現代百物語 第45話 手紙
河野章
現代百物語 第45話 手紙
「何だ珍しく呼び出したりなんかして」
藤崎柊輔がその秀麗な顔を歪ませて、部屋の真ん中で胡座をかいて座っていた。片手には先程谷本新也(アラヤ)が手渡した缶ビールだ。
二人は高校時代の部活の先輩と後輩の仲だった。新也にはちょっとしたホラー体質──ホラーやオカルト、ありとあらゆるちょっと不思議な出来事が新也の身には次々起こるのだ、があった。そのことでこの無駄に綺麗な顔を持つ友人兼先輩である藤崎とも腐れ縁的な縁が続いているのだが、なんやかんやと集まるときには藤崎家の事が多く、確かに藤崎が新也のアパートを訪れたことは数えるほどしかなかった。
「それがちょっと、──『それ』は多分今日なんですけど……見届けてほしいことがあって。……いや、先輩はそこで、ただ居てくれればいいんですけど、まぁ万が一というか……」
同じく片手にビールを持って藤崎の向かいの席に着く新也の端切れの悪さに、藤崎は首をかしげる。
「なんだ、ホラー事案か」
「というか、なんというか……」
「どっちなんだよ」
「区分すれば、ホラー、ですかね」
「それじゃあ、俺はなんにも役に立たないぞ」
「まあ、そうなんですけど」
どう説明すれば良いのか、新也にも判りかねているようだった。
藤崎という男はホラーやオカルト、霊感などというものにすこぶる相性が悪い。不気味な家鳴りがすればただの家の軋みだと言うし、そもそもその家鳴りが聞こえない確率のほうが高い。ある意味最強に強いのだが、新也のおかげで何度かは不思議な体験もしている。
そういった事柄や自身で調べ上げた都市伝説なんかをうまく創作のベースにして、今では文芸及びホラー作家として名も知れつつあった。
反して新也は怖い目に何度あってもそれに慣れない。なのに、今日起こるだろう『それ』というのにさして不安を抱いていないように見える。ただ少し落ち着かない様子なだけの新也に藤崎は机の上を指でコツコツと叩いた。目を眇め、口元には笑みを浮かべる。
「で? 何があった?」
揶揄する響きの藤崎の声に若干の苛立ちを覚えたものの、ビールのプルタブを起こしながら新也は静かに語りだした。
ご存知ですか?このアパートの近くに少し古いコンクリート造りの橋があるんです。
そこで先月かな……親子の無理心中があったらしいです。亡くなったのは……母親とまだ小さな女の子です。橋から飛び降りたそうで、僕の仕事の往復で見かける限りでは、今でも橋の真ん中あたりに花や玩具のお供え物が絶えません。
僕はその、こう、ですから、その橋のことを知ってからはできるだけ迂回してその橋を通らないようにしていたんです。けどある日仕事の疲れかぼーとしていて、気づいたら橋の前まで来ていました。家はもう目の前です。ここまで来れば仕方ないと諦めて橋を渡ったんですが、ちょうど真ん中あたり、お供え物の山を横目に目を伏せて通り過ぎようとしたら風が吹いたんです。
供えてあった花の花弁が舞い、バサバサと包み紙が煽られて、お供え物の中にあったらしい可愛らしいピンクのハンカチが飛ばされました。ただ、そのハンカチはちょうど欄干の部分に引っかかって今にも川面に落ちそうになっていて……つい、手を伸ばして僕はそのハンカチを捕まえました。
手に持ってよく見ると、女の子に人気のウサギのキャラクターのハンカチでした。僕はそれを畳んで、今度は風に飛ばされないようにとお供えに置かれていたジュースのペットボトルの下に挟んで置きました。
その夜からです。
僕のアパートを深夜に……僕が寝ている時間です、訪ねてくる「もの」がいるんです。インターホンを一度だけ鳴らして、僕も無視をすれば良いんでしょうけど、体が勝手に起き上がってしまう。そうして玄関に向かって、その「なにか」からあるものを預かってしまうんです。
「それが、これです」
新也は体をひねると、壁際にある本棚から薄いファイルを取り出してバラバラとカラフルなそれを机に広げた。藤崎が身を乗り出してそれに見入った
「便箋、か」
「はい、どうも手紙のようなんですが……僕には読めなくて。先輩にはどう見えますか?」
藤崎は花と菓子、様々な動物たちが描かれたファンタジックで幼稚なその一枚を手にとって返す返す見つめた。真中部分が白く、数本の罫線が引かれているデザインだ。
「……真っ白だな。罫線部分には何も書いてないように見える」
「そう、ですか……」
「お前にはどう見えてる?」
「その時々手見えるものが違うような気がするんですけど……色鉛筆で、なぐり書きをしているように見えます。色はごちゃごちゃに重なって、文字とも絵ともつかない……ただ緑や赤一色で塗りつぶしてあるのもあるんですが、どれも、怖いと感じなくて」
新也は手をのばすと数枚を手にして見比べるようにする。それからそっと大事そうに手の中でまとめると残りの数枚と藤崎から回収した最後の一枚も加えてまたファイルの中に戻した。
「なるほど、それで俺の出番ね」
「そう、です。「あれ」は僕が眠ってしまわないとやってきてくれません。できたらその……」
「寝ずの番、か。で、できたら「それ」を見届けてほしいって?」
「そうです。……駄目ですか?」
「ふむ。……面白そうだからな。乗ってやるよ」
「ありがとうございます。多分、ええ、多分今夜が……「彼女」の来る最後の日なんです」
深夜だった。
自ら寝ずの番をかって出たものの、なぜか藤崎は眠り込んでいた。ふと目が覚めたのは部屋に人の気配がなかったからだ。意識がはっきりし、ばっと立ち上がり振り返ってみると、自分が背中にしていたベッドで眠っていたはずの新也がいない。
(くそ、もう玄関か……!)
足音も荒く部屋を横切り玄関へと向かう。
玄関に、新也はいた。
扉は開け放されており、玄関灯が灯っていて、新也だけをぽつんと照らしていた。やや上体を屈み込ませた新也が手を差し出している、その手に、玄関の向こうの暗闇からすっと紙が手渡された。
「あい」
はい、だったかも知れない。か細く高い、子供の声が一言だけ藤崎の耳にも聞こえた。
それだけだった。
新也が「彼女」に何事が言うと、ひた、ひた、と濡れた足音が、ゆっくりと外の廊下を遠ざかっていく音がした。それが最後にはもう何も聞こえなくなるほどになって、漸くはっと藤崎は我に返った。
廊下を進み、新也の肩をぐいっと引き寄せてから己が玄関の先に出る。左右を見渡すが仄暗い闇の他になにもない。玄関の前には奇妙なことに一抱えほどの水たまりができており、玄関灯の弱い光がそれに反射していたが、しばらくそれを眺めたあとでふんっと息を吐いて藤崎はドアを閉めた。
「おい、新也──」
振り返って藤崎は驚いた。新也は静かに泣いていた。
「……何、泣いてんだ。「あれ」がそんなに怖かったのか?」
それならば間になわなかった自分のせいだと藤崎はバツが悪く自身の頬を掻く。玄関先に座り込んでしまった新也はその声に自身が泣いているのだと漸く悟ったようで震える手で自身の目元に触れていた。
「あれ……」
「おい、立てるか」
「だい、大丈夫です……。怖かったんじゃないんです、あの子が……もう来ないんだって思うと、自然と涙が」
「……もう来ないってなんでわかる」
「今日が最後ですから」
新也が手にしていた便箋を藤崎へと差し出した。それは一瞬のことだったが、さして明るくもない玄関灯の下で藤崎にも読めた。黄色い色鉛筆で、大きく「ありがとう」の文字。
次の瞬間にはもう真っ白の便箋に戻っていたそれを新也へと返してから藤崎はもう一度聞いた。
「それで? なんで今日が最後なんだ」
新也は手元に戻った便箋を抱きしめて、藤崎を見上げた。
「お供え物の中に、ノートや色鉛筆といった文房具もありました。その中に、この便箋があったんです、便箋の中身は十枚入り。今日が十日目です」
「……なるほどな」
種を明かされれば簡単なことに藤崎はため息をついた。
切なげに涙を流す新也を足元に、藤崎はしばらく彼をそのまま泣かせておいた。
【end】
現代百物語 第45話 手紙 河野章 @konoakira
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