10年後、ある駅のベンチにて

 「いや、ちょっと待てよ少年」


 なんだよ、あんた。僕、今から死ぬんだけど。


 「どうやって」


 ……みたらわかるだろ、睡眠剤。アルコール付きでさ。


 「やめとけ、きついぞ」


 ああ、そうかよ。でも、もう知らないよ。知ったこっちゃないよ。


 「あと、市販の睡眠剤で人は死ねないけどな」


 …………え。マジで。


 「マジで。つーか、それ厳密にいうと睡眠剤ですらない、睡眠導入剤っていうもっと軽い奴だ」


 …………。


 「俺も試したからわかる、気分が上がって頭のネジが吹っ飛ぶけど、それだけだぞ。普通に生きてるから。ま、アルコール中毒になれば知らんが」


 …………………何だよ、それ。


「……………その、なんだ。まあ、気を落とすなよ」


 何なんだよ!!


 「……………」


 つーか、信じられるかよ!!! 急に出てきたやつにそんなこと言われたって!! っていうかあんた何なんだよ!!!


 「……ただの通りすがりの会社員」


 そのただの会社員が! 僕に何のようなんだよ!


 「いや、なんだろな…、なんか、なんとなく…」


 意味わかんねえよ!!ほんと何なんだよ!!


 「うーん……なんだろ、たしかに、俺は何がしたかったんだろうな……?」


 ふざけんな!! 意味わかんねえよ!!


 「だよなあ、俺も割とそうなんだ。困ったことに」


 はあ!? ……もう……何なんだよもう。


 「泣くなよ…」


 うるさい!!



 ※



 「………なあ、少年、死ぬの怖くないか?」


 うるさい。


 「いや、俺なら怖いなと思ってさ。てか怖かった」


 おっさんの話なんて聞いてないんだけど。


 「……まあ、だよな。自分語りする大人は俺も嫌いだった。知るかよあんたの人生訓なんて、ってずっと思ってた。俺の話を聞けよなって思ってた」


 ………。


 「で。怖くねえの?」


 …………。


 「だから、泣くなよ」


 …………。


 「よーし。わかった、そうだ、ステーキ食いに行こう、いきなりステーキとかのさ、ぶあっついやつ」


 何で僕が……知らないおっさんと……そんなことしなきゃいけないんだよ。


 「んー、経験則なんだが、うまいもん食ったら人間は不幸になんてなれないからかな。不幸になんてなってられないんだよ、困ったことに」


 …………。


 「飯食って、お腹いっぱいになって。風呂入って、気持ちよくなって。あったかくして、寝て。欲を言うなら友達と遊んで、そんなふうにしてたら人間はあんま不幸なこと考えれないからさ」


 …………。


 「だから。行こう。飯食いに行こうぜ」


 …………。


 「…………」


 なあ。おっさん。


 「なに」


 死ぬの、怖かったの?


 「……うん。怖かった」


 でもさあ、おっさん。僕、生きるのも怖いよ。


 「……だな。俺もまだ怖い」


 なんだ、それ。あんたは大丈夫になって、それで生きてんじゃないのかよ。


 「ぷっははは、それは大人に幻想抱きすぎだぞ、少年」


 ………。


 「怖いけど、怖いなりに生きてるだけだよ。ビビりながら、震えながら、歩いてるだけだよ。ただ、そんだけだ」


 ……なんで、歩こうと思ったの?


 「ん?」


 なんで。おっさんは死のうとしたのに、また生きようと思ったの?


 「……」


 …………。


 「怖かった」


 ……。


 「死のうとした時な、走ってる車から飛び降りたんだ。そんでアスファルトの上を転げ回って、ガードレールにぶつかった。服はズタズタに裂けてさ、擦れたところは皮膚ごと削れた。もうほとんど見えないけど、ちょっと抉れた後がまだ手とか頭に残ってる」


 ……。


 「そんだけ死にかけて、救急車に運ばれて、挙句、生き残った時は結構、絶望したよ。俺は死ぬことすらできないのかって。死ぬ勇気があればなんでもできるっていうけど、俺はまともに死ぬことすらできなかった」


 ……。


 「わかったことは、死ぬのは怖いってこと。あとはーーーー」


 おっさんは笑った。


 「死にたくないなってことだけだ。バカみたいだろ?」


 そっか。


 「それからはさ、何度も自殺を試してみたけれどあの時ほど死ぬ気になれない。もう、そんな勇気なかった。だって怖いんだ。自分がなくなるのも。何もえれないまま終わるのも。誰かの大事になれないまま忘れられるのも。考えるだけで、足がすくんで動けなくなる」


 おっさんは笑ってた。


 「俺は結局さ勇気が足りなかったから、死ねなかった。生きるくらいしか、出来ることがなかったのさ」


 生きるのが、怖くても?


 「ま、死ぬよりはマシだったって、そんだけだよ」


 なんだそれ。


 「ほんと、なんだろうな」


 ………。


 「まだ、死にたいか?」


 うん。


 「なんかあった?」


 ……わかんない、一杯あるような気もするし、ないような気もする。とりあえず、今の僕じゃあ、この先、生きていけなさそうだから、死のうと思った。


 「そっか」


 あんたはーーーー。


 「ん?」


 僕に生きてて欲しい?


 「ああ」


 なんでだよ。


 「誰かに幸せな顔しててほしい、っていうのにそんなに大層な理由なんてないよ」


 なんだそれ。


 「特に、自分そっくりな奴は……さ」


 ふうん。


 「あとはそうだな、希望なんてなくても意外となんとかなるぞ」


 さようですか。


 「で、どうする?」


 わかんない。


 「そっか。まあ、今はそれでいいんじゃないか」


 ………ねえ、生きてることに意味はあるのかな。僕は生きていて、いいのかな?


 「……………」


 …………………。


 「それは多分、少年が決めるんだよ」


 ………。


 「生きる意味も、生きていくかも、君が決めるんだよ。好きにしていいんだ。なにせ、君の人生だ。全部、君のものだ」


 そっか。


 「ああ」


 ねえ。


 「どした?」


 食べに行こ、ステーキ。


 「自殺は、いいのか?」


 ………とりあえず、保留、かな。


 「そっか」


 その人は笑ってた。



 僕は死ぬのが怖いな。


 生きるのも怖いな。


 どちらにも進む勇気がない時、人はどうすればいいのかな。


 わからない、答えは出ない。


 でも、それでも今日、死ぬ勇気はないから後回しにすることにした。


 とりあえず、適当に、なあなあで、息を吸うことにした。


 それに意味はあるのかな、それに価値はあるのかな。


 わからないけれど、そうしていれば僕もいつか生きることを受け入れられるのだろうか。


 この人みたいに。


 この、臆病で、はっきりしなくて、結局自分語りしてて、情けない、この人みたいに。


 それなのに、僕の命を引っ張って、繋ぎ止めたこの人みたいに。


 なれるの。かな。


 わからないまま息を吸った。


 とりあえず、解答は保留だ。


 ぐっと足に力を込めて、ベンチから身を起こした。


 震えた足が、重かった肩が、痛む涙腺が、重力に逆らって、上を向く。


 死ぬ勇気はないけれど。


 生きる希望もありはしないのだけれど。


 そんなものなくたっていいのかな。


 わからない。答えはでない。


 とりあえず、今は、見知らぬおっさんにステーキでも奢ってもらおうか。


 「で、なんでおっさんが泣いてんの」


 「さあ、なんでだろな」


 なんでだろう。わからない、答えは出ない。


 もしかしたら、明日にでも、この結論は変わってるかもしれない。


 でも。それでも今は。


 息を吸おう。


 死ぬ勇気もないけれど、それくらいなら、僕にだって、できる、と。


 そう、想ったんだ。


 そう、想えたんだ。


 「300グラムくらい食べてもいい?」


 「ああ、好きなだけ食えよ」


 その人は泣きながら、そう言って笑ってた。

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もしも死ぬ勇気があったなら キノハタ @kinohata

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