空色風模様

佐久良 明兎

空色風模様

 宮波は猫である。

 名前は勝宏。

 平均を少し上回る身長と黒髪に軽い近視、国外には出たことすらないらしい日本男児だ。



+++++



 宮波勝宏の周りには、気付けばいつも人がいる。

 授業でも移動中でも昼食時でも、大抵奴を中心にして騒がしいコロニーが形成されていた。それは男子に限らず、男女混合のグループの時も多いし、時には奴以外全員女子だったりすることもある。小憎らしい。

 総じていつも盛り上げ役でムードメーカーで、話題に尽きず歯切れとテンポのよい会話を展開し、一見人なつっこく親しみやすい性格から、大分人気者らしかった。

 とにかく、宮波勝宏は『一人』でいることが少ないように見えた。


 いや、正しくはそうではない。


 『一人』でいるところを、奴はそうそう人に見せないのだ。実際奴は、目を離せばすぐにふっと姿を消してしまう。いつもは皆といるくせに、実は『一人』でいることの方が何倍も得意らしかった。気まぐれな奴なのだ。


「別に好き好んで集団で一緒にいてやってるわけじゃねーよ。あいつらの方から勝手に寄ってくるんだろ。気が向かなきゃ相手にしねぇよ」


 という酷い台詞は、まごうことなき宮波勝宏ことミヤの言い分だった。


「何言ってんの。その言い方はないでしょ」


 私に言わせれば、普段集団の中で見せているミヤの性格はほんの一端であって、確かにミヤではあるのだけれど確実に本性ではないと思う。というかミヤは相当、


「知るかよ馬ぁ鹿。関係ねぇだろ死ねば?」


 口が悪かった。

 もしも集団の中にいるミヤが〈毒吐きキャラ〉なのだとしたら、私の前で見せるミヤは〈毒そのもの〉だ。タチが悪い。


「みぃに言われる筋合いじゃねぇよ。好き勝手生きて何が悪ぃんだふざけんなバーカ以下略」


 ふざけちゃいないのだけど。そして略かよ。




 私の名前は根岸都子である。奴の名字の『ミヤナミ』と、私の名前の『ミヤコ』の絶妙なかぶり具合が気にくわない。

 私は他の人と同じように奴のことをミヤと呼んでいるが、ミヤの方は自分の名と似てるから嫌だとかなんとかで私のことを『みぃ』と呼ぶ。似てて嫌なのはお互い様だ。というか私は猫か。


 このどうしようもない性悪人間が宮波勝宏そいつなのである。いかに裏表があるにしても腹立たしいレベルだ。そもそも簡単に死ねだの死ぬだの殺すだのキモいだのうざいだの、そういう言葉を使う人間の神経が知れない。


 ミヤが苦手だった。


 しかしおかしな事に、今私が大学内において最も気を許せる、というか気を遣わないで済むのは、親切な数人の先輩を除いてはミヤだけなのだった。

 けれど先輩は、気兼ねなく話せるとはいってもあくまで目上の人だ。だから、つまり、私がこの大学内で心を開いて対等に話せる人間は、今のところミヤだけということになる。


 気にくわない。


 そしてミヤの方も、どういう訳だか私の前ではその性悪さを露骨に押し出してくるのだった。それが本性なのかどうかは分からないけれど。


 そこでふと不思議に思うのは、私とミヤは別に幼なじみでも何でもなく、つい最近大学で知り合ったばかりの、サークルが同じというだけの仲だということである。

 ミヤと出会ってからまだ二ヶ月位しか経っていない。謎である。



+++++



 テスト前は混むらしい。しかし今の季節、まだその喧噪とは無縁である大学図書館の学習室は、いつもと同じようにほどほどの人数を収容し、いつもと同じくらいの静けさを保っていた。

 いつも私が使う机は、正面が板で仕切られている横長のものである。左右まで仕切られている机は窮屈な感じがするし、かといって普通の閲覧室のように完全に視界が開けている机は自分の世界に入りにくいからだ。そしていつも座るのは、大抵机の一番はじ、隅っこの方だった。


 今日もいつもと同じように正面の仕切られたはじっこの席に陣取ると、バッグを開いてあらかたの勉強道具を机の上に取り出した。ノートを出して下敷きをセットし、テキストを広げ、電子辞書を開く。時には電子辞書ではなく、紙の辞書がどどんと置かれることもある。ドイツ語の授業があった日にはそうだ。高校の時から使っている私の電子辞書には、ドイツ語を理解できるほどのキャパシティはなかった。


 そして筆箱の中からシャーペンと消しゴムを取りだすと、私のバリケードが完成だ。バリケードを完成させると、私はバッグの中から本を取り出す。別に予習が目的なのではない。なんとなくこうした方が安心するのだ。午後の空き時間は大抵こうして過ごすのが日課である。


「なかなか高尚なご趣味ですね」


 本を読んでいると突然聞き覚えのある低音の声が耳にまとわりついて、背筋をびくりと震わせた。


「……ミヤ」


 押し殺した声で思いっきりしかめっ面をして振り返ってみる。仏頂面に、ほんの少し人を小馬鹿にしたような笑みをたたえて、背後に宮波勝宏が立っていた。ミヤは私から本を取り上げてぱらぱらとめくる。


「ていうか予習せずに読書かよ」

「うるさい」


 英語のノートは真っ白である。どうせ来週まで英語の授業はないのだ。急ぐ必要はない。


「授業ないの?」


 ミヤから本を取り返してから私は尋ねた。


「今頃他の連中は必死に語学を勉強中だな」

「語学さぼるなよ」

「うぜぇし。一回くらいどうってことねぇだろ。みぃは授業あんのか?」

「次に五限で専門があるけど」

「じゃあ来い」

「……は?」


 ミヤは悪戯っ子のような笑みを浮かべて言う。


「こんな天気の良い日に部屋に閉じこもって勉強なんて、勿体ないっしょや」



+++++



 法学部一年の専門は大講義教室の授業なので、ほとんど出席は取らない。だから一度や二度さぼった程度でそこまでの支障はないのだが、ミヤと違って真面目な私は、授業をさぼっことはまだ一回もなかったりする。

 バッグに荷物を詰め込まれ、半ば強引にミヤに連れてこられる形で私たちは外へ繰り出した。初のさぼりである。実際はまだ時間になっていないので、今はさぼってはいないのだけど。私たちは自転車に二人乗りして坂道を上っていた。


「あー、まださぼったことなかったのに……」


 多少愉快に思いながらもミヤに恨み言を言った。


「俺ら同罪っしょや」

「うーん、誘った側と誘われた側で罪の度合いは」

「そこで法律を出してきたら殺す」


 生粋の文学部生である彼は、社会の仕組みの勉強がお気に召さないらしい。いつものことだ。


 そもそも自転車の二人乗りってどうなのだ。あからさまに何かに背いている気もするが、それを言うとまた堂々巡りのやりとりになる気がするのでやめておくことにした。


 いや、そうじゃない。

 法だの条例だの云々じゃなく、今ミヤとチャリに二人乗りしているというこの状況がどうなのだ。

 しかも私の手はおずおずながらミヤのシャツの背中をつかんでいる。

 ちょっと待て。


「しっかりつかまらねーと死ぬぞ」

「ぎ」


 大きく自転車がガタガタと揺れ私は声をあげた。何の予告もなく、五段ほどある階段を自転車で乱暴に下った後にミヤはそうのたまったのだ。


 わざとだわざとだぜったいわざとだ。


 私の無言の抗議を背中で感じ取ったのか、ミヤはカラカラと陽気に笑い声を立てた。


「じゃあ、もっと面白いことしてやろっか?」

「え」


 私の返事を聞かずミヤは勢いづいたスピードのまま狭い道の角を右に曲がった。ちょっと待って確かそこは私の記憶が正しければ。

 結構に急な長い下り坂だった。


「く」


 体からさっと血の気が引いて口が引きつった。


「ぎゃあああああああっ!」


 思わず私はミヤの背中に抱きつく。耳元を風が切って音を立てていた。必死ながらもちらりとミヤを伺うと、あいつは風に吹かれて涼しげな表情をしながら笑顔を浮かべていた。へぇ。

 一気に長い坂をかけ下り自転車が止まると、私は安堵のため息を付いた。


「色気もへったくれもねーな、お前」


 髪の毛を直しながら私は悔しげに言い返す。


「うるさいこの黒猫」

「黙れトラ猫」

「……何でトラ猫」

「雰囲気」


 また思考回路のよく分からない発言をしてからミヤは思いっきりのびをして、青空を見上げた。


「やっぱ地元の空のがいいな、東京より」

「好きで東京に来たくせに」

「俺は別に好きで上京した訳じゃねーよ。地元の国立落ちたんだから仕方ねぇだろ」


 私と同じ境遇である。思わず口をつぐんだ。その様子を背中越しに感じ取ったのか、あきれた口調でミヤは言う。


「バーカ。今更んなこと気にしてねぇよ。バカか? 今は今だろ。大体東京に来てなきゃ、みぃに会えてねぇだろうが。三回死ね」


 ミヤは言い捨てて前に向き直った。


「……したら、ちょい一足早くかき氷でも食べに行くか? あの美味いっつー甘味屋」

「ん、今度あそこはサークル員で行くとか言ってなかった? 別にその時でもよくない?」

「俺がいくない」


 飄々とした表情でミヤは再び自転車をこぎ出す。


「なぁ、夏休み京都行かね?」


 また唐突なミヤの発言に私は眉根を寄せた。


「……なんでまた?」

「お前見てると無性に京都に行ってみたくなる」

「……なんで?」

「名前がミヤコっしょや」


 私はふきだしそうになるのをこらえて言う。


「……死ねば?」



 それはある種の、不器用な愛情表現。



「……やっぱ撤回。生きてください」

「は? お前馬鹿?」



 脳内で聞こえてしまったナレーションに私は異を唱えた。まさかね。ふざけんな。




 そろそろ、かき氷が恋しい季節になってきた。

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