箱庭
葉月りり
第1話
ここ何年も飢饉も天災も無く、人々の生活は安定している。人はどうも食うのに困らなくなると、道楽ってものが欲しくなるらしい。だがこの道楽ってやつ、まるっきりの無駄ってわけじゃあないんだ。
最近、この界隈では妙な道楽が流行っている。両手で抱えられるくらいの木箱の中に自分の好きな景色を作る。田畑の並ぶ農村風景、枝振りの良い木と花を入れた庭園、石を並べた枯山水。箱庭作りだ。材料はそこら辺に転がっている。山に行けば格好の良い枝はいくらでもあるし、川に行けばきれいな砂や石もある。
金のかからないこの遊び、誰が始めたのか、この貧乏長屋でも何人かやっている。俺は三軒向こうのクマさんに教えてもらって始めた。こんな子供のままごとのようなの面白いのかよと、最初は思ったが、やってみると嵌る。
「よう、八っつぁん! 精が出るな」
「ああ、クマさん、お互いな!」
「まったく、一文にもならないのにな」
と、言いながらクマさんは、満面の笑顔だ。腕に枝だの葉っぱだのの入ったザルを抱えている。どうやらいい材料が見つかったらしい。
クマさんの箱庭は男が作ったと思えないくらいきれいだ。細かいところまでよく出来ていて、何しろ色が鮮やかだ。選ぶ草木、石、紙、みんなきれいで、いったいどこで見つけるんだろうな。
この箱庭作り、ただ作っているだけじゃあない。自分で作って自分で出来上がりを楽しんで、その上、人に見てもらってナンボという遊びだ。
丹精込めた箱庭、出来上がったら玄関先に床几を出してその上に置く。その隣にどんぶりをひとつ置いておく。そうすると、同じ箱庭作りをしている奴が通りかかりにどんぶりに小石を投げ入れてくれる。
赤い小石は
「良いじゃねえか。もっと頑張んな」
って意味だ。
青い石は
「すっげーいいな。気に入ったぜ」
ってことだ。
箱庭を作って、人に見てもらって石をもらう。箱庭を見に行って石を入れる。この道楽は一人だけじゃなく仲間がいるから余計に楽しめる道楽だ。
俺たちは赤い石をサンゴ、青い石をヒスイと呼んだ。河原へ行って拾ってきた、ただの赤っぽい石と青っぽい石なんだが、そのひとつひとつが仲間の気持ちだ。俺たちは大層ありがたいものとして大事に集めていた。
町中に出ると色々な箱庭を見ることができる。小石だけで山と川を表したもの、広い草原の一本杉、海に浮かんだ島。それが長屋の玄関先だったり、商店の店先に置いてある。武家屋敷の門の前にあったりするとびっくりする。武家屋敷には箱じゃなくて立派な本物の庭があるだろうにと思うが、作る楽しみはきっと俺らと一緒なんだろう。
年に四度、季節ごとに箱庭作りの祭りがある。箱の大きさとお題が決められ、皆それに沿った箱庭を作る。それを持って広場や神社に集まって披露して、その場でサンゴやヒスイをやり取りする。それだけの祭りなのだが、サンゴやヒスイを入れてくれる人の顔が見られるのは楽しみだ。
そしてもう一つのお楽しみが、「お召し上げ」だ。お大尽が見物に来て、気に入ったものがあると、自分の屋敷の庭にその箱庭の実物を作るべく「お召し上げ」になる。そうなると作った人に大層な褒美が出るらしい。
此度の春祭り、箱の大きさは、幅一尺五寸、奥行き一尺二寸。
お題は「桜」。
お題を聞いて、俺はただ桜並木を作るだけじゃなく、池に浮かぶ花筏を作りたいと思った。問題は池の水だ。箱に器を置いて実際に水を入れて作る奴もいる。水色の紙を敷いて周りを石や草むらで囲んで池にする奴もいる。色々見てきたが、どうもしっくりこない。
クマさんは桜色の端切れを手に入れて、花を作っては枝に貼り付けている。池のことをちょこっと教えてもらおうかと思ったが、背を丸め一心に作っているクマさんに声をかけられなかった。
前にクマさんに教えてもらったことがある。この国は神様が天上から長ーい棒で海をぐるぐるかき混ぜて作ったと。なら、この箱の中に上から土を入れ、石を入れ、庭を作る俺はこの箱の神様だ。自分で考えて作らなきゃいけねえな。
今日は、クマさんと二人で河原に来た。祭りで気に入った箱庭のどんぶりに入れるサンゴとヒスイを用意するためだ。河原には何人か人が出ていた。皆屈んで石を拾っている。多分祭りに箱庭を出す奴らだろう。だけど、声を掛け合ったりはしない。箱庭の無いところでは関わり合わないのが礼儀らしい。クマさんはサンゴとヒスイをたんまり集めた。俺はサンゴとヒスイ以外にも白い小石、緑の小石、黒い石、沢山拾った。まだ俺の箱庭は出来上がっていなかった。
祭りの日、俺とクマさんは大判の風呂敷に箱庭を包んで神社にやってきた。神社には石畳の参道を挟んで両側に大きな半円が書いてある。皆その線に沿って箱庭を並べる。俺とクマさんも風呂敷を解いて箱を並べた。
クマさんの箱庭は目の覚めるほどきれいだった。真ん中に桜の木が一本。薄紅の布、桜色の布、白い布、三色取り混ぜて作った桜の花も、枝振りの良い幹も作り物とは思えなかった。その木から散った花びらが草はらに、内に濃く外へ向かって薄く散っていた。桜を中心に周りへぼかされていく桜色が見事だ。一生懸命なあの日のクマさんの後ろ姿が目に浮かんで、胸がいっぱいになる。
「八っつぁん、どうやったんだこれ。よく出来てるなあ」
クマさんが花筏の池を褒めてくれる。すっげー嬉しい。
「池になるところに青いのと白いの緑の、細かい石を敷いて周りを大きい石で囲んでから、そこに寒天を流し込んだんだ。花びらは女房の紅を指につけて、紙に押し付けて染めてそれを細かく切った」
「へえー、よく考えついたな。いいよー、これ」
「そのかわり、女房にすげー怒られた」
拝殿の前に据えられた太鼓がドンッとなった。
「春の箱庭祭り、始めー!」
俺たちは太鼓を合図に替わりばんこに箱庭を見て歩く。俺たちみたいな町人に商人、百姓、お武家さんも、ここじゃ身分関係なくきれいな箱庭をみんなで楽しむ。神社の桜はまだ蕾が少し膨らんだ程度だが、箱庭の中の満開の桜がこの場を極楽のように明るくしている。
順番に見終わったら、今度は自由に見てサンゴやヒスイを気に入った箱庭のどんぶりに入れて歩く。「いいねー」とか「これ、どうやりゃこうなるんだい」とか、直に話すのも楽しい。
俺の寒天の池は結構評判でたくさんの人が話しかけてきて、みんな俺のどんぶりにサンゴを入れてくれた。クマさんの桜も大好評でどんぶりにサンゴ、ヒスイが次々入れられる。
そこへ桜色の縮緬の着物に、黒地に桜の花びらを薄墨に染め抜いた羽織を着た美人が現れた。浅井町の芸者のマカテ姐さんだ。前回の祭りで「お召し上げ」になった見事な箱庭を作るお人だ。皆が道を開ける。マカテ姐さんはクマさんの前に進み出て、桜をひとしきり眺めた後、どんぶりにヒスイを投げ入れた。周りがどよめく。そして、
「精進しな」
と言って通り過ぎて行った。クマさんは唇を震わせて
「ありがとうございます」
と言った。
「道楽は道楽なんだけどよ、こういうのがあるとまた頑張ろうって思っちまうよな」
クマさんはちょっと涙ぐんでいる。俺もなんかジーンとしてくる。
今度は一際大きく太鼓がドドンッと鳴った。みんな静まって拝殿の方を見る。
「本祭のお召し上げー」
ドンッ。
「池波町蕎麦屋の正太郎」
「おお〜っ」
皆が声をあげた。そして万雷の拍手。蕎麦屋の正太郎は頭を掻き掻き、ぺこぺこお辞儀した。
西日が強くなってきて、クマさんの桜がますます鮮やかに見える。クマさんは、
「お召し上げになった箱庭、すごかったな。苔むした岩に盆栽みてえに枝振りの良い松。苔の上に散った桜の花びらの薄いこと。俺もいつかあんなの作りてえ」
俺は、訊いた。
「で、いずれは「お召し上げ」ってか?」
「いや、そんな大それたことは望んでねえ。だけど俺、仕事で親方にどやされても、客に嫌味言われても、箱庭作ってると気持ちが晴れるんだ。だからずっと作っていてえなあって」
クマさんはニカッと笑った。俺は
「箱庭ばっか作ってると今度は女房にどやされるけどな」
と、笑い返した。
鳥居の影が濃く伸びてきた。祭りもそろそろお開きだ。
おわり
箱庭 葉月りり @tennenkobo
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