番外編
おまけSS
(前書き)
4章-4と5の間のお話。スヴェンとアドニスの穏やかな一日を書いたものです。
(一)
「なぁ、アドニス。その……出掛けないか?」
俺が空けた食器を回収していく、静淑な細腕。気抜けたような
「何か必要なものでも?」
カーテンから差し込む寂光が、彼女の長い白髪を煌めかせている。優しく言葉を促すような淡い微笑み。彼女を綺麗だと思う度、口端に苦笑が滲んでしまう。自分がどれほど彼女を好いているのか、日毎思い知らされていた。
「スヴェン?」
「あ……いや、なんて言えばいいんだろうな……普通に友達みたいに、色んな店を見たり、遊ばないかってことなんだが、どうだ?」
「友達……」
好意がこれ以上膨らんでしまえば、葬儀屋を終わらせると決めた思いが揺らいでしまうかもしれない。分かっていても、彼女との残された時間を大切にしたかった。少しでも清福に浸りたい、なんて
ふと返事がないことに気付き、首を傾げながら彼女を仰ぐ。嫌だっただろうか。不安が滲出し始めたものの、どうやら
「私も、友達と遊ぶ経験をしてみたい……! 友達はどこに行くものなんだい? カフェとか公園とかかな……!」
昭然と歓楽を伝えてくるものだから、幼子のようで笑みが零れた。そうだな、と相槌を打ちながら彼女の頭を撫でる。宝石を思わせる瞳を丸めて、頭を傾ける彼女。それでも嬉しそうな雰囲気を纏ったままで、こちらまで嬉しくなってきていた。
「色んな店、見て回ろうな。とりあえず街を歩いてみて、気になったところには入ってみるか」
「あぁ。お金は私が持っているから、たくさん遊ぼう」
俺が出すよ、と言えたら格好がついただろうに。思えばフェストに来てから金を手にしていない。仕事という仕事をしていないのだから当然だとは思うし、葬儀屋に部屋と食事をもらっている上に給料までくれとは言えなかった。仕方ないとはいえ、彼女に全て払わせてしまうのも申し訳がなかった。
食器をワゴンに片付けた彼女が、名花のような微笑みを振り向かせてくる。
「少し待ってて。急いで洗ってくる」
「急がなくても大丈夫だ。待ってるから」
「私が急ぎたいんだよ。今すごく、わくわくしてて」
語る言葉通り、ワゴンを押していく彼女の足取りは軽快だった。閑寂が蔓延り始めた室内で、一人ソファの背もたれへ、ぐったりと寄りかかる。吐き出した溜息は、決して疲労によるものではなかった。
「くそ……なんでこんな、可愛いなんて……」
長い大息が溶けていく。自身の想いを自覚してしまってから、己に呆れるばかりだった。口を開けば、可愛い、と幾度も紡いでしまいそうで、そんな言葉を喉奥へと
堪えろ、と自身に言い聞かせて項垂れていれば、
「スヴェン、私はもう出られるよ」
「じゃあ、行くか」
「あぁ……!」
(二)
「……アドニス、手、握らなくても良くないか?」
「繋がないとはぐれそうじゃないか。それより、仕事やお使いとして街を歩く分には気にしなかったけど、遊ぶだけなのに目立つのは少しだけ落ち着かないね」
「そうだな。だから手……」
「服、見てもいいかな? 目立たないのに着替えたい」
機嫌が、とても良さそうだ。アドニスが楽しいのなら良いかと思い、手を離すのは諦めた。
「……スヴェン、どれがいいと思う?」
「あー……そう、だな……」
好みで選ぶのなら、どうしたって女性物になってしまう。けれどもジークハルトの事件の時、彼女は男性物の喪服を着ていたし、彼女が本来着たいものはもしかすると男性物の方かもしれない。彼女の意志を尊重しつつ選びたいと思ったが、当人が俺に意見を委ねてくるものだから
「なにかお困りですか?」
「あ……すみません、彼女に似合う服を選んでもらえませんか。俺こういうのは疎くて」
え、と動揺した様子のアドニスとは反対に、女性店員は彼女のことを見るなり嬉々として頷いていた。恐らく可憐な人形を好きに着飾れる感覚なのだろう。数着の衣服を手にした店員と、戸惑い気味のアドニスが試着室へと引っ込んでいく。待っている間、適当に商品を眺めながらふと姿見を
「お兄さん、いかがでしょうか!」
先程の女性店員の声に促されるまま振り返る。白いフリルブラウスに紫紺のスカート。纏ったケープはアネモネの花で留められていてアドニスらしい。花は元の服に付けていたものを付け替えたのだろう。リボンの付いたベレー帽もよく似合っていて、見惚れてしまっていた。
「スヴェン、変じゃないかな?」
「ああ。可愛いよ」
…………。
咄嗟に返した言葉に、固まってしまう。堪えていた感情を彼女は簡単に引き出していく。しまった、と笑みを引き攣らせていたら、キョトンとしていた彼女が悪戯っぽく笑った。翻った髪が
「鞄、貸せ。俺が持つ」
「重くないから大丈夫」
「いいから。そのくらいはさせてくれ」
店を後にするなり、華奢な腕から鞄を攫う。次いでどこへ向かおうかと道の先を眺めてから彼女に問いかけようとしたが、凝然としてしまった。すぐ後ろにいたはずの彼女がいない。ものの数秒で姿が見えなくなるなどあるだろうか。込み上げる焦慮に眉を顰める、汗ばんだ手を握りしめ、駆け出そうとした。
「アドニ――」
「ほら、離すんだ」
すぐ目の前の路地。彼女の綺麗な声につられて覗き込むと、しゃがみ込んだ彼女が黒猫と相対していた。
「……どうした」
「あ……この子が私の財布を離してくれなくてね……気に入ってしまったのかな」
控えめに財布を引っ張っていた彼女が、そっと黒猫を撫でようとする。黒猫は驚いたようで微かに鳴き声を上げて飛び退いていた。逃げられても困ると思い、俺が抱き上げて顎を撫でてやると大人しくなる。ようやく財布を離した猫は、どうやら構って欲しかっただけみたいだ。思いのほか人懐っこく、撫でていれば擦り寄ってくる。その様子を横で見ていた彼女が瞳を輝かせていた。
「スヴェンすごい……猛獣使いみたいだ!」
「猛獣って」
「私には撫でさせてくれないのにな……」
「接し方にもコツがあるんだ。抱いてみるか?」
「え――、わっ……」
猫が驚かぬように気を付けつつ、アドニスに手渡す。恐る恐るといった手付きで抱きしめる姿は微笑ましかった。アドニスの腕の中でも黒猫は大人しくしており、本来静かな性格なのだろうと推知出来た。黒猫に対して可愛いと呟きながら、その毛並みを整えていく彼女。あんたが可愛いよ、と思いつつ、腰を持ち上げ立ち上がる。
「アドニス、服、汚れるぞ」
「大丈夫だよ。……それにしてもこの子、黒いからかな、なんだか葬儀屋に似ているね」
黒猫を優しく撫でる手。愛おしむように抱きしめる腕。猫に対してしているだけなのに、彼女の言葉のせいで葬儀屋への想いを思惟してしまう。
「あんた、葬儀屋のこと好きなのか?」
気付いた時には低声を吐出してしまっていて、反射的に彼女から目を逸らした。嫉妬じみた八つ当たりをしてしまうなど情けない。謝って話題を変えようとしたが、そうする前に彼女が答えをくれていた。
「好き……難しい質問だね。私にとって葬儀屋は、親みたいなものだよ。葬儀屋と友達にはなれないし、恩人以外の関係性にはなり得ない。それでも身内だからこそ大切……みたいな感じかな」
彼女の言いたいことは分かる。きっと、俺にとっての
眩いほどの白日を
「スヴェンのことは、好きだよ」
「は……」
「大切な友達だから」
苦笑するしか、なかった。アドニスの双眸が真っ直ぐに俺を映して、好きだと告げてくれる。こんなに嬉しいことはないというのに、それ以上を求めてしまう自分に唇を噛んだ。
十分じゃないか。十分すぎる関係だ。願って――もし仮に叶ったところで、俺はそれを自分の手で壊さなければならないのだから。
下手くそな
「何度も言うけど、私にとっては君も大切なんだ。だから私の葬儀屋への気持ちなんて気にしなくていい。君は君の思うままに、君のしたいようにすればいい」
「……わかってるよ。変なこと聞いて悪かったな」
「いや、せっかく遊びに来たのに、考えたくないことに結びつくようなことを言ってしまった私の方が悪い。だからごめんね」
彼女にとって葬儀屋を殺されることは、俺がエリーゼを殺されたのと同じくらい苦しいものだろうに。それでも俺のことまで大切だと受け入れてくれる様が、彼女の優しさを
「スヴェン、今日は沢山楽しもう」
喜色を広げて俺の手を引く。穢れのない純白の柳髪が、涼風に靡く。昼間の
(三)
「どう? 美味しい? どんな感じなんだい?」
「あぁ、まぁ……甘い、かな」
暖色の燭明が灯る喫茶店で、俺はアドニスと膝を突き合わせ、ケーキを食べていた。少し変わったケーキだ。細長いグラスに、目を引くような形で盛り付けられている。果物だけでなく、小さく切ったワッフルやブラウニーまで載せられており、なかなか量が多かった。アドニスが
「甘い、か……うん、甘そう。とても美味しそうだ。それはなに?」
「ブラウニーだな」
「チョコレートケーキとは違うのかい?」
「そうだな……しっとりしてるチョコレートみたいな……こっちのワッフルは結構サクサクしてるな。美味し……――!」
「どうしたんだいスヴェン!?」
「この生クリーム……冷たいぞ……! これ美味しいな!」
初めて味わう舌触りに
「もしかしてそれが、アイスクリームってやつかい!? いいなぁ……!」
「アイスクリーム……都会にはそんなものがあるのか!」
「そっちの赤いクリームは苺?」
「そうだな、苺のムースみたいだ……美味いな……」
「美味しそう……!」
一人では食べきれないかと思ったが、慮外なくらい美味しくてグラスの底が見えてくる。食べ進めていく度、覗き込むように見てくる彼女が可愛らしくて微笑んでいたが、やはり罪悪感が込み上げていた。
「やっぱり、悪いな。あんたは食べられないのに、俺だけ味わって……」
「いいんだよ。私は、君の言葉を咀嚼するのを楽しんでいるんだ。だから君も気にせずそれを食べて。君が楽しそうに、美味しそうにしてるのを見てるだけで、私はお腹いっぱいだから」
それは本心からの言葉なのだろう。彼女はとても穏やかに朗笑していた。この一日を振り返ってみると、彼女の年相応の表情を沢山見ることが出来た。そんな気がして嬉しかった。
最後の一口を飲み込んで顔を上げたら、完食出来たからか彼女が控えめな拍手をしてくれる。幼さを滲ませる相貌に、俺は諸目を撓らせた。
「あんたが楽しそうでよかったよ」
「あぁ、君のおかげでとても楽しい。ありがとう、スヴェン。これ片付けてくるね」
食器を持ち上げ、カウンターへと向かっていくアドニス。楽しい、と口にした面様は花のように可憐で、角膜にこびり付いてしまっていた。頬杖を付くように前髪を掻き上げ、息衝く。
「……いちいち可愛い顔するなよ……」
細めた瞳で窓枠を眺める。街は既に濃藍で絵取られ、夜が降りてきていた。今日という一日が、直に終わる。終わりにまた一歩、進ませられる。憂愁に浸りかけた俺の意識は、彼女が引き上げてくれた。
「スヴェン、お待たせ。帰ろうか」
「足元、気を付けろよ。もう暗いから」
「分かってるよ」
高い踵の音が星空に吸い込まれていく。先程食べたケーキよりも甘いような、けれども透き通るような
「アドニス」
俺を見上げるオッドアイが、夜空を宿す。
「また、出掛けような」
月桂が眩しい。淡い月白を孕んだアドニスの白髪は、夜色によく映える。花弁を広げるように、こくりと笑う解語の花。
握った手の指を、絡めた。一夜で枯れてしまいそうな儚さを、今はまだ繋ぎ止めておきたかったから。
神葬ヘレティック 藍染三月 @parantica_sita
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