僕が「小説」を書こうと思ったきっかけ。
飯田太朗
悠久の時の中でも、私は待っている。
きっかけは本当にいい加減。
罰だった。図書室の、書庫のドアを壊したことへの。
悪気があったわけじゃない。たまたま友達とど突き合いをしていて、僕が押し飛ばした友達が書庫のドアにぶつかって壊れた。それだけ。
まぁ、押したのは僕だし。
悪いのも僕だし。
と、いうわけで反省文。図書室で書くことに。だって朝の読書時間での出来事だったから。僕だけ居残りして一時間目の授業に遅れながら反省文を書いた。
「あれ、「ざいあく」ってどう書くっけ」
ド忘れ。普段から書けないわけじゃないよ? でもさ、例えば「む」って文字をずっと見続けてみてよ。だんだん「む」って何だっけ? ってなるでしょ? ああいう感じ。とにかく僕は「罪悪」という言葉が思い出せなくなった。
一瞬、アシストシステムを頼ろうかと思ったが。
図書室だし。
辞書くらい、あるだろう。
そう思って、書庫へ向かった。
それはいきなり僕を出迎えた。
書庫のドアが壊れたことで、ドアの近くにあった本棚の、見やすいように表紙を前にして立てかけてあった本が倒れて床に落ちていたのだ。
拾い上げる。あちゃ。そんなことを思う。
『命の燈火』
タイトルにはそうあった。何となく、開く。冒頭。
「生ける者たちが微かな、美しい光を放っては、消えていく。悠久の時の中……」
震えた。何でだろう。こんな短い文章でぶるりと来てしまった。辺りを見渡す。誰もいない。ちょっとくらい、読んでも……。
「桜井。反省文書いたか?」
担任の先生がやってくる。その瞬間まで、僕は『命の燈火』を読んでいた。僕は慌てて返事をする。「はぁい」
まぁ、反省文は九割くらい書いていた。「罪悪」という言葉が思い浮かばなかっただけ。
大慌てで、「罪悪」を使わずに、「悪いと思っている」くらいのニュアンスにした反省文を提出する。手には『命の燈火』じっくり読もう。そう思っていた。
*
それはすごい読書体験だった。
ハッキリ言おう。本なんていうのは古い。古い娯楽だ。
僕が生きている時代は、VR最先端の時代。一度生まれた人間は、VRでもう一度生まれ変わる。人は電子空間にいくつか「アバター」を持っていて、その時々で「好きな自分」に生まれ変わることで生活している。僕だってそうだ。
アカウントは五つ持っている。実際に学校で授業を受けているのはその数あるアカウントの内の一つ。まぁ、こっちは義務教育の関係でアカウント名に本名を……桜井真人を……使わないといけないのだが、他のアカウントでは例えば「che.r.ry」だとか、「SAC」だとか、そんな名前を使っている。
と、いうわけで。
僕が図書室から「持ち帰った」という「本」も言ってしまえば電子データ。僕はリアルの生活でその電子データを立体映像で見ている。古いデータだからだろう。「ページをめくる」動作をしないと先の情報が読めない。
けど。でも。
僕は感動していた。『命の燈火』。結構古い本だ。作者は……と表紙を見つめる。加来詠人。どう読むのかは知らない。
と、僕の日常生活用アカウント「紅桜」に通知が一件。
〈加来詠人のサイン会! アドレス『平安書店』にて本日十五時から!〉
政府運用人工知能「J.A.P.A」が僕の「『命の燈火』を手に取った」という行動を認知して「次にとるべき行動」を推薦してきたのだろう。僕は加来詠人さんが気になっていたし、このイベントに参加しない手はなかった。早速ベッドから起き上がって簡易VR装置「V's Mark1」に乗り込む……本当はそろそろMark2に買い替えて欲しいのだけれど……。
「アカウント、『SAC』。アドレスは『平安書店』」
僕の声を音声認識してVR装置がアカウントと僕の脳神経とを繋げてくれる。しばしの静寂。後。
僕は「アドレス『平安書店』」にいた。
手には電子ファイル『命の燈火』。平安書店内の仕様なのだろう。電子ファイルは図書室の中と同じように「本」の形をして僕の手の中にあった。
「サイン会はこちらです」
多分、bot。
女性の姿をした上半身だけの映像が人を案内していた。僕はそれに従って人の列に並ぶ。ずっと向こう……列の奥の方で、どうやら加来詠人さんが……加来詠人さんのアカウントが……サインをしているらしい。
〈小説というものは……〉
店内には何やら音声が流れている。僕はVR装置のアシストインテリジェンスシステム、T.O.N.Y.に訊く。
「この音声は?」
〈加来詠人様のアカウント、『KAC』による音声データです。どうやら『小説執筆講座』を開いているようですね。サイン会参加者にプレゼントされる特典のようです〉
「小説執筆講義……」
僕は耳を……まぁ、データ上の、集音部分のことを指すのだが……澄ませる。
〈小説というものは本来無駄なものだ。いらない。生きていく上では何の役にも立たない。小説を読まずに死んでいく人だっているだろう。では何故私は……そして君は……小説を書くのか?〉
何でだろう。素直にそう思った。
〈心に燃料を入れるためだ。精神も体と同じ。食料が……燃料がないと回らない。いいか。勘違いしちゃいけない。『自分に入れるため』に書くんじゃない。『他人に入れるため』に書くんだ。そしてここで大事になってくるのが、『他人に燃料を注ぐには自分の中に燃料がないといけない』ということだ〉
はぁ。
素直に感心した。そうか。僕は加来詠人さんの手によって、『命の燈火』によって、心に燃料を注がれたのか。だからあんなに、燃えたのか。
ちょっと感動した。その感動を持ったまま、列に並んだ。……本来なら、この「列」なんてのはナンセンスで、サインという「情報」が欲しいだけなら一括送信すればいいだけなのだが、まぁ、古い慣習を大事にしているのだろう。平安書店ではこうする他ないようだ。
「あの、すごく、注がれました!」
僕は加来詠人さんのアカウント……表示されている情報によれば、KACさん……にそう告げた。
「燃料、満タンです! ありがとうございました!」
するとKACさんはにこりと……表情作成ソフトを入れているのだろう……笑うと、僕の頭に手を置いた。
「君はちょうど、21回目のサインをする人だ」
KACさんはペンを……単に線情報を出力する装置だが……をくるりと回した。その動作で、僕のアカウント情報がKACさんの前に表示される。
「中学生か」
僕は頷く。
「はい!」
「ちょっと覗かせてもらうよ」
と、頭に変な感覚が走った。
すごい。この人、僕に侵入してる……!
そう思った。アカウントの内部情報……つまり、実際にVR装置を使って電子空間にアクセスしている生身の人間について……を参照できる人なんて政府関係者くらいだ。後はハッカーやクラッカー……つまりプログラミングに詳しくないとできない。
「他の人には、内緒な」
脳内に直接そう語り掛けられる。
と、頭の中を全て覗かれている感覚があった。それは僕が生まれた頃の情報から、最近の情報……隣の席の女の子にちょっと興味があることまで……、文字通り僕の「全て」を見られた。
一瞬の沈黙の後、脳内にまた声が響いた。
「君は、とても健やかな精神をしている。小説家にきっと、向いている」
誰かに何かに向いている、なんて言われたのは初めてだった。僕がぽかんと……一応僕も、古いタイプだが表情作成ソフトは入れている……していると、僕のアカウントの前にいるKACさんは続けた。
「このペンを、君に預ける。21回目のサインをした、21人目の君に」
気づけば僕の頭の中は自由になっていた。KACさんが僕の頭からログアウトしたのだろう。KACさんは手にしていたペン型データを僕の方に預けてきた。
「いつか大物になって返しに来い。その日まで私は……待っている。君のことを。ずっと。悠久の時の中でも」
「はい……」
僕はペン型データを受け取っていた。データだから、重みなんてものはないのだが、しかしずっしりと、重たい気がした。
「やってやれ、少年」
「はい……!」
そんな激励を受けて、僕はKACさんの前を後にした。平安書店からログアウトして、VR装置の中に帰ってくる。立体映像を展開して、さっきもらったペン型データを見た。
やってやれ、少年。
その言葉が、頭の中に響いていた。
*
それから、一年後のことである。
僕は高校生になった。義務教育じゃなくなったので、教育用アカウントの名前も変えた。といっても本名の「桜井」をカタカナ表記の「サクライ」に変えただけなのだが。
高校入学式の朝。
僕の「サクライ」アカウントに通知が来る。政府運用人工知能「J.A.P.A」は僕の嗜好を把握しているので、僕が関心を持ちそうなニュースを通知してくるのだ。
いわく。僕が関心を持ちそうなニュースは二件あった。
一つ。
「Web小説サイト『カクヨム』から奇跡のデビューを果たし、長年創作文芸の第一線で活躍していた小説家の加来詠人さんのリアル(生まれた時の体。要するにVR装置を操作する生身の人間の方)が失踪しました。氏の小説執筆アカウントKACも行方不明になっており、警視庁捜査一課は事件の可能性も視野に入れ加来詠人さんのリアルの捜索を開始、さらに同サイバー犯罪対策課は氏のアカウントKACの行方を捜索しています」
二つ。
「Web小説サイト『カクヨム』に不正なアクセスがあったことが本日確認されました。同サイト内には最新型、未知のウィルスである『リベレーター』が散布されており、アカウントの不審な挙動、及びアカウントの破壊、それに繋がったリアルの傷害など、様々な事件に繋がっています」
只の高校生の僕が、小説を書こうと思ったきっかけ。
大して頭もよくない僕が、Web小説の世界に飛び込もうと思ったきっかけ。
それは加来詠人さんを……KACさんを……探そうと思ったから。
了
僕が「小説」を書こうと思ったきっかけ。 飯田太朗 @taroIda
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