スマホの消えた世界

来冬 邦子

絶望の呪い

 二〇二一年三月。いにしえの勇者によって極寒の北極海に封じられていた魔王が、地球の温暖化にともなって北極海の氷が溶けたことによって封印を解かれ、その禍々まがまがしい姿を現した。

 魔王が最初にしたことは、自分を封じ込めた憎き勇者の一族である人類を、血も涙も無い仕打ちで苦しめることだった。


「いぷいぷんちち。んぉふとーます、ロエキ!」


 それは全人類を絶望の淵に沈める「呪い」だった。



 その日突然、世界中のスマホが使用不能になった。ついでに僅かばかり生き残っていた携帯電話も使えなくなった。かくして全スマホユーザーの受難は始まった。


 まず朝が起きられない。スマホの目覚まし機能が無いのだ。

 交通機関も官庁も企業も学校も、大量の遅刻者を抱えて機能不全に陥った。このままでは全世界が無政府状態となるだろう。人類は迫り来る暗黒時代に怯えた。



 ところが、そこに救世主が降臨する。

 売れ残りの目覚まし時計を携えた時計屋さんだった。


「え、これって一回セットすれば、毎朝同じ時間に鳴るの? すごい便利!」


「おお、一秒ずつ針が動いている。なんて健気けなげなんだ!」


 長らく売り上げの低迷していた目覚まし時計が飛ぶように売れた。

 世界中の人間がコチコチと時を刻む目覚まし時計に手を合わせて拝んだ。



 だが更に切実な問題が人類を苦しめた。

 目覚まし時計の見える場所を離れると「いま、何時何分か」が分からないのだ。

 バスも電車も飛行機も、その場に行って乗れれば幸運という博打ばくちめいた勝負になった。このままではどんな予定も約束も守ることは困難だ。人類は自堕落という名の砂漠に足を踏み入れかけた。



 打ちひしがれる人々の前にまた時計屋さんが、今度は腕時計を携えて登場した。


「これさえつければ何時いかなる時も、正確な時刻がわかりますよ」


 歓喜の涙を流す人々は腕時計を買った。


「なんて安いんだ。こんなに便利なのに」


「手首にフィットするわ。まるで守護のブレスレットだわ」


  世界中の人々が腕に時計を巻いた。



 しかし真の恐怖はここからだった。

 ラインもメールもSNSも絶たれた人類は絶望のドン底に沈んだ。


「部長、どうしましょう? 得意先から発注が貰えません!」


「お前、先方に行って直接貰ってこい!」


「得意先への道順がまったく分からないんです」


「なんだと! 我が社はもう、おしまいだ!」


 頭を抱え込む企業戦士たち。


「待ちたまえ!」


 その救い主は郵便屋さんだった。


「手紙に切手を貼ってポストに投函してください。きっとお届けしてみせましょう!」


「おお、なんと頼もしいんだ!」


 肩に段ボール箱を乗せた、本屋さんもやって来た。


「諸君、これは地図というものだ」


「地図? 何に使うんだ」


「地上のすべての山、すべての川、すべての道、すべての建造物がこの本に描いてあるのだ」


「まさか。そんなことが」


 半信半疑で地図を開いた営業マンの頬を涙が伝った。


「まさか! 先月開店したコンビニまで描いてある」


 人々は本屋に殺到し、経営難だった本屋業界が奇跡の復活を遂げた瞬間だった。



 だが、まだ救われない者がいた。


「誰からも連絡が来ない。もしかして、俺ってボッチ?」


 暗い部屋で体育座りする若者たちだった。


「ほら、掃除するからどっか行ってよ」


 母親の冷たい言葉に促され、靴をはいて玄関をでると……。


「ゆうた!」


 家の前に高校の同級生だった、はやとが自転車に乗って待っていた。


「公園行こうぜ!」


「うん!」


 それからは、誰かに会いたいときは時計をして電車に乗って直接会いに行った。近ければ自転車ででかけた。それでも会えないときは手紙を書いた。

 人類は、会いたいと思う気持ちが何にも代えがたい、こころよいものだと知った。



 魔王はといえば、人類は魔王が大好きで、魔王の出て来るゲームや魔王の小説がヒットしていると聞いて、機嫌を直して魔界に帰っていったそうな。


                           < 了 >

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