キリトリ小窓
安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!
問.
以下の文章を読み、設問に答えよ。
※ ※ ※ ※ ※ ※
「お嬢様、お迎えに上がりました」
俺は安堵の笑みとともにお嬢様に微笑みかけた。
よっぽど怖い目に遭われたのだろう。壁にもたれかかるように座り込んだお嬢様は、俺の姿が目に入っているのにガクガクと体を震わせている。
「お迎えが遅くなり、大変申し訳ございませんでした。さぁ、お屋敷に帰りましょう?」
お嬢様をみすみすこんな目に遭わせた警備担当者はクビにした。お屋敷は今、新たな警備担当者の下、万全の警備が敷かれている。今度はもう、お嬢様をこんな目に遭わせたりしない。俺だって、より一層、しっかりとお嬢様を見守るつもりだ。
「さぁ、お嬢様。お手を……」
「っ!! イヤァッ!!」
そっと手を伸ばす。
だが俺の手は、他ならぬお嬢様自身の手で拒絶も露わに叩き落された。
あぁ、と納得がいった俺は、やれやれと溜め息をつく。
「またいつもの発作ですか」
まだら
お嬢様にそんな言葉は向けたくないが、ここ数年のお嬢様の状態はまさにその言葉が示す通りだった。
自分が生まれ育ったお屋敷にいるのに、自分の家に帰せと泣き叫ぶ。物心つく前から仕えている俺を知らないという。自分が何者であるのかも忘れてしまって『あなたが求めているお嬢様は私のことじゃない。勘違いだ。私を家族の所に帰してくれ』と言い張る始末。
精神科医の診察を受けたこともあるが、原因は『心因性ショック』……つまりトラウマだと言われてしまった。この症状が出るようになったのはお嬢様が初めて誘拐にあった後からだから、恐らくその初回の誘拐が原因ではあるのだろう。
世界有数の財閥令嬢。少々きな臭い家業。おまけにとびきりの美少女ともなれば、良からぬ輩が目を付け、次々と手を伸ばしてくるのも致し方ない事。
俺にできることと言えば、手厚くお嬢様をお守りし、とっておきのアフタヌーンティーを淹れて差し上げることくらい。
「……失礼いたしますね」
俺は強引にお嬢様の腕を引っ張って立たせると自分の胸に抱き込む。その際、首筋に小さな注射器を突き立て、中の液体を送り込むことも忘れない。
数秒お嬢様の体を抑え込むと、すぐにクッタリと力が抜けた。完全にお嬢様の意識が落ちたことを確認した俺は、お嬢様の体を横抱きに抱え直す。その時、お嬢様の衣服が血で汚れていることに気付いた。お屋敷に戻ったら、お召し替えをしていただかなくては。
「あ……あ……」
静かになった空間に響く、微かな声。
その時になって俺は、ようやくお嬢様の傍らに座り込んでいた男に視線を向けた。恐らく、こいつが今回の『犯人』だろう。
俺は無言のまま、男に向かって手の中にあった物を放り投げる。それが決定打になったのか、男はすぐに口をつぐんだ。
「さぁ、お屋敷に戻りましょうね」
腕の中にいるお嬢様の体は、柔らかく、温かい。
その温もりを今日も無事に取り戻すことができた幸運を噛みしめながら、俺はその場を後にした。
※ ※ ※ ※ ※ ※
「お嬢様、お迎えに上がりました」
その声が聞こえた瞬間、ヒュッと私の呼吸が引きつった。ガタガタと震える体は、さっきからずっと言うことを聞かない。
「お迎えが遅くなり、大変申し訳ございませんでした。さぁ、お屋敷に帰りましょう?」
朗らかな笑み。優しい声。
整った容姿に、物語の中から飛び出してきたかのような燕尾服。
その全てを血でベッタリと濡らした男は、まるで宝物を見つめるかのような表情で私を……私だけを、見ていた。
死体と、そこから流れ出る血であふれ返った、この部屋の全てをものともしないで。
「さぁ、お嬢様。お手を……」
「っ!! イヤァッ!!」
男は幸せそうな顔で私に向かって手を伸ばす。
その手を、私は拒絶を隠さず叩き落した。そんな私の様子に目を丸くした男は、すぐに『仕方がないお方ですね』と言わんばかりの苦笑を浮かべる。
「またいつもの発作ですか」
この男にとって私は『己が仕えるべきお嬢様』であるらしい。男の中での私は名家のお嬢様で、男の主で、唯一無二の絶対的な存在、という設定になっている。
……そう、設定。
だって私は、こんな男なんて知らない。普通の家庭に生まれて、普通に生きてきて、この誘拐犯にさらわれてしまった、不運な一般人なのだから。
どうやらこの男の本物の主は、小さい頃に誘拐にあってしまったらしい。多分、本物の主はそのまま帰ることはなかったのだろう。
必死の捜索で主は見つかったのだ、と、この男は思い込んでいる。そういう設定を作り上げるために、たまたま目に入ってしまった、かつての主の面影がどこかにあるという私を連れてきて、広大な屋敷に監禁した。
恐ろしいのは、屋敷で働く誰もかれもがこの男の言うことを真に受けて私をお嬢様扱いしていることだった。メイドも、警備も、私のことを『お嬢様』と呼んでかしずいて、みんなで目を光らせて私が外へ逃げることを阻止してくる。
何回か屋敷からの逃亡を試みたけれど、私が逃げ出せたことはついぞなかった。毎回この男は『私が誘拐された』と言って、どこまでもどこまでも私を追いかけてくる。
その際男は、どんな犠牲もいとわなかった。
邪魔する者は殺す。邪魔する物は壊す。
今回だって、この一件のせいで何人死んだか分からない。でおうしてそんな人間が警察に捕まらないのかだって、分からない。
……でも、今回は上手くいったと思ったのに……っ!!
私は隣にうずくまった彼に視線を投げた。男の異常さに気付いたのか、それとも仲間が全滅したことにショックを受けているのか、今回の私の逃亡を手伝ってくれた彼も私と似たり寄ったりな状況で震えていた。
屋敷の使用人の中で、唯一私を気にかけてくれた彼。私の状況を知って、助けの手を伸ばしてくれた彼。
私は彼にすがりたくて、うまく力が入らない体で彼ににじり寄ろうとする。
だけど、目の前の男が行動を取る方が早かった。
「……失礼いたしますね」
無理矢理腕を取られて引き立たされる。その瞬間、チクリと首筋に痛みが走った。薬を打たれたのだと気付いた私は逃げ出そうともがくけれど、体格差を生かして押さえつけられてしまっては碌な抵抗もできない。男に纏わりついた血がジワリと私の服に染みてくる感触が気持ち悪い。
……今回も、ダメだった……
絶望とともに、私の意識は闇に落ちた。
※ ※ ※ ※ ※ ※
誰なんだ。誰なんだよ、こいつら。
俺は、一人だけ生き残ってしまった俺は、目の前の光景にひたすら震えていた。
「お嬢様、お迎えに上がりました」
全ての元凶はこいつだ。『お嬢様』なんて呼び掛けられている、俺の隣で震えてるこの女。この女が荷物として運び込まれた段ボールの中から転がり出てきたのが全ての始まりだった。
「お迎えが遅くなり、大変申し訳ございませんでした。さぁ、お屋敷に帰りましょう?」
女が作り上げた死体を踏みつけて、突如現れた男はとろけ落ちそうなほど幸せな表情を女に向ける。『あ、こいつ狂ってる』ってパッと見ただけで分かる顔だった。
「さぁ、お嬢様。お手を……」
「っ!! イヤァッ!!」
お仲間なのかと思ったら、女は拒絶も露わに男の手を払い落とした。よく見たら、女は激しく震えていた。まるで、男に脅えるみたいに。
そんな女を見た男はやれやれと言わんばかりの表情でこう言った。
「またいつもの発作ですか」
またって、なんだよ。発作って、なんだよ。
それは、荷物に紛れて俺達のアジトに潜り込んで、たった一人で暴れ回って俺の仲間を全滅させるような発作なのかよ。
何なんだよ、こいつら。俺達の敵対する組織の連中じゃねぇのかよ。ガサ入れとか、そういうのじゃねぇのかよ。
じゃあ何で俺達の組織はこんな女一人に全滅させられなきゃなんなかったんだよ? 何でこんな執事みてぇな男一人にトドメを刺されなきゃなんなかったんだよ?
ただ俺達はあんたらに関係ない所で商売してただけじゃねぇか。商売の内容はそりゃヤバいことしてたけど、そこはあんたらには関係ねぇじゃねぇか……っ!!
「……失礼いたしますね」
血にまみれた執事は血にまみれた『お嬢様』を引っ張って立たせると強制的に意識を落としたようだった。軽々と『お嬢様』を抱きかかえた執事は、相変わらずとろけ落ちそうなほど幸せそうな顔をしている。
「あ……あ……」
その異常さに、俺の喉は留め切れない悲鳴を上げる。上げて、しまった。
今まで『お嬢様』しか見ていなかった執事の目が初めて俺に向けられる。まるで虫けらを見るかのような目で俺を見た執事は、何も言うことなく俺に向かって手を振った。
トスッ、と喉元に軽い衝撃。
視線を、堕とす。いや、落としきれなかった。何かが突っかかって、顎が下を向かない。
ヒューッ、ヒューッ、と妙な呼吸音とともに視界が暗くなっていく。
「さぁ、お屋敷に戻りましょうね」
俺の視界は、どこまでもトチ狂った男の声を最後に拾いながら闇に落ちた。
※ ※ ※ ※ ※ ※
問.登場人物の中で一人だけ正気な人間がいると仮定した場合、それは誰か。
以下の選択肢から選べ。
A:女性を迎えにきた男性
B:『お嬢様』と呼ばれている女性
C:女性とともにいた男性
キリトリ小窓 安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売! @Iyo_Anzaki
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