この滅びた世界の中で、あなたと私は死んでいく

間川 レイ

第1話

1.

「結局のところ人はどう生きたかが問題なんじゃなくて、どう死んだかが問題なんだと思うんですよ」


そんなことを言う真宵ちゃんの言葉を、「ふうん」と聞き流しながら私は、羽交い絞めにした侵入者の首筋にナイフを突き立てる。普通に突き刺すだけでは防護外套に弾かれてしまう可能性があるので、防毒マスクと防護外套の境目を狙うのがコツだ。


今回は狙い通りうまくいったようで、ナイフはずぶずぶとその柔らかい肉を食い破り、やがてこつんという固いものにあたる感触ともにナイフが止まる。頸椎にぶつかったのだ。私はその手ごたえを確認すると、傷口に空気が入るようにしつつ、ナイフを半回転させて引き抜く。


途端、ドッと音の出そうな勢いで噴出する真っ赤な血潮。必死に私を振り払おうとしていたその男の体からみるみるうちに力が抜けていき、今ではもうぴくぴくと小刻みに痙攣するばかり。うん、これでいい。あとは放っておけばそのうち死ぬだろう。


それにしても、すっかり人を殺すのにも慣れてしまったな。ちょっと前までは普通の女子高生だったというのに、今ではシェルターに侵入してきた人間を殺すのに何の躊躇いもなくなってしまった。慣れとは恐ろしいものだ、なんて苦笑する。まあ、私が女子高生だった頃なんて、どれぐらい前のことだったか忘れてしまうぐらいには前のことなんだけれど。


そんな一息ついた様子を見て、終わったと判断したのか真宵ちゃんが


「お疲れ様です、先輩」


と声をかけつつ、ぼろタオルを投げてくる。これで返り血をぬぐえということなのだろう。礼を言いつつ手早く返り血をぬぐっていく。といっても私も防護外套をまとっていたからちょっとぬぐうだけで簡単に血は落ちる。それにしても。


「私が探索に出かける前でよかったね」


そう、たまたま私がいつもの探索に出かける直前に押し入ってこられたよかったものの、私が留守のうちに押し入られていたらどうなっていたことやら。いや、真宵ちゃんとて弱くはないんだけど、やっぱり真宵ちゃんは私にとって年下の女の子なのだ。正直、あんまり危険な目には合わせたくない。いやまあ、すべてが終わったこの世界で危険じゃないところなんてないんだけど。


「ほんとですよー」


そう言ってぷりぷりと頬を膨らませる真宵ちゃん。真宵ちゃんは続ける。


「それにしても今月に入ってから12回目ですよ、12回目!今月に入ってまだ4日目なのに!多すぎじゃないですか⁉」


「今月って言ったってあんたが勝手にそう言ってるだけでしょ」


暦なんてものも、もうない。それを刻み続ける時計なんかはこのシェルターになかったし、外の世界にあった時計やカレンダーなんかは全部焼き尽くされた。真宵ちゃんのいうひと月だって、適当な日から数え始めて30日たったのをひと月と呼んでいるだけだ。


そうはいっても、この頃侵入者が多いというのもまた事実。それだけ外の世界に物資がなくなってきたと言うことなのだろう。それこそ、よその生存者のシェルターを襲わなければならないくらいに。


それどころか、よその生存者のシェルター自体ほとんど残っていないに違いない。これだけ頻繁に襲われるということは、そう言うことなのだろう。そのことが真宵ちゃんもわかっているのだろう、


「まあ仕方がないといえば仕方がないんですけどー」


と口を尖らせている。私はそれに肩をすくめて答えつつ、


「で、あと食料はどれだけ残ってるわけ?」


と聞いた。真宵ちゃんはそこにあったボロボロの段ボールを覗き込むと


「配給食糧A型が一個と、水が500ミリですね」


それは節約しても後二日三日持つかどうかの量。何より水が二人合わせて500ミリしかないというのが非常にまずい。だかそんなことに気づいているのかいないのか、真宵ちゃんの声音はいつもと変わらない。ポヤポヤとしたままだ。


まさかこの危機的な状況に気づいていないのか、なんて思うが、その思いを頭を振って振り払う。真宵ちゃんとはこのシェルターに逃げ込んでからの短い付き合いだけれど、真宵ちゃんはそこまで馬鹿じゃない。


まあ、諦めてしまったのだろうと思う。だから真宵ちゃんは探索にもいかないし、シェルターで本を読んでいるだけ。私と一緒じゃなかったらとうに死んでいただろう。そうはいっても、諦めているのは私も同じなんだけど。


私はこの狭苦しいシェルターというのがどうも好きになれなかった。だから外をぶらつくし、その途中で何かいいものがあれば拾ってくる。そんな毎日だった。でもそれもそろそろ終わりらしい。


まあ、別にいいか。私は思う。私は『あの日』、ただ死ななかっただけだ。ただ『あの日』死ななかったから、生きているだけ。とてもお世辞にも積極的に生きているとは言えない、そんな有様。私が積極的に何かしたのは、行き倒れていた真宵ちゃんを拾ってシェルターに連れてきたことぐらい。まあ、そんな惰性で生きてきた人間が、私だ。


だから、まあ。いいかな。


そうは思いつつも私の手は頭に防毒マスクを取り付けるのをやめない。まったく、外に出たって何かが見つかるわけでもなかろうに。そうは思うものの手だけは小器用に動き、防毒マスクを取り付けてしまった。はあ、と思わずため息をつく。


そのため息に反応したのか、本を読んでいた真宵ちゃんが顔を上げるという


「先輩、今日も出かけるんですか」


その顔はやっぱりいつものようにのほほんとしていて。思わず私も笑みをこぼす。


「うん、ちょっと今日は千代田区のほうに歩いていこうかなって思って」


「千代田区ですか、悪くないですね」


そうは言いつつも真宵ちゃんの目は既に本に戻っていて。真宵ちゃんらしい、と思いつつ水密扉を開ける。扉が閉まる直前、


「死体は私の方で片づけておきますから!」


という言葉が追いかけてきた。そう言えば、あの侵入者の男の死に方は、真宵ちゃん的にはどうなのかなと、ふと思った。


2.

私は、たっぷりの放射能を蓄えた、どんよりとした雲の下、ザクザクとかつて千代田区と呼ばれた場所を歩いてゆく。正直、振り積もった死の灰と、あまりの高熱に結晶化しひび割れたアスファルトが入り混じった大地はひどく歩きづらい。


ここ千代田区は、かつて全世界を核の炎が焼き尽くした、あの狂気的な動乱の際。徹底的に核攻撃を受けた土地だ。その分他の都市よりも荒廃の度合いは酷く、目につくのはどこまでも続く死の灰に覆われた真っ白な大地と、その大地のところどこらから顔を出すかつてビルだった黒々とした残骸たちのみ。それはあたかも、白黒写真のような光景。


その白黒写真の中を、私は一人、歩いていく。ザクザクと、音を立てて。


正直、本気で食料を探す気があるのなら、こんなところを探しても無駄だ。それに、ここは他の土地に比べても放射能汚染の度合いが酷い。何年か前に出会った生存者の男も言っていたではないか。ここに長い時間いると、いくら防護外套でも防ぎきれない。被曝してのたうち回って死ぬ羽目になると。


それでも私はここが嫌いではなかった。どこまでも白と黒で覆われている世界。生命をどこまでも拒絶する、完全に死が支配する世界。それはまるで、遠い宇宙のようで。ここに輝く星々はないけれど、確かに宇宙に通じる何かがあった。何度か見た光景ではあるけれど、それでも思わず、ほう、と感嘆のため息を吐く。


「真宵ちゃんも来ればよかったのになあ……。」


思わず防毒マスクの中でつぶやく。正直スマホか、それでなくともスケッチブックがあればなあと思う。だがそんなものは私の家族とともに燃え尽きた。仕方がないので真宵ちゃんの分までしっかりと見ておこう。そう思って風景を目に焼き付けていく。


どんよりとした黒い雲。それにコントラストをなすように真っ白な大地。そこから突き出す黒々としたビルの墓標。まるで宗教画の一幕だ。


美しいなあ。心底そう思う。今なら詩だって謡えそうだ。詩を謡ったことなんてないけれど。


そんなことを考えているうちに防護外套に取りつけておいたガイガーガウンターが鳴る。無粋な真似を。内心舌打ちしたくもなるが、ここで死にたいわけではない。真宵ちゃんを一人にするのもかわいそうだ。


だから。よっこらせと呟きつつ立ち上がる。防護外套から白い砂が落ちていく。ガイガーカウンターの警報をリセット。ああ、そう言えば食料は見つけられなかったな。そんなことを思う。


まあいいか。どうせ探したって無事な食料も水もこの世にはないのだ。探すだけ時間の無駄だ。


それに私は満足だ。最後にこんな美しいものが見れたのだから。私は防護外套をパンパンとはたいて砂を落とすと、真宵ちゃんの待つシェルターに足を向けた。


3.

シェルターにつくころにはすっかり暗くなっていて。水密扉をノックして名乗り、ロックを解除してもらう。


「食料、見つからなかったよ。」


そう言うと、真宵ちゃんはいつものようにポヤポヤした顔で


「そうですかー。お疲れ様です、先輩。」


とだけ言った。その様子は本当に普段と全く変わらなくて。すっかり諦めてしまっているんだな、と思った。まあ、それでいい。変に希望なんか持ったって虚しいだけだ。


「ほら、先輩の分です」


といいつつ半分に折ったブロック食を投げ渡される。味のないブロック食をモソモソとかじり、水で流し込む。残り半分になった水を、真宵ちゃんが豪快に飲み干す。


ふと、真宵ちゃんが口を開く。


「で、先輩。千代田区のどこまで行ったんですか」


本当に言いたいことはそんなことじゃなかろうに、と内心苦笑しつつ答える。


「ああ、中央オフィス街の方にね。あそこは実に美しい場所なんだ。真宵ちゃんは?」


「私ですか?今日やっと伊藤計劃を読み切りましたよ。やっぱあの人は天才ですね」


それは本題に入るための前座。空虚な会話といってもいい。だがこんな会話ができるのもあと少しなのだ、と考えると、流石にこみあげてくるものもある。だが、今更泣いても仕方があるまいに。そう苦笑いを浮かべる。わずかな沈黙が広がる。


真宵ちゃんが意を決したように口を開く。


「ねえ、先輩」


「何だい?」


それは、我ながらかなり白々しい返事。お互い、今から何を言い出すのかわかっているのだ。真宵ちゃんは苦笑すると続ける。


「私、思うんですよ。これから生きていくのってとっても大変だなって。だって、水もない、食料もないんですから」


「そうだね。」


私は頷く。これから私たちを待ち受けるのは強烈な飢えと過酷な渇きだ。それはさぞやつらいだろう。真宵ちゃんは言う。


「私、お腹がすいてすいて徐々に弱っていくのはいやです。喉が渇いて苦しんで死んでいく先輩を見るのも嫌です。だから、だから……。」


その言葉は語尾に行くほど弱弱しくなっていって。真宵ちゃんは必死に我慢しようとしていたけれど、それでもつうと、一筋の光るものがその頬を流れるのを見た。


全く私は馬鹿だな。そう自嘲する。こんな大事なことを年下の女の子に言わせようとするなんて。私は真宵ちゃんを抱きしめる。真宵ちゃんは小刻みに震えていた。


「だから、一緒に死のうって?」


そう言うとこくんと頷く真宵ちゃん。


「いいよ」


耳元でささやく。すると真宵ちゃんの両手が私の背に回された。やっぱり小刻みに震えているけれど、それでも真宵ちゃんは泣かなかった。私はその頭をなでながら思う。そう、これしかないのだ、と。世界に食料はない。水もない。人類に残された道は、飢えて死ぬのみ。


でもそんなのは嫌だった。どうせ死ぬなら、楽に死にたい。だから。愛用のナイフの位置を確かめながら尋ねる。


「じゃあ、今からする?」


真宵ちゃんはこくんと頷くという。


「後に回したら、迷っちゃいそうですから」


そうだね、と頷く。そして、ナイフを抜きかけふと思う。


「せっかくだから、外を見ながら死なない?」


「いいですね」


そう頷く真宵ちゃん。私はいつものように防護外套をとろうと手を伸ばすが、


「もう必要ないですよ」


とやんわりと引きもどされる。確かにそうだ。そう苦笑し、防護外套もマスクもなしに外を出る。


夜風が肌をなでる感覚。思いっきり息を吸う。そして感じる、生の空気。若干のオゾン臭はするけれど、外の空気ってこんなに彩り鮮やかだったんだ、と思う。いつぐらいぶりだろう。思わず頬を涙が伝っていることに気づいた。


「きれい……。」


その真宵ちゃんの言葉につられるように空を見あげ、思わず息をのんだ。降るような星空―そこには、そんな言葉がふさわしい、満天の星空があった。空を覆い尽くさんとする、満天の星空。人類が消滅したことで、ここからでも星空を眺めることができるようになったのだ。


昼間の雲が風に流されていったのは僥倖というべき―そんな冷静な分析も、こんな素晴らしい星空を見ているうちにどうでもよくなった。あは。思わず口から笑い声が漏れる。


見れば真宵ちゃんも微笑んでいた。真宵ちゃんは、もじもじと少し何かをためらうそぶりをした後口を開く。


「ねえ先輩。」


「何だい」


私は星空を見上げたまま答える。本当に美しい星空だ。美しさで行けば、あの廃墟に劣るとも勝るまい。真宵ちゃんはなおもためらった後、おずおずといってきた。


「私と、キスしてくれませんか」


思わず顔を見る。真宵ちゃんの顔は、輝く星空の下でもわかるぐらい真っ赤だった。


「私、今まで人とキスしたことがないんですよ……。だから死ぬ前に、と思って……。」


そういってモジモジとする真宵ちゃんは何ともいじらしい。女の子とキス。今まで考えたこともなかった。でも、星明りに照らされた真宵ちゃん。その涙にぬれた横顔はとてもかわいく見えて。不思議と嫌じゃなかった。


だから、「いいよ」と答える代わりに黙って抱き寄せ、唇を重ねる。最初は驚いたように硬直していた真宵ちゃんだったが、おずおずと背中に手が回された。真宵ちゃんは、もう震えていなかった。


真宵ちゃんのぬくもりを感じる。真宵ちゃんの鼓動を感じる。舌をからめる。舌を絡められる。体の感覚が遠のく。まるで私と真宵ちゃんが溶け合っていくような陶酔感。どこまでもどこまでも絡み合って落ちていくような酩酊感。もはや何処までが私で、何処からが真宵ちゃんかも分からない。


そっと、真宵ちゃんの背中側、心臓のある部分に、ナイフの先端を当てる。こくり、と真宵ちゃんが頷く。私も頷き返す。ぐっ、と一息につきいれる。ずぶずぶと肉を刃がかき分ける感触。真宵ちゃんの回した腕がぐっと私の肩を掴む。痛いぐらいに。私も抱きしめ返す。何があっても離さないと言うように。


真宵ちゃんの腕が痙攣する。それでも私は離さない。ずぶずぶ、ずぶずぶ。刃が沈んでいく。キスに血の味が混じる。私はそれでも舌を絡める。絡み返される。


そして。


刃が何か柔らかいものを貫く感触とともに、真宵ちゃんはひときわ大きく痙攣すると、その体からぐったりと力が抜け、動かなくなった。その横顔はまるで眠っているかのように穏やかで。


「おやすみなさい」


私は彼女の頭を一撫でする。正直、ろくでもない人生だった。人類は滅び、私たちは自ら死ぬしかない。


でも最後が真宵ちゃんと一緒というのは、そう悪くないんじゃないかな。


その思考を最後に、真宵ちゃんの血に染まったナイフをまっすぐに私の胸に振り下ろした。


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