巨大都市神獣
管野月子
双子だろうと、あなたは私を生きられない。
肩から指先に向けて、色鮮やかなタトゥーをを彫り込んだ妹、エドラが、赤い唇を歪めて
「名前を交換って、どういうこと?」
「言葉通り。これからお姉ちゃんがエドラになって、あたしがエイラになるの」
「そんなことできるわけがないじゃない」
「どうして? 一卵性の双子なんだもの。同じ顔、同じ声、違うのは性格だけでしょう?」
そう言いながら、目元をオレンジに縁取った顔を近づけてくる。
金の髪。明るい緑の瞳。
上下に果てしなく伸びた
確かに生まれたばかりの頃は同じ顔だったかもしれない。亡くなった両親もよく見間違えたのだと、斜め向かいの部屋に住む老夫婦は話していた。けれど今、私たち姉妹を見て、見間違えるような人がいるとは思えない。
エドラは流行りに合わせて、身体の中にいろいろな
私はそれを鎧だと感じていた。
鉄とコンクリートとカーボンで、大地を覆い空を貫く巨大都市。触れる肌はシリコンに覆われ、熱は触覚ではなく眼球に埋め込んだカメラの数値として判断する。
私のように、
「なんだって、急にそんなことを言い出したの?」
「探しているんだって」
「何を……?」
「
「なっ!?」
突然目の前にホログラフィが飛び出す。
ステック状のモニタが映し出したのは、中央集積塔が多額の懸賞金を出して、「汚染されていない清らかな娘」を探しているというもの。その額、普通なら一生を暮らせる。エドラなら一ヶ月で使い切ってしまいそうだけれど。
「中央集積塔――何故、そんなところが……」
「噂ぐらい聞いているでしょう? 集積塔の奇人たちは、珍しい生き物を探す世界屈指の
単に研究素材が必要なら、クローンで幾らでも造れるのにそうしない……なら、複製体では意味がない、ということ?
「だからって、どうして私とエドラが入れ替わらなきゃいけないの!?」
「だって……」
ニッ、と笑うエドラは腰をくねらせた。
「生きて帰れるとは思えないじゃない。だったら、あたしの諸々のメンドクサイ過去もまとめて持って行ってよ。どうせお姉ちゃんは人間関係も薄いし、夢みたいなことばかり言って、憧れて、将来やりたいことなんて何もないんでしょ?」
自分の過去のリセットと懸賞金狙い、ということね。
ここで生きていくには、どれだけ相手を騙して支配できるか。寝首の一つでも掻けなければ、食い物にされる。今の私のように。
「お姉ちゃんみたいなツマラナイ人間、この街には要らないの。だからこれからは、あたしがエイラとして、生きてあげる」
自分に正直に生きたい。
誠実に。
私が触れるものは大切にしたい。
昔絵本で見た、誇り高い白馬の神獣に軽蔑されないような――そんな人間であり続けたいと。ただそれだけのことが、この街では受け入れられない。私だって誰かを簡単に騙せるような人間であれば楽だった。けれど、その後の後味の悪さが耐えられないのよ。
バカで不器用なのは自覚している。だから――。
「断る」
「残念、もう遅い」
妹エドラが合図を送る。薄汚れた街角から、厳つい人相の元人間――と言った方がいいような姿の者たちが姿を現した。
数は三人。多くは無いけど、用意周到ということ。反論は受け付けず、力づくというわけね。
「私を差し出したところで、ごまかせるわけがないじゃない。街に登録されているデータを見れば一目瞭然。私とエドラじゃ、もぅ、遺伝子情報は同一ではない」
「一卵性双生児なのに?」
「それは私とエドラが一つの受精卵だった時まで。分裂した瞬間から、環境の微妙な差異で、遺伝子配列は化学反応を起こし変っていく。限りなく似ていても、全くの同一ではない」
私は逃げる道を探りながら、周囲の気配を探る。
「そのぐらい知らないようなら、本当に、バカよ」
嗤い返す。
きっとこの顔は、酷く似ているかもしれない。
「捕まえて! 引き渡して金に換えてやる!」
エドラの声に踵を返して走り出す。
掴みかかる、メタルに輝く腕をすり抜け、転がるように私は行く。力では敵わなくても逃げ足だけなら自信がある。けれどもう……あの部屋には帰れないわね。
高価な物があるわけじゃない。それでもまだ両親が生きていた頃から暮らしていた、妹が、バカなことに手を出す前から過ごしてきた部屋だったのに。
遠巻きに眺めているエドラが、通信端末機で連絡を入れている。
「……そう、二十一区のE79。さっき通報した者を取り押さえるところよ。引き取りに来て!」
先回りされ、取り囲まれる。
逃げ道が狭まっていく。
ここで捕まればただでは済まない。
懸賞金が五体満足であることを条件にしていればいいのだけれど、見た感じ、生きてさえいればいいって感じ。でなければこんな荒っぽい真似などするはずがない。
元々、人通りの多くない路地の奥。厄介事には巻き込まれたくない人間は、遠巻きに眺めるか足早に通り過ぎるだけ。
左腕と両脚を機械化させた男がにじり寄る。
「もう逃げ道はないよ」
「今、迎えが来るからサ。怪我したくないだろ?」
両側にも、似たような形で体の一部を造り替えた者たち。背後の手すりの下は三階分の高さになるだろう。下手に落ちれば大怪我じゃすまない。
でも、チラリと見える階下の、あのテントの屋根に上手く飛び下りられれば……。
「怖がらせれば言うこと聞くと思っていたら大間違い。私は誰にも縛られない。捕まえられない。生き方だって――指図されてたまるものか!」
言い捨てて手すりに飛び乗る。大きく手すりの向こう側へ飛ぶ。
妹が、驚愕の顔を向ける。
追い詰められて自殺を選んだとも思ったのか。残念。私はバカで融通の利かない性格だけれど、無駄死にする気はない。
耳元で唸る風。
そのまま、落下――するはずの体が抱えられた。
「――っ!!」
逆方向への衝撃。息を吸う間もなく大きく飛んで、エドラの背後で着地する。呆然とした顔が、私たちの方へと振り返る。
「間に合った」
私を抱える大柄で、体格のいい男が軽い声を漏らした。
緋色の髪。深い紺の瞳に浅黒い肌と無精髭。そして、額に黒く長い一本角。
パンクな
エドラが通信端末機を取り落としそうになりながら、平静を装い、呟いた。
「ずいぶん……早いのね。中央集積塔のお迎え?」
「違うな。奴らに繋がる通信をハックしてた。得物の横取りだ」
ニヤリ、と男が嗤った。
そして抱えた私の胸の谷間に鼻先を付けて、匂いを、嗅ぐ!?
「通報通り。俺好みの清らかな娘……で処女だ。お前がエドラ?」
「ちょっつ!! どこに顔突っ込んでるのよ! 私はエイラ! 妹が私と名前を取り換えて、引き渡そうとしていたの!」
「なるほど」
合点がいったという顔で、一本角の男が口の端を上げる。
と同時に通りの向こうから
私を床に下ろした男は、益々笑みを深くして吼えた。
「
囮? って、どういうこと?
懸賞金までつけた「清らかな娘」は本来の目的ではなくて、この目の前の男をおびき寄せる「餌」として探していた、ということ?
それって、ひどくない!?
言葉が。
人としての言葉が終わるか終わらない内に、男の周囲を風が舞った。
天をも覆う深いビルの谷間で、
髪と同じ緋色の
額に黒く長い角を持つ黒馬――ユニコーン!
絵本で見た白馬の一角獣とは、似ても似つかない獰猛な姿。けれど同じ気品を、尊き美しさと神気を備えた神獣であることは、きっと、その場の誰もが感じている。
体中が粟立つような、この感覚を。
「俺を捕らえようとするなら、命を捨てろ」
「おぉおおお!!」
襲い掛かる。半サイボーグたちや中央集積塔の職員は、次々と鋭い角に貫かれ、蹴られ、弾き飛ばされていく。
まるで歯が立たないじゃない。
この黒いユニコーンを捕らえるなら、軍の小隊で挑んでも可能かどうか。
「弱いな……」
馬の姿のまま嗤う男の声がした。
妹エドラは、腰を抜かした様に手すりにしがみ付いている。
黒馬が後ろ脚で立つ。
「こっちの女からは、穢れた腐臭がする」
「待って!」
そのまま前脚で踏みつぶそうとする姿を前に、私は思わず叫んでいた。
「待って、殺さないで」
私の名前を奪い、売ろうとした妹だけれど。
「見逃がせと?」
「そうよ」
恐いぐらいの神獣を真っ直ぐ見据えて、私は言う。
「ここで見殺しにしたなら、私は妹と同じクズになる」
「なるほど、甘い娘だ」
「次は無い」
そう呟き、妹――エドラを見下ろす。
黒馬は笑い、言い放つ。
「エイラと言ったか。ならば願いと引き換えに、俺のものになれ」
狂暴で傲慢な、これがユニコーンの本性?
それが相応しいと思い始めている私がいる。お伽噺のような白馬など、この街には似合わない。
自分に正直で誠実でありたいという気持ちは変わらない。変えない。けれど、静かに波風たてない人生はもう、これで終わりにする。
「いいわよ。どこへでも連れて行って」
騒ぎを聞きつけた野次馬と、街の警察が押し寄せてくる音がする。
乗れと、促す背に跨がり、私は黒きユニコーンと共にビルの渓谷を跳躍していった。
巨大都市神獣 管野月子 @tsukiko528
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