八・レクイエム
胸の中で少女の身体が冷たくなっていく。昨日の夜からずっと、ポプラの木の下で彼女の亡骸を抱いていた。
気が付けば、雲の平原の果てから朝日が昇り始めていた。
「お前はそれで満足なのか?」
声を掛けられ、スネーグレイヴは隣を見る。首から垂れ下がる鎖を揺らしながら、黒い犬がこちらに歩み寄ってきた。
「満足……はしていないかな」
スネーグレイヴは自嘲気味に笑う。黒い犬は「そんな顔見せるな」と顔を伏せた。
「こいつは父親を許してしまった。まだ助かる可能性があったのに、自分の命より父親の命を優先したんだ。大馬鹿野郎だよ……」
黒い犬の言葉が白い息とともに霧散していく。
「大馬鹿野郎は私たちの方でしょ?」
スネーグレイヴは犬の耳の間にポンと手を置く。犬はその手を振り払うことなく、黙って撫でられた。
「私は雪の魔女で、あなたは地獄の番犬。殺す力しか与えられていないのに、命を救おうなんて考えがそもそも馬鹿げてるんだよ」
スネーグレイヴは少女を抱え直して立ち上がる。振り返ると、ポプラの木の幹にぽっかりと大きな洞(うろ)が開いていた。子どもなら手足を折りたためば入れるほどの広さがある。
「寒いからね、そろそろ暖かい場所で眠らせてあげよう……」
スネーグレイヴは少女の身体を洞の中に入れ、毛布を掛けてやる。もう二度と目を開けることのない少女に「おやすみ」とささやき、一歩後ろに下がる。
「黄泉の慈愛の威光よ。彼女の魂を安らかなるところへ運載したまえ、運載したまえ。オーン・アミリタ・テイセイ・ハーラ・ルーン。オーン・アミリタ・テイセイ・ハーラ・ルーン……」
祈るように胸に手を当て、スネーグレイヴは呪文を唱える。そのその声に応えるように木の洞は閉じていき、少女の身体を包み込む。
木の洞が完全に閉じ、少女の姿は見えなくなった。スネーグレイヴは呪文を唱えるのを止め、木の洞をそっと撫でる。
「いつか私も、必ずそっちに行くから。待っててね、ミハルちゃん……」
木の中の少女に笑いかけ、スネーグレイヴはその場を離れる。
*
冬至の祭りの翌朝、街の通りで一人の男が死んでいるのが見つかった。彼の衣服は所々破け、足首には犬に噛まれたような傷がある。
「野犬に襲われたのか?」
「浮浪者だろう? 飲んだくれて凍え死んじまったのさ」
「追いはぎをしようにも、売れそうなものは持ってなさそうだ」
男の周りに集まった人々は、白い息を吐きながら口々に言っていた。
すると、一人のお婆さんが良く通る声を発した。
「この人はきっと、スネーグレイヴの魔女に殺されたんだ。口減らしのために子どもを棄てたから、武神の怒りに触たんだろうね……」
お婆さんの言葉が終わると、人々は興味を失ったようにその場から去り始めた。中には「自業自得だな」と吐き捨てる人や、「次は俺の番かな?」と零す人もいた。
「ミハルちゃん、これで良かったのかな?」
その様子を少し離れた所で見ていたスネーグレイヴは、誰に問いかける訳でもなくポツリと呟く。
隣で男――ミハルの父親の死体を見ていた黒い犬は、何も言葉を返さない。もちろん、木の中で眠っているミハルが、スネーグレイヴの問いに応えてくれるはずも無かった。
遠くで白鳥の鳴く声が聞こえる。空の高い場所を飛んでいるようだ。山脈を越えて、その向こうの湖へ渡るのだろう。
スネーグレイヴは空を見上げ、静かに呪文を唱える。それは祈りの言葉であり、幼くして命を落とした少女への鎮魂歌のつもりだった。
「オーン・アミリタ・テイセイ・ハーラ・ルーン。オーン・アミリタ・テイセイ・ハーラ・ルーン……」
おそろしの森 赤木フランカ(旧・赤木律夫) @writerakagi
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