はじまり②

「どうも! 野球サークル『スパイダーズ』の代表をしている佐藤健太さとうけんたです。えーと、リコちゃんと夏紀なつきちゃんだよね? 今日はよろしくね!」


 リコとふたりで待ち合わせ場所に立っていると、幸せになれるつぼでも売りつけてきそうな胡散臭うさんくさい笑顔の男が近づいてきた。サークルのメンバー集めに奔走ほんそうしているこの時期は、いい印象を与えようと必死なのだろう。


 私たちが通うF女子大の隣にあるS大学は、道内でトップクラスの学力を持つ学生が集まる大学だ。「勉強ができることと地頭じあたまがいいことは別」などとよく言うが、そんなことはない。地頭がいいからといって偏差値の高い大学に通うとは限らないので、学歴関係なく地頭のいい人がいるのは確かだ。ただ、地頭の悪い人が学力レベルの高い大学に入れるとは思えない。それは、私がレベルの高い授業やテストに苦しんだ経験からも言える。そうなると、必然的に学力レベルの高い大学に入れた人はだいたい地頭がいいことになる。地頭がいいのと性根しょうねがいいのは別なので、性根の悪い人ならいるだろうけど。


 地頭のいい人との会話はスムーズだ。知っている言葉の数が多いから「それどういう意味?」と聞かれて会話が途切れることもないし、応用力もあるので何度も同じことを説明する必要がない。いい子ちゃんをやめた私は、会話が面倒臭い相手と絡むことは絶対に避けたいと思っていた。


 だから、S大学のサークルを選んだ。胡散臭い笑顔の佐藤先輩も、ちゃんと話してみればいい人かもしれない。とりあえず今日は、楽しむ気持ちを持って過ごそう。


「ふたりとも札幌の人?」


「私は札幌ですけど、リコは釧路くしろ出身です」


「えー、リコちゃん釧路なんだ! 俺、厚岸町あっけしちょうなんだよね!」


「おー、近いですね!」


「厚岸ってあの美味しい牡蠣かきのところですよね?」


「そうそう! 夏紀ちゃん牡蠣好きなの?」


「大好きです。特に厚岸の牡蠣が」


「おー、いいねー!」


「今日、練習終わったあと行く店も、厚岸の牡蠣が食べられるんだよ」


「え! 楽しみ!」


 話してみると、悪い人ではないなと思った。それに、私は本当に厚岸の牡蠣が大好きだ。とろりとした濃厚な味を思い出すと、よだれが出てきてしまう。今日の夜、それが食べられると知ったことで、明らかにテンションが上がってきている。


 そうこうしているうちに、公園の野球グラウンドに着いた。すでに人が集まっている。15人くらいいるだろうか。サークルといえども野球チームなので、みんなおそろいのユニフォームなり練習着なりを着るのだと思っていたが、思い思いの格好をしている。高校時代のジャージらしきものを着ている人もいた。ほとんどが男性で、女性はふたりのようだ。


「お、佐藤!」


 近づいていく私たちの姿に気づいた、ひとりの男性が佐藤先輩に手を振る。


「おう、連れてきたぞー」


「来た来たー!」


「どうもー!」


「はじめましてー!」


 みんなの視線がこちらに集まり、次々と声をかけられる。私たちは、ペコペコと頭を下げながら佐藤先輩のうしろについて歩いた。私たちが止まると、先輩たちは適当に半円を作って私たちの前に立った。


「えーと、今日はふたりの見学者がいます。ぜひ、このサークルの仲間になって欲しいと思っているので、楽しそう! 私たちも一緒に活動したい! と思ってもらえるように、みんないいところを見せてください」


 佐藤先輩が話している間、向かい合って立っている先輩方の顔を一通り見てみた。みんないい人そうだ。今のところ、このサークルに入ってみてもいいかなと思えている。


「じゃあ、ふたりとも自己紹介してもらっていいかな。んーと、夏紀ちゃんから」


「はい。F女子大1年の麻宮夏紀あさみやなつきです。A高校出身です。えーと、何を言えばいいのかわかりませんが、今日はよろしくお願いします」


 何も思いつかず、面白みのない自己紹介になってしまったが、先輩たちが優しい笑顔で拍手をしてくれている。


「じゃ、リコちゃん」


「はーい。水野みずのリコです。釧路のM高校出身です。野球は観たこともやったことも全然ないんですけど、このサークルのチラシを見て楽しそうだなと思って、夏紀と一緒に来てみました。今のところ、大学に楽しみを見つけられていないので、ここで大学生活を充実させられたらなと思っています。よろしくお願いしまーす」


 出会ったときからリコはコミュニケーション能力の高い人だと思っていたけど、いきなり自己紹介を振られてここまでスラスラ言葉が出てくるとはすごい。


「はい、ありがとうございましたー。ということで、練習始めよっか。夏紀ちゃんとリコちゃんは、マネージャーふたりと一緒にそこのベンチのところで見ていて。やりたかったら一緒にやってもいいし」


「ありがとうございます。とりあえず見ています」


 最初から練習に参加するのはハードルが高い。まずは見ていよう。それに、女子マネージャーふたりともゆっくり話してみたい。女子大に行って女子の面倒臭さを知った今、女子マネージャーとの相性も気になる。


「えーと、こっちがリコちゃんであなたが夏紀ちゃんね。私は当麻とうまです。S大4年」


「私は田中たなか、N短大2年です。よろしくね」


「よろしくお願いします」


 リコと私は、声を揃えて挨拶をした。第一印象ではふたりとも優しそうで嫌な感じはまったくない。うまくやっていけそうな気がする。


 ここのグラウンドを使えるのは17時までということで、休憩を挟みながら時間ギリギリまで練習が行われた。その間ずっと女子マネージャーの先輩たちと話していたが、思った以上に楽しくてあっという間に時間が過ぎていった。


 このサークルは毎週土日のどちらか、グラウンドの予約が取れた日に練習をしているそうだ。たまに誰かの知り合いのチームと試合をするくらいで、大会にエントリーをすることはない。みんな仲が良く、平日に集まって飲みに行くこともあるらしい。ちょうど良い緩さで、私たちに合っている気がする。もう、このサークルに決めてしまってもいいかな、という気持ちになっていた。


「よーし、じゃあ飲みに行くか!」


 佐藤先輩のその言葉に、みんな盛り上がる。私とリコはまだ18歳なのでお酒は飲めない。でも、飲み会は楽しみだ。参加するだけでもなんだか大人になれた気がするし、先輩方が酔ったらどうなるのかも見てみたいから。


 何気なくスマートフォンをバッグから出して見てみると、母からLINEが来ていた。


“今どこ? いつ帰ってくるの? 時間を教えてくれたら、ママ車で迎えに行きます。”


“札幌駅近くの魚華勝うおはなしょうというお店でサークルの先輩方と食事だよ。自分で帰るから気にしないで。”


「夏紀! どうした? 行くよー」


「うん、今行く!」


 立ち止まってスマホをいじっていた私に、遠くからリコが叫んできた。大学生になって初めて飲み会に行くということで、母は心配しているのだろう。高校生のときは、食事会に行っても全員が未成年だったので私がお酒に手を出す心配はなかったが、今回は成人した人もたくさんいる。今まで優等生を演じてきたというのもあって、そんな娘が飲み会に行くというだけでなんとなく不安なのだと思う。


 スマホをバッグにしまうと、小走りでみんなのあとを追った。このとき私はまだ、今日がサークルの先輩方に会う最初で最後の日になるとは思いもしなかった。

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それを愛と勘違いさせて 祐香 @yuukayamamoto

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