永遠のたそがれ

鹿島 茜

日暮れどきに愛を告げると

 日暮れどきはいちばん嫌い。一日の疲れが出るし、気持ちも落ち込んでくるから。そしてつらいことを思い出すから。今日の終わりのト短調。豆腐屋さんの音は聞こえないけれど、この耳に響いてくるほんのり暗いメロディ。

 あなたに想いを告げたのは日暮れどき。ボンダイブルーがかわいらしいiMacの目の前で、震える指で打ち込むメールの言葉。


“私はあなたのことを憎からず思っています”


 返ってきたのは冷たい言葉。日暮れが進み窓の外は薄暗く、微かに残る夕焼けが薄桃色に寂しく雲を染めていた。ピンクのインクをふわりと散らしたように穏やかな色合いなのに、私の目には血の滲んだばんそうこうの一部分に見えた。


“僕はあなたが思っているような人間ではありません”


 あなたのひとことは私の心に穴をあけた。何年たっても何十年たっても埋まらない黒い穴。日暮れどきに想いを告げるのは、もしかして縁起が悪かったのかもしれない。どこの迷信かもわからずに私は若い日をカッターナイフで削り取った。弾けるように溢れ出た血液は、夕暮れの空に淡く散りばめられた。薄く染まる紅い雲は次第に見えなくなり、真っ暗な夜へと天空は回る。

 傷ついたのか傷つかなかったのか、判然としないひととき。なのにただひとことで拒絶の意思がわかる悲しさ。あなたに「呼ばれて」いない。あなたは私を「選んで」いない。求めても得られないものを諦めるにはどうすればよかったのだろう。




“僕にできることがあれば。ドライブでも行こう”


 拒絶の罪滅ぼしを、あなたは数年後にしかけてきた。苦しい出来事が積み重なり落ち込んでいた私に近づき、昔のように楽しい時間を過ごさせてくれた。一度は拒んだのに、なぜ再び近づくのか。考えるゆとりなどなく、私はあなたに近よった。

 ひとかけらの期待、ひとかけらの不安の中で、私たちはデートを繰り返した。私にとってはデートでもあなたにとってはただの罪滅ぼしのひとつだっただけ。それがわかったのは、また夕暮れどき。


“僕はあなたにひとりで生きてほしいんだよ”


 ひとりで生きることを奨励するならば、どうしてあなたは再び私に近づいたのだろうか。


“だからもう、あなたには会えないよ。僕には頼らないでほしい”


 携帯電話を耳に当てたまま言葉少ないあなたとの通話を続けながら、ぼんやりと外の道路を見つめる。すでにライトをつけ始めた乗用車やトラック、タクシー。うすぼんやりと暮れていく中でひときわ明るく光るライトは私の目に眩しく、通りすぎる車の数を意味もなくカウントしたりした。空は曇っていて夕焼けはなかった。もはや空を染める血もなかった。なぜならあなたは、同じことを数年前にしたからだ。私の心の一部を削り取り穴をあけた。

 二回も繰り返して、なにが楽しかったのかしら。頼らせたのは誰なのかしら。


 日暮れどきに想いを告げたあなたには、二回も拒絶されてしまった。こんな哀れっぽいエピソード記憶が夕暮れや夕空の薄いピンクの色に影のように重なる。ナイフで切った傷口をふさぐ包帯。ひっそりと滲む赤い血。その奥に広がる暗く黒い穴。

 美しくほの明るい夕焼けの淡さが目に入ると、私はあなたの横顔を思い出す。


 あなたのことが好きだった。届かないから好きだった。優しすぎるあまりまったく優しくない、距離の加減を周到に操作したあなた。たかが罪滅ぼしのために、あなただけの満足のために、私はなにをしていたのだろう。

 今でも脳裏に浮かび上がる運転席のあなたの横顔は、色白で穏やかで微笑んでいる。窓の向こうは薄桃色に染まって、色つきの綿あめがぷかぷかと浮かんでいたはずだ。二人で行ったドライブはよく覚えているし、ほとんど忘れ去った。

 あなたは私に、いったいなにをしたかったのかしら。今でもわからない。拒絶することを決めているのに優しくする。受け入れるつもりなどないのに腕を広げる。わかっているのよ、あなたのしたかったことは。決して口には出さないし、出したら私が責められるだけだから。


 近づいて、その気にさせて、そして手痛く拒否をする。


 わかっているの。あの薄いピンクのふんわりとした雲は、私の血の痕跡。夕暮れどきの記憶のいたずら。

 優しい桃色は、私の心の穴をそっと隠す色。




 さようなら。


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永遠のたそがれ 鹿島 茜 @yuiiwashiro

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