巨大都市神獣

管野月子

双子だろうと、あなたは私を生きられない。

 肩から指先に向けて、色鮮やかなタトゥーをを彫り込んだ妹、エドラが、赤い唇を歪めてわらった。私はもう一度、言われた言葉を訊き返す。


「名前を交換って、どういうこと?」

「言葉通り。これからお姉ちゃんがエドラになって、あたしがエイラになるの」

「そんなことできるわけがないじゃない」

「どうして? 一卵性の双子なんだもの。同じ顔、同じ声、違うのは性格だけでしょう?」


 そう言いながら、目元をオレンジに縁取った顔を近づけてくる。

 金の髪。明るい緑の瞳。

 上下に果てしなく伸びた巨大都市メガシティの谷間にあっても、十六歳のエドラはスポットライトを浴びるかのように輝いていた。


 確かに生まれたばかりの頃は同じ顔だったかもしれない。亡くなった両親もよく見間違えたのだと、斜め向かいの部屋に住む老夫婦は話していた。けれど今、私たち姉妹を見て、見間違えるような人がいるとは思えない。

 エドラは流行りに合わせて、身体の中にいろいろな仕掛けギミックを埋め込んだ。最初は目元をパッチリさせるもの。次は唇を厚く、鼻を高く。胸ははち切れそうなほど膨らんで、裸になっても鮮やかな色彩いろが体を覆う。


 私はそれを鎧だと感じていた。

 鉄とコンクリートとカーボンで、大地を覆い空を貫く巨大都市。触れる肌はシリコンに覆われ、熱は触覚ではなく眼球に埋め込んだカメラの数値として判断する。

 私のように、素材のままプレーンでいる人間など、この街にいったいどれほど残っているのだろう。


「なんだって、急にそんなことを言い出したの?」

「探しているんだって」

「何を……?」

身体ボディの改造もない、汚染されていない娘。しかも処女!」

「なっ!?」


 突然目の前にホログラフィが飛び出す。

 ステック状のモニタが映し出したのは、中央集積塔が多額の懸賞金を出して、「汚染されていない清らかな娘」を探しているというもの。その額、普通なら一生を暮らせる。エドラなら一ヶ月で使い切ってしまいそうだけれど。


「中央集積塔――何故、そんなところが……」

「噂ぐらい聞いているでしょう? 集積塔の奇人たちは、珍しい生き物を探す世界屈指の蒐集家しゅうしゅうかたち。そしてこの都市の大金持ち。奴らの趣味なんて理解できないけど、狙っている獲物があるのよ」


 単に研究素材が必要なら、クローンで幾らでも造れるのにそうしない……なら、複製体では意味がない、ということ?


「だからって、どうして私とエドラが入れ替わらなきゃいけないの!?」

「だって……」


 ニッ、と笑うエドラは腰をくねらせた。


「生きて帰れるとは思えないじゃない。だったら、あたしの諸々のメンドクサイ過去もまとめて持って行ってよ。どうせお姉ちゃんは人間関係も薄いし、夢みたいなことばかり言って、憧れて、将来やりたいことなんて何もないんでしょ?」


 自分の過去のリセットと懸賞金狙い、ということね。

 ここで生きていくには、どれだけ相手を騙して支配できるか。寝首の一つでも掻けなければ、食い物にされる。今の私のように。


「お姉ちゃんみたいなツマラナイ人間、この街には要らないの。だからこれからは、あたしがエイラとして、生きてあげる」


 自分に正直に生きたい。

 誠実に。

 私が触れるものは大切にしたい。

 昔絵本で見た、誇り高い白馬の神獣に軽蔑されないような――そんな人間であり続けたいと。ただそれだけのことが、この街では受け入れられない。私だって誰かを簡単に騙せるような人間であれば楽だった。けれど、その後の後味の悪さが耐えられないのよ。


 バカで不器用なのは自覚している。だから――。


「断る」

「残念、もう遅い」


 妹エドラが合図を送る。薄汚れた街角から、厳つい人相の元人間――と言った方がいいような姿の者たちが姿を現した。

 数は三人。多くは無いけど、用意周到ということ。反論は受け付けず、力づくというわけね。


「私を差し出したところで、ごまかせるわけがないじゃない。街に登録されているデータを見れば一目瞭然。私とエドラじゃ、もぅ、遺伝子情報は同一ではない」

「一卵性双生児なのに?」

「それは私とエドラが一つの受精卵だった時まで。分裂した瞬間から、環境の微妙な差異で、遺伝子配列は化学反応を起こし変っていく。限りなく似ていても、全くの同一ではない」


 私は逃げる道を探りながら、周囲の気配を探る。


「そのぐらい知らないようなら、本当に、バカよ」


 嗤い返す。

 きっとこの顔は、酷く似ているかもしれない。


「捕まえて! 引き渡して金に換えてやる!」


 エドラの声に踵を返して走り出す。

 掴みかかる、メタルに輝く腕をすり抜け、転がるように私は行く。力では敵わなくても逃げ足だけなら自信がある。けれどもう……あの部屋には帰れないわね。


 高価な物があるわけじゃない。それでもまだ両親が生きていた頃から暮らしていた、妹が、バカなことに手を出す前から過ごしてきた部屋だったのに。

 遠巻きに眺めているエドラが、通信端末機で連絡を入れている。


「……そう、二十一区のE79。さっき通報した者を取り押さえるところよ。引き取りに来て!」


 先回りされ、取り囲まれる。

 逃げ道が狭まっていく。

 ここで捕まればただでは済まない。


 懸賞金が五体満足であることを条件にしていればいいのだけれど、見た感じ、生きてさえいればいいって感じ。でなければこんな荒っぽい真似などするはずがない。

 元々、人通りの多くない路地の奥。厄介事には巻き込まれたくない人間は、遠巻きに眺めるか足早に通り過ぎるだけ。

 左腕と両脚を機械化させた男がにじり寄る。


「もう逃げ道はないよ」

「今、迎えが来るからサ。怪我したくないだろ?」


 両側にも、似たような形で体の一部を造り替えた者たち。背後の手すりの下は三階分の高さになるだろう。下手に落ちれば大怪我じゃすまない。

 でも、チラリと見える階下の、あのテントの屋根に上手く飛び下りられれば……。


「怖がらせれば言うこと聞くと思っていたら大間違い。私は誰にも縛られない。捕まえられない。生き方だって――指図されてたまるものか!」


 言い捨てて手すりに飛び乗る。大きく手すりの向こう側へ飛ぶ。

 妹が、驚愕の顔を向ける。

 追い詰められて自殺を選んだとも思ったのか。残念。私はバカで融通の利かない性格だけれど、無駄死にする気はない。


 耳元で唸る風。

 そのまま、落下――するはずの体が抱えられた。


「――っ!!」


 逆方向への衝撃。息を吸う間もなく大きく飛んで、エドラの背後で着地する。呆然とした顔が、の方へと振り返る。


「間に合った」


 私を抱える大柄で、体格のいい男が軽い声を漏らした。

 緋色の髪。深い紺の瞳に浅黒い肌と無精髭。そして、額に黒く長い一本角。

 パンクな仕掛けギミックにカスタマイズしている。イカレてる。

 エドラが通信端末機を取り落としそうになりながら、平静を装い、呟いた。


「ずいぶん……早いのね。中央集積塔のお迎え?」

「違うな。奴らに繋がる通信をハックしてた。得物の横取りだ」


 ニヤリ、と男が嗤った。

 そして抱えた私の胸の谷間に鼻先を付けて、匂いを、嗅ぐ!?


「通報通り。俺好みの清らかな娘……で処女だ。お前がエドラ?」

「ちょっつ!! どこに顔突っ込んでるのよ! 私はエイラ! 妹が私と名前を取り換えて、引き渡そうとしていたの!」

「なるほど」


 合点がいったという顔で、一本角の男が口の端を上げる。

 と同時に通りの向こうから滞空車バンが二台、飛来して止まった。バラバラと降りてきた者の服装を見れば、中央集積塔の職員だとひと目でわかる。

 私を床に下ろした男は、益々笑みを深くして吼えた。


下賤げせんどもめ。むすめを囮に捕まえようと思っていたみたいだが……無駄だ」


 囮? って、どういうこと?

 懸賞金までつけた「清らかな娘」は本来の目的ではなくて、この目の前の男をおびき寄せる「餌」として探していた、ということ?

 それって、ひどくない!?


 言葉が。

 人としての言葉が終わるか終わらない内に、男の周囲を風が舞った。

 天をも覆う深いビルの谷間で、旋風つむじかぜが渦を巻くことなど無い。あり得ないことが、目の前で起こり始めていた。


 髪と同じ緋色のたてがみと深い紺の瞳。

 額に黒く長い角を持つ黒馬――ユニコーン!

 絵本で見た白馬の一角獣とは、似ても似つかない獰猛な姿。けれど同じ気品を、尊き美しさと神気を備えた神獣であることは、きっと、その場の誰もが感じている。


 体中が粟立つような、この感覚を。


「俺を捕らえようとするなら、命を捨てろ」

「おぉおおお!!」


 襲い掛かる。半サイボーグたちや中央集積塔の職員は、次々と鋭い角に貫かれ、蹴られ、弾き飛ばされていく。

 まるで歯が立たないじゃない。

 この黒いユニコーンを捕らえるなら、軍の小隊で挑んでも可能かどうか。


「弱いな……」


 馬の姿のまま嗤う男の声がした。

 妹エドラは、腰を抜かした様に手すりにしがみ付いている。

 黒馬が後ろ脚で立つ。


「こっちの女からは、穢れた腐臭がする」

「待って!」


 そのまま前脚で踏みつぶそうとする姿を前に、私は思わず叫んでいた。


「待って、殺さないで」


 私の名前を奪い、売ろうとした妹だけれど。


「見逃がせと?」

「そうよ」


 恐いぐらいの神獣を真っ直ぐ見据えて、私は言う。


「ここで見殺しにしたなら、私は妹と同じクズになる」

「なるほど、甘い娘だ」

「次は無い」


 そう呟き、妹――エドラを見下ろす。

 黒馬は笑い、言い放つ。


「エイラと言ったか。ならば願いと引き換えに、俺のものになれ」


 狂暴で傲慢な、これがユニコーンの本性?

 それが相応しいと思い始めている私がいる。お伽噺のような白馬など、この街には似合わない。

 自分に正直で誠実でありたいという気持ちは変わらない。変えない。けれど、静かに波風たてない人生はもう、これで終わりにする。


「いいわよ。どこへでも連れて行って」


 騒ぎを聞きつけた野次馬と、街の警察が押し寄せてくる音がする。

 乗れと、促す背に跨がり、私は黒きユニコーンと共にビルの渓谷を跳躍していった。






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巨大都市神獣 管野月子 @tsukiko528

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