模範的な関係

つるよしの

私たちの関係は規律に満ちていて、どこまでも対等で模範的

 どうして私は生きているんだと思う? と彼女は聞く。

 わからないと私はそのたびに言う。

 それはあなたが私を殺さないからね、と彼女は答える。


 ……私が彼女を監禁してから、どれほどの月日が経ったのか。

 ……彼女が私を監禁してから、どれほどの月日が経ったのか。


 はじまりは、彼女の方からだった。

 彼女が唐突に、私の部屋へ、公共放送の料金徴収員を騙って侵入してきたのは、とある蒸し暑い夏の夜のことだった。

 そのとき、私は彼女のことを全く見知らぬ人間だと思った。

 だが、彼女が包丁をかざして、私を脅しながら、私の手を手錠で拘束しようとしている最中、気が付いた。

 この声には聞き覚えがある。

 彼女のことを私は知っている。

 話したことさえないが、よく知っている。


 ……そう、彼女は同じアパートの、下の階に住むあのひとだった。


 木造モルタル築35年の、私の住むアパートは年相応の安普請で、壁も、天井も薄い。

 だから、綺麗なソプラノの彼女の声は、すっかり古びた畳の下から最初は、ぼそぼそと、やがて私が、彼女の声を楽しみに床にぴったりと耳を付けて聞き入るようになってからは、はっきりと、私の元に届いていた。

 彼女の声は、私の耳にことのほか心地よかった。

 中学時代の初恋だった、国語教師の声に似ていると思ったし、高校時代夢中になった、先輩の声に似ているとも思った。

 ラジオの歌番組に合わせた鼻唄ハミングも、その夜その夜ごとに変わる恋人との睦言も、親しき友らしき人との電話での会話の内容も、全てが好みだった。


 ある日彼女は、誰かと非常に事務的な電話をしていた。耳を澄ませば、引っ越し業者への見積もり依頼の電話である。

 彼女は、程なく引っ越してしまう。私の元からいなくなってしまう。私は心許無い気持ちでその日一日中過ごした。


 ……彼女が、私の部屋に侵入してきたのは、その夜のことだった。


 彼女は金がないのだと言う。

 だから、強盗に入ったのだと言う。

 引っ越しの金すらないのか、と私は聞いた。


 彼女は、はじめて驚いた顔をした。

 当たり前だろう、自分のそんな私生活を、私が知ってる訳はないと思っていただろうから。


 私は言った。私に何をしてもいいから、どうか、引っ越さないで欲しい。私の傍にいて欲しいと。

 戸惑いながら、彼女は拒んだ。逃げなければいけない差し迫った事情があるのだと言った。


 なので私は、一昨日の夜、自室で男を絞殺した件かと、尋ねた。

 彼女は、さらに驚いた。

 でも私からすれば、当たり前のことだった。その夜も、私は彼女の声を、つまりはことの一部始終を床に耳を付けて聞いて居たのだから。

 彼女は、ただただ驚いた。


 唖然とした彼女の前で、そのとき、私の目に入ったのは、痴漢対策に身につけていたスタンガンが、鞄からたまたま畳に転がっている光景だった。私は咄嗟にそれを手に取った。形勢は逆転した。

 そして、いまや、手錠に繋がれているのは彼女だった。


 それから、一年ほどののち、手錠に繋がれることにすっかり慣れた彼女は、契約を結ぼうと私に提案した。


 条件は、お互い、この部屋から逃げ出さないこと。

 お互いの、犯罪を誰にも話さないこと。

 そのうえで、お互い監禁犯で、お互い人質でいようと。

 こうして、私たちの契約は成立したのだ。


 そうして、私が一年ぶりに手錠から彼女を解いてみせ、反対に、彼女が私を手錠に繋いでみると、彼女は、食事を買ってくると言い残し外出した。

 私は少しだけ、不安だった。彼女がそのまま、いなくなってしまうのではないかと。

 けれど、一時間後、彼女は契約通り、近所のコンビニの袋に、沢山の食糧を入れて帰ってきた。

 そして湯を沸かすと、彼女は二人分のカップラーメンを用意し、それまで自分がされていたように、私に餌付けするように麺を与えてくれた。


 だから、次の週、今度は彼女の手に手錠をかけ、私が外出することになったが、私も同じように、コンビニで当面の食糧を買い入れ、コインランドリーでお互いの洗濯物を洗い乾かすと、そのままどこも寄らずに部屋に帰った。


 こうして、私たちは同じ部屋で、いっしょにご飯を食べ、いっしょに眠りに就く。が、ただ、どんな時も絶対に、変わらないのは、どちらかが、必ず手錠に繋がれていることだ。


 それだけは、どんなに私が彼女のことを信じていても、または彼女が私のことを信じていても、契約事項として、遵守することにしている。


 ……私はこの、連綿と続く、長閑な日々のなか、たまに思う。


 いつか、そう遠くないとき、こんな私たちの日常も終わるのだろう。

 それは、彼女か私かどちらかがなんらかの理由で死んだときに、他ならない。

 だけども、私も彼女も、今やたいそうこの契約関係が気に入っているから、彼女が私を亡くせば彼女も死ぬだろうし、私が彼女を亡くせば私も死ぬだろうことは、なんとなく予感している。


 そのとき、私たちの遺体を発見するのが、誰かは分からないけれど、願わくば、ふたつの死体をこれ見よがしにスキャンダラスなミステリに結び付けず、生前の私たちの、規律に満ち対等かつ、模範的な関係を、理解してくれる人だと良いな、と私は思う。


 どうして私は生きているんだと思う? と私は聞く。

 わからないと彼女はそのたびに言う。

 それはあなたが私を殺さないからよ、と私は答える。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

模範的な関係 つるよしの @tsuru_yoshino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画