

 やっぱりよくわからない。

 僕は普段のくせで煙草を取り出しかけたが、動物がいることを思い出して仕舞った。代わりにスマホを持ってふみちゃんの写真を撮り、画像検索にかけてみた。

 ふみちゃんはどうやら「ゴテェ」という生き物らしい。雑食性のおとなしい生き物で、最近ペットとして一般に認知され始めたのだという。名前の由来はその鳴き声と、「後手に回る」という言葉からだそうだ。

 足が遅く、攻撃手段は一揃いの小さな牙だけ。容易に捕らえられ、すぐに捕食される。ただ非常に多産なために、絶滅もせずに生き残っているのだという。

「姉さんは何でお前を飼ったんだろうね……」

 僕は床にしゃがんで、ふみちゃんに「おいでおいで」と声をかけた。

 ふみちゃんは初め警戒していたが、餌袋からペレットをふた粒ほど取り出してみせると、トコトコとこちらに近づいてきた。そのあまりにのんびりとした足取りと、疑うことを知らないかのような双眸を見るうち、僕はもう薄々、ねえさんがなぜこの動物を手元に置いているのか理解し始めていた。

(仲良くしてね)

 僕は姉さんの言葉を思い出した。近づいてきたふみちゃんは小さな口を開け、僕の手からペレットを食べようとする。僕はとっさに餌を載せた掌を閉じ、ふみちゃんに届かない位置までさっと上げた。

 ふみちゃんはゴテェ、ゴテェと鳴きながら、困り果てたような顔で僕を見た。その瞳からはポロポロと涙がこぼれている。僕はさっき検索したとき、「ゴテェは人間と同じく、悲しいときなどに涙を流します」という情報を目にしたことを思い出した。

 ふみちゃんは僕の膝に短い前肢をのせ、その太い体を懸命に伸ばして餌をとろうとする。罪悪感を覚えるとともに、僕はどうしようもなく愉快だった。

 ああ、ふみちゃん。

 お前と遊ぶのは楽しいね、ふみちゃん。

 膝をさっとどかしてやると、ふみちゃんは足場を失って転んだ。ゴテェ、と鳴きながらまた涙を流す。見ていると背中がゾクゾクしてくる。諦めたのか、僕から遠ざかりかけたふみちゃんに開いた掌を見せてやると、ふみちゃんはまた疑いもせずこちらに寄ってきた。一粒だけ口に入れてやると、カリカリと音をたてながら食べる。その姿はやっぱりかわいらしいけれど、僕はもう知っている。

 ふみちゃんは、泣いているときが一番かわいいのだ。

「姉さんが、仲良くしてねってさ」

 僕はさっと手を伸ばして、ふみちゃんの小さな左耳をつかみ、横に引っ張った。ゴテェッ、と少し大きな悲鳴を上げて、ふみちゃんはまたポロポロと泣き始めた。それを見ていると、つい口元がニヤついてしまう。

「お前、どこまでいじめても平気なのかな。体は強い? ストレスで死んだりしないかな? そう、ふーん」

 僕はひとりで相槌をうちながら、ふみちゃんの頭をなでた。

 かわいい、かわいそうなふみちゃん。

「仲良くしようね」

 僕はふみちゃんに向かって舌を突き出した。

 先っぽの中央にピアスの嵌った僕の舌。

「これ、姉さんが開けさせたんだよ」

 たじろいだように見えるふみちゃんに、僕はそう教えてやった。

「めちゃくちゃ痛かったよ、泣くほどね。でも姉さんは喜んでた。私泣いてるふみちゃんが一番好きだよって。僕の名前はフミアキだから、姉さんは僕をふみちゃんって呼ぶんだ」

 ふみちゃん同士仲良くしようね、とペレットが一粒残った手を差し出すと、ゴテェのふみちゃんは懲りずによちよちと近づいてきた。

 僕はズボンのポケットを探った。確かそこにはライターがあるはずだった。


 姉さんは予定よりも一時間早く帰ってきた。

 部屋の隅で泣き疲れて眠っているふみちゃんと、少しだけ毛が焦げた小さな尻尾を見た姉さんは、何もかも悟ったような顔でうなずいた。

「仲良くしてた?」

 尋ねられた僕は、「うん」と答えた。

「舌、出して」

「ん」

「もっと」

 僕が伸ばせるだけ伸ばした舌を、姉さんはほっそりした指でつかんだ。そしてピアスを押しつぶすように、ぎゅーっと挟みながら引っ張った。猛烈な痛みが僕を襲い、開けっ放しの口から悲鳴と涎が流れた。

 姉さんはぱっと手を離し、痛みのために涙を流しながらせき込んでいる僕をまじまじと眺めた。


 そして僕の顔を覗き込みながら、さもうれしそうに笑った。

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ふみちゃん 尾八原ジュージ @zi-yon

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