電話

飯田太朗

電話。

「いきなりで悪いんだが、名木橋」

 僕は口を開いた。場所はコンビニの前。駅から少し離れた坂道にある。


「今の男、見たか?」

「見てない」

 僕と名木橋は歩く。コンビニから、どんどん離れる。


「スマホを片手に公衆電話を使っていたんだ」

「ふうん」名木橋は興味なさげだ。


「おかしいと思わないか? スマホを持っているんだぞ? それでかけろよ、って思わないか?」

「思う」


 名木橋の手にはエコバッグ。ちょっとした買い物にもこれを使うらしい。僕なんかは、一枚三円で買えるなら買ってしまえ、と思うけれど。だって三〇〇円のエコバッグだとしたら一〇〇回使わないと元が取れないんだぞ? 週に一回買い物するか? 二年かけて元を取るのか? 


「今の男性について検討しよう」

 僕の提案に、名木橋は乗る。

「いいよ」


 名木橋は、いわゆるイケメンだ。男性の僕から見てもかっこいい。西洋人風の濃い顔立ち。目はしゅっと切れ長だがパッチリした二重。鼻も高い。こうしてエコバッグを片手にただ歩いているだけでも、様になる。


「まず、『スマホを持っている』ことについて検討する」

「ふむ」

「このことから分かるのは、とりあえず『スマホを手に入れるだけの経済力はある』ということだ。意外と馬鹿にならんからな。スマホ本体の値段も」

「最近は格安スマホなんてのも出ているがな」

「いや、彼が使っているのはiPhoneだった」


 僕の言葉に、名木橋はにやりとした顔を向けてくる。


「よく見ているな」

「気になったからな」

 僕は空咳をする。話を続けた。

「厳密に言えば『iPhoneを持つだけの経済力がある』になるな」

「そうだな」

「ブックオフなんかでは格安で買えるが、まぁそれでも三〇〇〇〇はするだろう」


 名木橋はこの話に興味があるのだろうか? そんなことを思いながら話を続ける。


「三〇〇〇〇円は、右から左に出る金額じゃない」

「同意するよ」

「彼の経済力は分かった。続いて彼の外見からどんな人間かを検討する」

 僕は言葉を続ける。

「金髪だった。身長は一七五か、それよりちょっと高いくらい。黒の革ジャンを着ていたがボロボロだった。ダメージ加工、でもなさそうなくらい」

「本当によく見ているんだな」


 交差点。向かい側に映画館……何でもこの街は「映画の街」らしい……、そして、ちょっと高級路線のスーパー。比較的大きな通りだ。


「下は黒の、こちらはおそらくダメージ加工と思われるジーンズ。膝に穴が開いていた。靴はキャラメル色の革靴。靴には金をかけているようだった」

「まぁ、iPhoneを買うだけの金はあるわけだからな」


「もう分かっていると思うが若者。多分、二〇代。僕らより一回り下の可能性もあるな。大学生、かも」

 横断歩道を渡る。向かい側の歩道について、一呼吸いれる。


「そんな彼が、だ」

 僕は名木橋を見つめる。

「iPhone片手に、公衆電話を弄っていた」


 電話片手に電話を弄っていたわけだ。


 僕の端的なまとめに名木橋は頷く。

「そうなるな」

「可能性を検討しよう」


 僕の提案に、名木橋は頷く。


「まず、『iPhoneが何らかの理由で繋がらなかった』という可能性について」

「考えられるね」

「しかしここは、電波が悪い地域というわけではない。街中だしな。ちょっと行けば、郊外とはいえ東京だ」


 ここは一応神奈川県。だが、県境にある街だ。


「『電波が悪い』という可能性は否定できる」

 僕はさらに続けた。

「続いて、『彼のiPhoneが故障していた』可能性について」

「割れたスマホを持っている学生ならたくさんいるな」


 そう。僕もそういう学生はよく見かける。まぁ、学生に限った話ではないが。


「だが僕が見る限り彼のiPhoneの画面は割れていなかった」

「内部的な故障の可能性がある」

「それも否定できる」


 僕は名木橋の隣を歩きながら続ける。


「コンビニの中で、彼は電話をしていたんだ……iPhoneを使って」

 名木橋は笑った。

「そこまで見ていたのか」


「随分慌ただしい様子だった。『何だって?』とかいう口調だったし、何なら『警察に行った方がいい』なんて話もしていた」

「物騒だな」


「多分、だが、相手は女だ」

「どうしてそう思う」

「……彼はレジで僕たちの前に会計を済ませた。その関係で、彼の肩越しに画面が見えたんだが、『千恵美』という表示だった」


「『千恵美』という名の男の可能性は?」

「……否定できないが、肯定もできないだろう」

「検討しても仕方ない、か」

「おそらく日本にいる多くの『千恵美』は女性であろうから、推定論的には女性であると考えた方が納得できる」


 名木橋は頷く。「賛同するよ」


「女性の電話番号を知っている男性。それも、今時LINEじゃなくてわざわざ『電話』だ。つまりiPhoneの連絡先アプリに記載があるということになる。古くからの付き合いか、電話でしかやりとりできない事情があったのか」

「通信量の問題とかでな」


「僕は『古くからの付き合い』説を提唱したい」

「どうしてだ? ニックネームで呼び合っていたとか?」

「その通りだ」僕は頷く。「『千恵美』さんのことを『ちーちゃん』と電話口で呼んでいた」


「どうせ会話を盗み聞きしていたんだろう。思い出せる範囲で全文を言ってみてくれ」

「『ちーちゃん。俺がついてるから。大丈夫。でも、怖かったら警察に行きな。俺、すぐ行くから。待ってて』」


「切迫した様子だな」

「そうなんだ。そのくせ、のんびりコンビニで買い物をして、おまけにiPhone片手に公衆電話を弄っている」


 名木橋の家は、斜面を切り取った場所の上に建てられたマンションだ。坂道をゆっくり上る。僕は言葉を続ける。


「一つ、考えられる可能性がある」

「何だ?」

 首を傾げる名木橋に、僕は続ける。


「その『ちーちゃん』とやらは、ストーカーの被害に遭っていたっぽい」

「どうしてそう分かる?」

「『またゴミを盗まれたのか』、『変なショートメール?』という単語を彼は発していた」


 名木橋は笑う。


「それは明白だな。確かに、ストーカーの被害に遭っていたようだ」

「以上のことから結論を導くと、どうやら彼は『ストーカーの被害に遭っている女性に会いに行く、その女性と比較的親しい関係にある男性』ということのようだ」

「まぁ、もしかしたら、彼氏殿かもな」


「その可能性は大いにある」

 僕は首肯する。

「まぁ、しかし碌な彼氏ではないだろうな。ボロボロの服に対して金のかかった靴。それにiPhone。多分、物にこだわりを持つタイプだ。靴に愛着があるのかな。そのこと自体は別に悪いことじゃないが、服装と髪の色だ。ミュージシャン崩れか、金のない大学生か」


「まぁ、『こだわりを持ちすぎて経済的に困窮するタイプ』なのかもな」

「だろう?」


 マンションが見えてきた。温かい光。きっと名木橋の家族も温かく僕を迎えてくれるだろう。名木橋は既婚者だ。結婚してもう一二年。お互い歳をとった。立派な中年だ。


 名木橋には子供が二人いる。さくらちゃんとすみれちゃん。久しぶりに会うが大きくなっているのだろうか。かわいらしい娘さんだった。


「さて、問題の彼だが」

 僕は言葉を続ける。

「さっぱり分からん。彼は何がしたかったんだ」

「一つ、聞く。その男のことをよく見ていたんだろう?」

「ああ」

「そいつ、公衆電話で『*2*2』と押してなかったか?」



「押していた」記憶を辿る。彼の手元。「押していた。確かにそう押していた」

「なら、明白だ」名木橋と僕はマンションのエントランスホールに入る。彼は言葉を続けた。

「そいつは公衆電話からショートメールを送っていたんだ」


「公衆電話からショートメール?」僕は首を傾げる。「そんなことが?」

「できる。まぁ、俺たちより少し上の世代からしたら常識かもな。ちょうど俺たちくらいの世代から携帯電話が普及し始めたから、文化は廃れた。でも、確かNTTドコモはまだそのサービスに対応しているはずだ」


「しかし何でそんなことを……」と言いかけた僕は言葉に詰まった。


 ゴミを盗まれた。変なショートメール。

 まさか。


「まさか、な」引きつった笑いを浮かべる僕に、名木橋は微笑みかける。

「ああ、仮説の域を出ない」


 だが。

 そう、彼は続ける。


「『ゴミを盗まれたり』『変なショートメールを送り付けられている』ような『ストーカーの被害に遭っている親しい女性』の元に『すぐ向かう』と言っておきながら悠長に『公衆電話からショートメールを送っている』、『経済的に困窮していそうな』男性。多分だが、彼は『その女性から見限られそうになっている』ことは推定できるな」


「あ、ああ」


「彼がそのことで困っているとしたら? 女性に見捨てられると『金がなくなる』と考えていたとしたら? 彼の元に女性が帰ってくるように仕向けるにはどうしたらいいだろう? 社会心理学をやっている君なら分かるだろう。ある人間と団結しようと思ったら……」


「共通の敵を作ればいい」


 にやりと、名木橋は笑う。


「彼女の敵は『ストーカー』だ。おそらくだが、『共通の敵』とやらもストーカーだな。彼がそれを、作ったとしたら?」


「自作自演か」


 その「ちーちゃん」とやらの気持ちを考えた。推測の域を出ないが、ぞっとする話だろう。捨てようと思っていた彼氏から、ストーカーの自作自演を仕掛けられる。


「ただいま」


 名木橋が家のドアを開ける。奥の方から、「おかえりなさい」という優しい声が聞こえてくる。


「早かったですね」


 名木橋の奥さんが、玄関まで出迎えてくれる。

 彼女のお腹は、ぽっこりと大きかった。きっと三人目を、身籠っているのだろう。なるほど、道理で名木橋は「今日はお茶にしよう」と言ったわけだ。


「以上、電話の彼について質問は?」

 彼の講義に、僕は頷く。

「ない」


 了

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電話 飯田太朗 @taroIda

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