センス・オブ・ワンダー

人生

 ハイペリオン遺稿、手記紙片・最終章<アトガキ>




 ――君は文章が読めるのか?


 地面に落書きする私を見つけた彼は、焚書官クリーナーという、あらゆる文章を抹消することを役目とする職業についていた。

 本来なら文章を生み出しうる私のような人間を始末するべきだが、彼は――ロゴスは寄る辺のない私を拾い、育ててくれた。


 ロゴスいわく、私のそれは先天的なもの、遺伝子に刻まれたものらしい。つまり人類にとって、文章を嗜むことは「必要」な能力なのだと――だから、何も知らない私に罪はない。それがロゴスが私を拾った理由だった。

 しかし、罪はなくとも害になる。ロゴスは私に、文章を読んではいけない、書けることを知られてはならないと教えた。呪文ワードで書かれた文章は、人を狂わせる。見ても、読んでその意味を理解してはならない。文章を書けば、そこに想いが載って魔力を帯びる。その「文章力」は危険だ、と――




「お前、夜でもグラサンするのかよ?」


 同僚のレンの言葉に、「安全のためよ」と私は応えた。かくいう彼も色眼鏡をかけているが。


「ロゴスさんの贈り物だから縁起がいいのよ」


 と言うのは、機述士コーダーのリアだ。そう、贈り者。文章を見ないための。それに、任務における「もしもの事態」から身を守るための保険おまもりだ。


 呪文を目にすると、人は半幽体ゴースト――物質的な肉体を失った、意識のみの存在――「ドクシャ」となる。彼らは自らの存在を保つため更なる文章を求め、時に人の脳を捕食する。

 呪文ワードの意味を理解しなければドクシャになることはほとんどないし、そもそも呪文ワードを扱える――文章の読み書きが出来る人間は稀なのだが、にもかかわらずここ数日、市内でのドクシャ化事件が後を絶たない。


 一般人をドクシャ化できるものといえば、大魔述師ライターであり大罪人ハイペリオンの記した禁書に書かれた呪文ワードくらいなのだが――先日、それが盗まれる事件が起こった。


 誰かがその一部を持ち込んだ……あるいは、呪文ワードを扱える人間がいる。

 そいつはそれをバラ撒き、人々を脅かしているのだ。


 私たち焚書官クリーナーはそうしたテロリストの排除が仕事なのである。


 今夜向かう先はそのアジトと目される場所だ。最悪、屋内に文章があるかもしれない。それから目を守るためのサングラスである。


「最悪、家ごと焼き払う必要があるな。碑行体マシンの準備は?」


「オーケイよ」


 リアが整備する火炎放射器。それは碑行体――碑石コアという古代文明の遺物を核とし、それに命令文プログラムを書き込むことで運用する自立装置である。

 命令文に使われる現語ゲンゴ碑文コードと呼ばれ、単一の意味しか持たず、想いを宿さない無機質なものであるため呪文ワードと違って安全なのだ。


「それにしても、ほんとにここなの?」


「なんだよ、リア? 誰の家か知ってんの?」


「ここ、碑行体マシンの整備工場に勤めてる、私のおじさん家なんだけど――」


 ガリガリガリガリと何かを削る音がリアの言葉を遮った。

 それは石造りのその家の中から響いていた。


「……レン、行くわよ。リアには後始末をお願いするわ」


 嫌な予感がした。

 家の中に踏み込むと、案の定――床にしゃがみ込み、ナイフで石の床に何かを必死に刻み付けている男の姿があった。

 その部屋のいたるところに、同様に何か文字のようなものが書き殴られ――刻みつけられていた。


「……発作だ」


 レンが呟き、目を伏せる。そう、これは……呪文ワードを目にした者が時折起こす、文章力の後天的発露だ。一説によれば、頭の中に溢れる文章を外に吐き出そうとする行い。


「おじさん――」


 後ろから覗き込んだリアの言葉に、男が顔をあげた。

 それがきっかけだった。


「うがあ――」


 唸り、立ち上がった男がこちらに手を伸ばす。その指の先から青い炎が燃え上がり男の肉体を半幽化していく――皮膚が肉が骨が塵と化し、半透明の人型に変貌する。


 躊躇えば、死ぬ。


 私は腰の鞘から剣を勢いよく引き抜く。カチッという音と共に鞘と刀身との間で鉄鉱石による摩擦が起き、閃光、発炎する。引き抜いた刀身には赤い火が宿り、それを以て私はドクシャと化した男を斬り伏せた。


「リア!」


 鋭く一声いっせいする。あらゆる感情をねじ伏せ、使命を全うさせるための一声ひとこえ。私はそこら中に刻まれた呪文ワードを目に入れないようにしながら、レンを引っ張って飛びのくように家を出た。リアが碑行体マシンを起動する。炎が噴き出し、白い石造りの家屋を呑み込んだ。




 ――しばらくして、焦げてボロボロになったその家屋を前に、私たち三人は佇んでいた。


 感情的な会話はなかった。


「……私の知るおじさんは、少なくとも呪文ワードの読める人じゃなかったわ。碑文コードは読めたけど――」


碑文コードを用いた文章によるテロ……その可能性が出て来たな」


「……そうね、リアのおじさんは被害者だった」


 これは必要な行いだった。頭では分かっているが、それをうまく言葉に出来ない。罪悪感を拭い去れない。


 文跡ぶんせきが残っていないか調べるため、半壊した家屋の中を確認していると、家屋の一部がぱらぱらと崩れ落ちた。私はその欠片の中に、文章のようなものが書かれた石片を見つける。碑石コアの一部だろうか。


「これは……」


「何それ? 碑文コード……碑行体マシン命令文プログラムみたいだけど。意味をなさない文字列が混ざってるわ」


 私はその石片を踏み潰した。


「撤収しましょう。呪文ワードは全て焼却できてる。帰って、報告しないと」




 仕事を終え、自宅に帰宅した私は父――ロゴスに声をかけた。


「今日の現場で、呪文ワードの書かれた碑石コアを見つけた」


「……そうか。大丈夫だったか?」


「うん」


 字面を視線でなぞっただけ。意味を読み取るほどには読んでないし、リアも意味を理解できていないようだった。


 ただ、あれは間違いなく呪文ワード――呪いを含んだ文章だ。

 それも恐らく、禁書レベルの――それを目にしてしまったから、リアのおじさんは発狂したのだろう。


 呪文ワードの意味を真にくみ取ったかは知れないが、本物の呪文ワードは見るものの心の奥、根源的な部分から「何か」を引き出し、人をドクシャ化させる。

 かつて碑行体マシンを用いていた古代文明は、そうして滅亡したというのが通説だ。


 ドクシャ――またの名を、読書中毒者ヘリオン


 言葉は力を持ち、それを読むことは人に力を……過ぎた力をもたらし、更なる力を渇望させ、やがて身を滅ぼすのだ。


「私には分からない。文章を広めようとする連中の考えが」


 父は碑石コアへの刻印作業プログラミングに忙しいようで、こちらを振り返らない。焚書官クリーナーを引退した父は、リアにも知られるほど有名な機述士コーダーとして活躍しているのだ。


「……各地でドクシャ化が起こっている理由……。先天的な文章力を持ってるなら、その力を自分だけのものにしていればいいのに。人に教えること、広めることになんの意味があるの」


 文章力を持つ者たちは、ドクシャ化を引き起こしてどうしたいのか。先史文明のように滅ぼしたいのか――


呪文ワードの書かれた碑石コアを見つけた、と言ったよね」


「あぁ、それがどうかしたか」


「あれはたぶん、碑行体マシンの核となっていた碑石コアだと思う。動作に問題ないよう命令文プログラム呪文ウイルスを仕込んで――整備のために碑石コアを確認した、一部の機述士コーダーがそれを見るように仕向けた。呪文ワードはたぶん、禁書の文章……それを見つけてしまったから、意味が分からなくても心の根源的な部分でそれを理解してしまったから、リアのおじさんはドクシャ化した」


「…………」


「先日盗まれた、禁書の紙片……犯人はそれを碑石コアに書き込んでるんだと思う」


「何が言いたい」


「……ロゴス、あなたがやったの……? 紙片の運搬をしていた碑行体を利用してそれを奪い、各地で運用される碑行体の中に呪文ワードを仕込んでドクシャ化を多発させた――」


 なんのために。


 ロゴスは肩から力が抜けたかのように少し猫背になると、ふっと嘆息した。

 幼い日に見た――私を背負ってくれた背中よりもとても小さく、私は時の流れを感じた。


「言葉は力を持っている。文章は、その力を操る魔法のようなものだ。かつての人類は文章を操った。彼らには知能があった。力があった。なぜなら文章とは、感情に、知識に、この世のありとあらゆるものに『かたち』を与えるものだからだ」


「それを広めることに、なんの意味があるの」


「文明を進めるためだ。……ドクシャ化は意図した結果ではない。あれは、中毒者ヘリオン、半端な覚醒だ。真に文章を理解すれば、人は魔述師ハイペリオンになれる。再び文章を繰り、自分を、世界を描き出し、記録する力を得るのだ。そうなれば……我々は、真にこの世界を理解し、真の人間になれるだろう」


 今の我々はサルと大差ないと、ロゴスは言う。感情の欠落した、あるいはその正体こころを見失った――生きた人形キカイと変わらない、と。


 文章を取り戻せば、私たちは永遠の存在にもなりえる――自らの全てを、文章として後世に残すことが出来るのだ、と。


 そして、ロゴスが振り返った。

 瞬間、何かが私の目にぶつかった。石片だ。かけていたサングラスが弾け飛ぶ。


 ロゴスが何かを――薄汚れた紙片を突き出す。


「見ろ、リドル。そして読むんだ。もはや私には、この呪文ワードが単なる記号にしか見えない。私には文章力がない。感性がないんだ。これが美しいことだけが分かる。だが、意味をなさないんだ。しかしお前なら、真にこの記述を読み取れる……」


 どうか私に教えてくれ――そう叫ぶ彼の眼は必死で、何かにとり憑かれているかのようだった。

 その姿に、先刻のリアのおじさんの姿が重なった。


 父はもう、ドクシャになりつつある。ハイペリオンの、ドクシャに。


 私はとっさに腰の剣に手を伸ばした。


 そう、剣を携え私はロゴスに相対している。役目を全うする、覚悟を決めていたのに。


 この気持ちを――なんと表現すればいいのだろう。

 あるいは呪文ワードが使えたなら、私は自分の気持ちに整理をつけることが出来たのか。



 ふと、見てしまった。



『この世界に、光あれ』



 全ての読者に、感謝ありがとうを。



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