孤独なF

綿野 明

孤独なF




 原稿用紙に一文字ひともじ、しかし丁寧ではなく走り抜けるように書く。


 世は電子化が進み、私自身も担当なり読者なり他者へ読ませるものはキーボードで入力するようになったが、誰にも見せぬ本当の初稿だけは、未だ鉛筆で綴っている。硬さは決まってF。エフという硬度の鉛筆があることをあなたはご存知だろうか? HとHBの中間にあたる硬さのそれが私の気に入りだ。Hでは線が薄く、つい力を込めすぎて手が疲れる。HBでは、紙に擦れる音がやわらかすぎる。


 そう、私は鉛筆の筆記音が愛おしいという、ただそれだけの理由で前時代的な執筆を習慣としていた。別段、テキストエディタにキーボードではゆきづまるとか、そういったことはない。物語は常に私の頭にあり、私はそれを他者が読めるよう出力しているだけだ。物語は手で書くのではなく、頭で組み立てている。


 そうであるのに、私はこのかさばって小指の側面を黒く染める鉛筆という筆記具に心奪われている。耳朶をくすぐる、シューという幽かなささやき。音の響かぬヴァイオリンのような、優雅で有機的で、どこか物寂しい音色。これが例えば2Bとなるとその歌声はとしてしまう。Fがちょうど良いのだ。しっとりとしたなかにも少し硬質さがあって、綴る物語に切れ味を加えてくれる(これをもしあなたが試してみたいと思った時のためにさらに詳しく書いておくならば、鉛筆はミスミ、原稿用紙は鳴和めいわ社の一番薄いものがお勧めである)。


 ああ、私は先に「物語は手で書くのではない」と述べたが、ある意味でそれは嘘になるやもしれない。私の物語はきっと、この執筆中にいつも聴く、原稿用紙と鉛筆が奏でるBGMのうつくしくも孤独な雰囲気に、多大な影響を受けてしまっているのだろうから。


 小説家の仕事というのは、実に孤独だ。私は自宅の書斎に籠城ろうじょうし、ひたすらに物語を綴る。Fの音色の聴きながら、小指を真っ黒にして文字を書く。原稿用紙の束の中に世界を築いてゆく。私の仕事はほとんどそれだけと言っても良い。


 もちろん、私にも仲間と呼べる人間はいる。たった一冊の本を作るのにどれだけの数の人の手が加わっているかあなたはご存知だろうか? 無論それだけではない、小説家というのは読者がいてこそ、それが生業として成り立つのだ。「感動しました」と綴られた一枚の便箋を生涯大切にする者も多くいるだろう。


 けれどそれは、例えば医者だとか教師だとか、そういう職種の人間の他者との関わりとは、少し違っているように私は思う。私は私の綴った物語を通してしか、人と交われない。価値は私の物語に付随するもので、私自身だとか私の能力だとかそういうものではない。私の生み出した物語は私から完全に独立していて、私という一人の男は他者にとって何の価値もないと、そう確信しているのだ。


 だがそれは、私にとって幸いなことである。この少し遠いがどこまでも深い、物語をかすがいとしたひととのかかわりが、私は心地よくてならない。誰にもさわれず、誰にも蝕まれず、しかし決してうわべだけの関係ではない、この甘美な距離感が。


 私はそう思って下手くそに笑み、今日も幽かな音楽を綴る。お気に入りのFが奏でる物語の向こうに、これを読んでくださるあなたの淡いぬくもりを見ながら。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

孤独なF 綿野 明 @aki_wata

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ