帰るのか、月へ
それからというもの、僕と絃子さんは付き合う流れとなった。
「先ほどの件だけど」
「はい」
「リモートで来ていない社員みんなにメールで送信してくれるかな。後はzoomで会議ね。13時からと知らせてくれるかな」
「わかりました」
清水さんと、中岡修二という僕たちが付き合っていることは誰にも知られてはならない。今は社員がフルに出社しているわけではないので、人間はまばらなので関係性も噂の伝播もおろそかで都合がよい。
だが社内では中岡と部下の間柄を貫きとおすと彼女のほうから提案があった。ラインもメールも手紙も一切やり取りはしない。今時の女性にしては珍しいと僕は思った。
そういえば、黒髪の艶も半端ないし華美に装うこともしない。
肩甲骨ほどの長さの黒髪にミントグリーンのブラウスで黒いフレアースカートがとても清楚だった。本当に約束を破り僕は絃子さん、いや清水さんの肩に手を置きそうになったが、慌ててやめた。
あの夜の背中の白さが脳裏にフラッシュバックする。
夕方5時30分となり、清水さんは僕のほうを見て
「今日の帰りにお話しがあります」
「はい。じゃあ、外で」
少し硬直した横顔はいつにもまして美しい。
社外で彼女は僕に言う。
「会社辞めます。母が、福島の母が入院したんです。私帰らないと……」
涙をためてしまい眼鏡が曇ってしまう。
僕は彼女の眼鏡をそっと外してマスクの上からキスをした。
強く抱きしめる。
号泣する彼女を抱きしめる。でも僕は絃子さんを離しはしない。福島へ帰ろうが僕は彼女の手を離すことは絶対にしない。
「会いに行くよ。何度でも。土日は行くからさ」
うんうんとうなずくだけの絃子さん。
「帰るのか、月へ?」
僕はそう言いながら、黒髪を何度も撫でた。
了
姫の微笑み 樹 亜希 (いつき あき) @takoyan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます