囚我~とらわれ~
時津彼方
本編
思ったより、窮屈な日々だ。
大学に進学が決まり、卒業式を終えた俺は、ただ何もせずに、ぼんやりと部屋の空気を吸っていた。
一人暮らしをしたかったため、地元から離れた大学を受験し、合格手続きを終えるとすぐに大学の近くのアパートに移り住んだ。
そもそも、大学入学まで、友達と遊んで過ごそうと思っていたものの、地元を離れると同時に知り合いが減ることに気づいていなかった俺は、先見の明がないのだろう。バイトも見つけられないでいるうちに、何かをする気が失せた。それでも何かをしなくちゃいけないと思う自分が、体を破って出てきそうだ。
俺は六畳の、ダイニング兼リビング兼ベッドルームに寝そべり、ぼろい天井を眺めていた。少し揺れただけでも崩れそうな、ぼろい天井。アパートを選ぶとき、大学の近さだけを重視していたせいで、生活空間の快適さは皆無だ。壁に背中を預けようにも、土壁が衣服を放さなくなる。シンクの蛇口をひねっても、お湯は出ない。ごみは六時には回収されるため、早起きは欠かせない。でもなかなか起きられず、部屋の隅には数個の、パンパンにお腹を膨らませた袋と同居せざるを得ない。
それでも、暇さえ潰せたら、この空間は自分にとっての理想郷になりうる。すべてが自分の決断に委ねられるのだ。
外に出ると、月が高く上がっていた。その輝きですら眩しい街を、俺は歩く。気づかずに踏んだ犬の糞も、公園でたむろするヤンキーも、興味の対象にならない。
ふと、ポケットのバイブに気づき、画面を開いた。
友人だ。とても楽しそうな、クラス会の写真が一枚。その下に『お前も来れたらよかったんだけどな。また遊ぼうな!』という文字。
俺は友人に対して嫌悪感を持った覚えはない。ただ、とりわけ好感をもったこともない。基本的に友人は親しいものではなく、ただの知り合いとして見ている。俺よりすごいやつも、そうでないやつも、一人の人間なのだから、そういう生き方もありなのだろうかと思っているうちに、興味が失せた。良し悪しを付けなくなった瞬間に、競争意識を持たなくなった瞬間に、人は人に対しての意識を、ほぼ失ってしまうのだと気づいても、もう取り戻すことはできない。自分はきっと、天涯孤独なのだろう。その言葉の響きにかっこよさを求める時期は、とうに過ぎたものの、決して悪くはないとは思う。それでも。
俺は友人に、『これからもよろしく』という活字を贈った。
家に着くと、より部屋が窮屈に見えた。外にいたからだろうか。
まあいい。
俺は隅に置いてある座布団を丸め、畳の上で静かに目を瞑った。
***
目が覚めると、知らない場所にいた。
というのは、夢だとありがちなことだ。
俺は河川敷にいた。友人の写真に写っていたところだ。俺も、二年前のクラス会でそこに行ったことがあったから、部分的に思い出すことができる。
目の前で、一人の女子が魚を捕まえ、こちらによこす。
それを俺はつかみ損ねたのだろう。下に落とす。
前をもう一度見ると、彼女は笑って、俺のお腹に手を伸ばした。
「またもどしてあげる」
俺は、自分より背の小さい女子に捕まえられ、バケツの中に放り込まれる。痛みはないが、ドコッと音がした。
天を仰ぐと、彼女の影があった。
俺は魚として、バケツの中を泳いでいた。
***
気が付くと、また知らない場所にいた。
唐突な舞台転換も、夢ではよくあることだ。
俺は汗びっしょりで、実家の自室にいるようだった。呼吸を忘れていたのか、勢いよく息を吸っている。廊下からドコドコと音が鳴り、自室のドアが開く。そちらに目を向けると、先ほどの女子が泣きながら近づいてくる。
「またもどしてあげる」
と、彼女は俺を背負って、誰もいない実家を出る。
見慣れた町。飽きるほど眺めた、退屈な町。
俺はその、何でもない道の真ん中で下ろされる。彼女はそのまま走って行ってしまった。
俺はどうしようもなく、泣いているようだった。
置いて行かれたからだろうか。
懐かしんだからだろうか。
水が恋しいからだろうか。
ただ悲しいだけだろうか。
俺は子供として、泣きわめいているようだった。
***
知らぬ間に、俺は知っているようなところにいた。
主観的視点に戻ることで、夢から覚めたことに気づく人は、多いだろう。
四畳半の空間が、俺を包み込む。物理的に。
***
実感を伴ったまま、俺は川に立っていた。
周りでは、キャンプを楽しむ家族が、魚をつかんでいる。
***
瞬きをすると、おれは実家にいた。
窓から差し込む朝日に、思わず目を瞑る。
目を開けると、そこはまだ実家だった。
無意識的に、俺の体は河川敷に向かう。川の水でじゃぶじゃぶと顔を洗う。
隣には、最近見たような顔がたくさん。
その目線をたどった先で、一枚のレンズが瞬きをした。
*****
俺は土壁に髪の毛が絡まるのを感じ、起き上がった。
髪が抜けるのをよそに、俺はケータイを取り出す。
そして、昨日のメールの画面を開く。
そこには、友人たちと、俺が写っていた。
写真の下には、『また遊ぼうな!』と一言。
また、か。
俺はため息を捨てて画面を閉じようとしたが、そこに自分の返信メールがないことに気づく。
送り忘れたのだろうか。
俺はケータイを閉じた。
刹那、手元が震えた。
画面を開くと、最近見た顔が一人。
写真の下には、『またもどしてあげる』と一言。
その画面には、『これからもよろしく』と、返信がされてあった。
囚我~とらわれ~ 時津彼方 @g2-kurupan
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