甘夏を届けに来た少年

秋色

甘夏を届けに来た少年

 玄関のベルが鳴って出ると、そこには珍しいお客さんがいた。いや、お客さんなんて言うと、他人行儀って叱られるよ。


 アイツ、卓矢とは一時期は一番仲良しの幼なじみだったもん。久し振りに会う卓矢は小麦色に日焼けして、少し大人びて見えた。


「や、久しぶり。うちで作った甘夏、持って来たんやけど。優香、今一人?」卓矢はバイク用のヘルメットを脱ぎながら言った。


 卓矢は白い箱を抱えていて、その中には眩しいくらいお陽さまの色をした甘夏がゴロゴロ入っていた。


「すごい! 立派な甘夏だね。うん。母さんは近所のスーパーに行ってるの。私は大学、今休みなんだ。あ、そうだ。せっかくだから特製のいちごジュースでも飲んでいって。こないだ、親戚からいちごが山程送られてきたんだ」


「ふーん。何か勿体ないな。いちごをジュースにするっつーのは」


「親戚から送られてくるのは、売り物にならない分。だから、毎年ジュースやジャムにするんだ」


「売り物にならない?」


「形がいびつなのとか、ちゃんと成長できなかったやつだよ」


「そっか。うまく成長できなかったけど、ジュースやジャムにはなるのか」


「ん。春はいいな。こうやっていろんな果物が届く」

 

「だよな。 俺も春が一番好きだな。小中学生の時、春の遠足はいつも紫川の上流だったろ? 岸辺に菫が咲いとって。春って言うといっつもあのすみれを思い出してさ。優香が菫摘んだりよけいな事したよな〜とか」


「そうだったね。ホント、よけいな事したと思ってる。すぐしなびて色が汚くなって、結局、全然キレイじゃなくなったよね」


「そうだ! 昔みたいに屋上に上ってみらん? 優香んち、高台にあるから、屋上から紫川がよく見えるの、思い出した。よく二人で上ったよな」


「花火見るために上って叱られた事もあったね。夜は危ないのにって。そう言えば最近全然上ってないな」


「押入れの上からまだ行ける?」


「押入れの上の天板を固定したり、塞いどったりしてなければね」


「じゃ、行こ!」


「マジで? こんなに大きくなったから、出られるかな」


       ******


 私んちの三階にある押入れの天井の一箇所だけが、金属の天板になっている。数字を合わせる簡単な鍵が付いている天板。そこを開けると、屋上……というより三階の屋根の上に出られる。屋根の上と行っても、へりに滑り止めの覆いはちゃんとある。これは災害時に備えて作られた緊急避難スペースでもある。

 三階まであると言っても別にウチはお金持ちというわけでなく、一階は元はおじいちゃんの経営する工務店だった。おじいちゃんが亡くなって、今は一階と二階が生活の場になっている。


 物がほとんど入っていない三階の押入れの上段の天板を持ち上げると、そこには青空と陽の光が当たり前のようにのぞいてる。

 私達は昔のように踏み台を使ってそこから屋根の上に出た。思ったより風が寒いけど、やっぱりここにいると最高の気分。田園風景を360度見回せる。

 卓矢が東の方角を指した。「ほらあの安達山に見える白いのって城壁やろ?まだ残っとるん? すげー。城はずっと昔に崩されたのに」


「本当だね。あの横にある小川が好きやった。チョロチョロ流れてて、あれがいつか海につながるんよねって話しとったね。いつか辿って行こうって言ってたけど、実現せんまんま。中学の途中から卓矢は急に近寄り難くなったよね」

 

「お互いさまだろ。あ、あの山、薄くピンクがかって、あれって桜の蕾かー?」


「ん。そう。あと十日もしたら、満開になるね。あっという間やもん。わぁ、南の方には遠くに海や港が見える。西の方は遠くに光ってるのが都会だね」


「どこが!? ゲームセンターあるだけやろ。そう言えば優香ってゲームも苦手やったっけ」

   

「悪かったね! 風、ちょっと寒いね。あ、こうすると暖かい」私は屋根の上に足を伸ばして座った。そうすると足の裏がポカポカと暖かい。そうしてそのまま仰向けに寝そべると空が眼が届く限りどこまでも広がっている。


「空ってこんなに広いんだ」


「空だから……」


「ここに来ると小さな時からヤな事、すぐ忘れたなー。卓矢、今日はもしかして励ましに来た?」


「甘夏、持って来たんやけど……」


「いや、絶対そうだよ。私が高い所にいると元気になる事、思い出さしてさ」


「何かあった?」


「大学の人間関係かねー」


「何か分からんけど気にすんなよ。せっかく頭の良い優香がすげー大学に入れたのにさ」


「気にするも何も、私は今、誰とも会わんもん。一年の時、キツい性格の人から目付けられて、シカトされてからみんなも私に声かけなくなったんだ。そのうちコロナウイルスのせいでリモート授業になって、もう誰とも会わないし、連絡もん」


「連絡よこさないやつなんか気にすんな」


「そーだそーだ! 気にすんな!」


 卓矢は北の方角をボンヤリと見ていた。そこにあるのは、ここからはちっぽけに見える私達の卒業した中学校。そこもうっすらピンクだ。桜並木に蕾の膨らんでいる頃なんだ。


「ジュースだってジャムだってがんばれる」


「え? 何の事?」


「ほら、いちごの話。さっき、形がいびつなのとか、ちゃんと成長できなかったやつはジュースやジャムになるっていったろ?」


「それが何か?」


「俺と親友の事、中二の時の担任が『お前らは絶対あまおうになれんイチゴや』って言ったの、覚えとる?」


「そんなん覚えとかんでいいんやない」と言ったけど、私は覚えてた。あの時の悔しそうな卓矢の顔。


「卓矢はだって最高のあまおうやん。私が認定する!」私はそして「あ!」と叫んだ。


「どしたん?」


「いちごで思い出したけど、ミキサー、そのまんまやった! 母さんが帰って来るから片付けんと。 ね、部屋で小中学校のアルバム見よ!」


 そう言って私は屋根の上で起き上がった。


「ん。そうだな」


 私は卓矢の後に続いて開いた天板の間から押入れに降りた。キッチンはさっきのまま。箱の中の甘夏がお陽さまの色をして良い香りを漂わせている。


 その時、母さんが帰ってきた。

「ただいま。ああ良い匂い!」


「いちごジュースと甘夏かな。甘夏はね、卓矢が持ってきてくれたんだよ。ね、卓矢」私は振り返った。「卓矢? あれ、卓矢がいない。そんな……。いつの間に帰ったの?」私はさっき私より早く屋根の上から降りていった卓矢が、いつの間に帰ったのだろうと不思議に思った。


「ねえ、母さん。帰って来た時、家の前で卓矢見なかった? ほら、ちっちゃい時からご近所さんで仲良しだった卓矢よ。母さん、よくタッキーって呼んでたでしょ?」


「見なかったわよ。エントランスホールには住人しかいなかったし、エレベーター降りてからも誰ともすれ違わなかったわよ。第一、タッキーは……」


「タッキーは?」


「いや、そのバイクに乗ってて……」


「ええ、バイクに乗って来てたの。ヘルメット被ってたもん。私達、屋根から周りの田園風景を見たの」


 母さんは「違うの、あの、去年『星になった子』コンサートに一緒に出かけたでしょ。ここは東京よ」と歯切れが悪かった。ここは東京なんて当たり前じゃない。でも、そうだ、『星になった子』コンサートは東京とは違う。故郷で一年に一度行われる、事故や病気で大人になれなかった子ども達のための追悼コンサートだ。


 そして私は気がついた。ここは故郷じゃなくて、今、私達の住んでいるのは都心のタワーマンションの三十階だという事に。













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甘夏を届けに来た少年 秋色 @autumn-hue

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