かごめかごめ
黒弐 仁
かごめかごめ
会社からの帰り道、駅から自宅へ向かう途中のことだった。
普段だったらウォークマンでお気に入りの音楽を聴きながら歩くのが日課だがその日の朝は寝坊してしまい、自宅を出る時間がギリギリになってしまったことで家にウォークマンを忘れたために久々に自然の音を耳に入れながらの帰宅だった。
時刻は午後7時少し前。自分と同じく帰宅途中のサラリーマンや部活帰りの学生が多く、その話し声や車の音、青信号の鳥の鳴き声を模した音などを聞きながらたまにはこういうのも悪くないなと思いながら歩いていた。
帰り道の途中、少し広めの公園を突っ切って行くのだが、この公園には浮浪者が住み着いているため普段のこの時間はあまり人通りが無い。俺自身もできれば避けたいものの、ここを通らないと自宅まではかなり遠回りになってしまうため、仕方無く通るのがいつもの流れだった。
その日もいつものように公園を突っ切ろうとすると、隅の方に人影が見えた。すでに日は落ち辺りは暗くなっているためよくは見えないものの、恐らくは成人であり、地べたに直に座っていることからそれが浮浪者だというのが容易に想像がついた。
行政はもっと仕事をしろよと心の中で悪態をつきつつ足早に通り過ぎようとすると、歌が聞こえてきた。その浮浪者が歌っているらしい。大声を出しているわけではなく、距離もあったが、はっきりと俺の耳に入ってきた。それは誰もが必ず幼少期には聞いたことのある歌だった。
「かーごーめーかーごめ…かーごのなーかのとーりぃは…いーつーいーつーでーあぁう…うしろのしょーめんだーあれー…」
気味が悪い…。よく見ると、体育座りをしている。どう見ても異常だ。どうやら頭がいかれてしまっているらしい。
関わり合いになるのはごめんだ。俺はなるべく声のする方へは目を向けず、そそくさと公園を出て行き、自宅であるマンションへと足を速めた。
次の日。昨日の不気味な出来事が頭から離れなかったのもあってか中々寝付くことができず、やっと眠りについたと思えばもういつも乗る電車の時刻が迫ってきているという時間帯に目を覚ました。2日連続で寝坊をしてしまうとは。ついてない。
急いで顔を洗い、朝食も取らず仕事道具とウォークマンを鞄に放り込むようにして家から飛び出した。この時間であれば、いつもの公園を通らなければもう間に合いはしない。昨日のことが頭をよぎったが、時間には代えることはできない。
公園に入り、走りながら辺りを見回してみたものの、昨日の浮浪者と思われる者の姿はどこにも見当たらなかった。
よかった。あんなものを朝から見たらこの後の仕事にも支障が出かねない。
駅に着き、停まっていた電車に飛び込むようにして乗り込み、ドアが閉まり発車すると俺はようやく息をつくことができた。
鞄からウォークマンを取り出し、イヤホンを耳に付け、お気に入りの音楽を流した。これでもう少し落ち着くことができるだろう。
前奏が流れ始め、歌に入ろうとした、その時だった。
ぶっ…ぶぶっ…ぶつぶつ…ぶっ…。
聞こえてきたのは期待していた歌声ではなく不愉快なノイズ音だった。
なんだ?断線か?こんなことならケチらずにさっさとワイヤレスを買っておくんだった。とことんついてない。
イヤホンの刺入部を押したり回したりして何とか生かそうと試行錯誤を繰り返した。
が、突如。はっきりとした歌声が聞こえ始めた。それはこのウォークマンに入れているはずもない、だが聞いたことのある歌だった。
「かーごーめーかーごめ…かーごのなーかのとーりぃは…いーつーいーつーでーあぁう…うしろのしょーめんだーあれー…」
声変わり前と思われる数人の楽しそうな子供の歌声がイヤホンから俺の耳の中へと流れ込み、背筋に冷たいものが走った。
「うわぁぁぁぁぁぁぁあああああっっっ!!!!!」
背中に冷たいものが流れ、反射的に耳からイヤホンを引き抜いた。
乗客は急に大声を出した俺のことを驚いた様子で見ているが、そんなことは全く気にならなかった。
何だ!?今のは!?どうなってるんだ!?訳がわからない…。
恐る恐るもう一度イヤホンを耳に当ててみると、そこからは聞きなれたお気に入りの曲が何のノイズもなくきれいな音質で流れていた。
だが最早音楽を聴く気分にはなれず、電源を切って鞄の奥深くにしまうと、なるべく電車の揺れる音に耳を傾けながらぎゅっと目を瞑り、ただひたすら降りる駅に到着するのを待った。
その後の仕事は手に着かなかった。手が震え、キーボードを打つことさえもままならない。上司に怒鳴られもしたが、そんなものは耳に入らず、頭からはあの楽しそうな子供の歌声がずっと離れなかった。
昼休み。他の社員は社食や外に昼食を摂りに行き、オフィスに残っていたのは自分を含め数人だけ。今朝のことが頭から離れず、とても昼食を摂る気にはなれなかった。
ぴんぽんぱんぽん…。
突如、何かの放送の合図が流れた。誰かの呼び出しの際時流れるものであるが…。
しかし呼び出し音が鳴った後、しばらく何も流れなかった。何だ?故障か?
ぶっ…ぶぶっ…ぶつぶつ…ぶっ…。
少しすると、スピーカーからは雑音が流れ始めた。そして…。
「かーごーめーかーごめ…かーごのなーかのとーりぃは…いーつーいーつーでーあぁう…うしろのしょーめんだーあれー…」
「ひっ…ひぃっ…ひぃぃぃぃぃぃぃいいいいいっっっ!!!!!」
まただ。またあれが流れた。何なんだ一体!?何がどうなってるんだ!?
残った人達は俺の声に反応し、驚いた様子でこちらを見た。何だその反応は?今のが聞こえなかったのか?
恐怖に駆られ、思わずオフィスを飛び出した。廊下を走る俺をすれ違う人たちが奇異の目で見ている。だが今の俺にはそんなことを気にしている余裕などなかった。今すぐにでもこの場から逃げ出したかった。
自宅に戻り、テレビ、パソコン、スマートフォンなど音が鳴りそうなものは片っ端から電源を切り、一人、部屋で静かに座っていた。
あの歌声は間違いなく、こちらに向かってきている。何だ?何が目的なんだ?俺が何をしたっていうんだ?
ぴぴっ…。
突如、テレビの電源が入り、背中に冷たいものが流れた。コンセントまで抜いているのに、何で!?何でだよ!!!
画面にはブラウン管テレビであったような砂嵐だけが映っている。デジタル放送ではまずありえない。
少しすると、その砂嵐に一つ二つと真っ黒な人の影のようなものが映り始め、やがてそれが7、8個にまで増えるとあの歌が聞こえ始めた。
「かーごーめーかーごめ…かーごのなーかのとーりぃは…いーつーいーつーでーあぁう…うしろのしょーめんだーあれー…」
その歌が耳に入り、鼓膜を刺激した瞬間、心拍数は一気に上がり、全身から汗が滝のように吹き出し、俺の体は恐怖で硬直した。
歌が始まって少しすると、まるで窓から家の中に侵入してくるかのようにテレビの画面からその影が次々とこちら側に現れ始めた。
その形は明らかに子供のものだった。だが輪郭も何もなく、全てを飲み込むような黒さだけがそこにあった。
やばい。やばいやばいやばい。一刻も早くここから逃げ出さないといけない。脳がそう警鐘を鳴らしている。…逃げ出さなければならないのに…体が動かない!!恐怖で震えるだけで指一本すらも動かすことができない!!!
そしてその影たちは近づいてくると、手を取り合い、円を描くようにして俺を取り囲みぐるぐると回り始めた。
「かーごーめーかーごめ…かーごのなーかのとーりぃは…いーつーいーつーでーあぁう…うしろのしょーめんだーあれー…」
それが始まった瞬間、全身が倦怠感ともに激しい頭痛に襲われ、涙や鼻水が垂れ流しになり、耐え切れず俺はその場に蹲ってしまった。
「かーごーめーかーごめ…かーごのなーかのとーりぃは…いーつーいーつーでーあぁう…うしろのしょーめんだーあれー…」
歌が繰り返されるたびに、俺の意識は少しずつ遠のいていくのを感じた。
もし…もしこのまま、意識が無くなってしまった時、俺は一体どうなってしまうのだ?再び目覚めることはあるのだろうか?いや、そもそも、俺という存在は、一体どうなってしまうのだ?こいつらの仲間になってしまうのか!?
嫌だ…。嫌だ嫌だ嫌だ!!!やめろ!!!やめてくれぇぇぇ…!!!!
****************
「かーごーめーかーごめ…かーごのなーかのとーりぃは…いーつーいーつーでーあぁう…うしろのしょーめんだーあれー…」
昨晩緊急で入院した患者はベッドの上に体育座りをしてその歌を連呼しているだけだった。昨晩、近所の公園で倒れているのが発見されこの病院に搬送されてきたが、身分証も何も持っていない上、この状態である。
「昨晩入ってきた患者、あれではどうしようもないな。目立った外傷もないし、血液検査でも特に異常はない。早いとこ、そっちの方に転院させた方がいいだろう。今はまだおとなしいが、このままでは何をするか分かったものではない」
「そうですね。こちらではもうできることは無さそうですしね。」
上医と共に部屋を後にし、その後数人の患者を診た後、医局に戻りカルテを書いていた時のことだった。
ぴんぽんぱんぽん…。
緊急放送の合図だ。様態が急変した患者がいた場合に医師を招集する目的で流れるものだが…。
しかし、呼び出し音が鳴った後、スピーカーからはしばらく何も流れなかった。何だろうか?
ぶっ…ぶぶっ…ぶつぶつ…ぶっ…。
少しすると、スピーカーからは雑音が流れ始めた。そして…。
「かーごーめーかーごめ…かーごのなーかのとーりぃは…いーつーいーつーでーあぁう…うしろのしょーめんだーあれー…」
かごめかごめ 黒弐 仁 @Clonidine
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