聖暦前14年 月光陽光

 アドニスのマルベリーは森へと逃げ込み、追撃してきた敵兵を始末すると、一本の大木に昇った。

 気持ちのいいくらいの敗走である。

 樹上の茂みに身を隠すと、魔法を用いて負った傷の治療にあたった。

 さすがに魔王軍の遊撃兵ともなると腕利きだ。

 マルベリーは疲労に溜息をついた。

 周囲には残兵狩りがうろついており、味方の宿営地まで帰るのは困難だろう。敗戦の具合から見れば後方の陣地まで押し込まれて攻撃を受けているのではないだろうか。

 マルベリーは顎を撫でながら溜息を吐いた。


「そもそも、真正面からやって勝てるわけがないんだよな」


 誰のものか、遠くで響く絶叫に耳を傾けながら、一人つぶやく。

 俗称魔王軍と、魔王討伐軍ではまるで質が違う。

 常勝と呼ばれる魔王ヘパティカが率いるのは精鋭のアドニス兵たちであり、対する討伐軍は諸勢力が連合し、頭数こそ多いとはいえ大半が人間なのだ。

 それも、アドニスの楽園建設を旗印に使命感に燃える連中に対して諸勢力連合は言い訳のように出された戦力である。士気も地を這うような惨憺たるもので、会戦などしようものなら潰走するのが事前に運命づけられていたのだ。

 にもかかわらず、諸勢力連合は会戦に踏み切った。

 しかし、それを愚かと断じることは難しく、マルベリーだって、連合軍の指揮官だったら他にやりようはなかっただろう。

 各個行動などさせたら、各人が被害を避けようとして各個撃破されるのでそもそも戦争にならないのだ。

 だからこそ、戦争はここからだともいえる。

 死ぬ者が死に、腕利きが残った。

 残存兵をまとめ上げて再度魔王軍と噛み合えば、補充のある連合軍の方が長期的には有利だ。

 マルベリーが傷を癒し終えた頃、大木の近くで戦闘音がした。

 視線を落とすとアドニスが二人、殺し合っていた。

 ほぼ、マルベリーの場合と同じだ。どちらかが敗残兵。残りがそれを追ってきた魔王軍遊撃兵。

 気配を殺し、マルベリーが見ていると決着はあっけなくついた。

 髪の長いアドニスの長刀が対手の胸を突き刺し、心臓を破壊したのだ。

 それも、刺された方は自ら刀に胸を突きだしたようにさえみえた。

 幻術魔法か。

 マルベリーはその見事さに舌を巻いた。

 相手に最大限の警戒を払う一対一の斬り合いにおいて、幻術などよほどの力量差がなければ、まず成功しない。

 つまり、髪の長いアドニスはそれだけ突出した力量を持っているのだろう。

 マルベリーが見ている前で勝者は呼吸を整えると、長刀を頭上に向けた。

 切っ先は、まっすぐマルベリーの方に向かっている。

 

「そこに隠れている、おまえ。所属はどっちだ?」


「……おたくはどちら?」


 答えに迷い、マルベリーは質問を返すと、アドニスはきっと睨んで堂々と応えた。


「貴族連合所属、アネモネ様配下のカガチ!」


「なんだよ、お仲間じゃないか。大声出すなよ」


 ほっと息を吐いてマルベリーは枝から降りる。

 もっとも、カガチと名乗ったアドニスが魔王軍側だとしても同じ表情で同じ言葉を述べるつもりだったが。

 言葉通りであるのなら、魔王軍の遊撃兵を一方的に屠る実力者だ。

 いつでも逃げられるように間合いをあけて自己紹介をした。

 

「豪商団麾下兵団に一応登録されている。マルベリーだ」


 互いに階級を名乗らないのは、それに意味がないからだ。

 連合軍に統一の階級もなく、任官の基準も未整備である。

 配下を参加させた貴族の中には、部下全員に将官と佐官を名乗らせた者すらあった。もちろん、混乱の原因となっている。

 カガチは刀を納めると、視線を周囲に走らせた。

 戦線は遙かに後退し、この森周辺での残兵狩りも成果を求めて去ったようで、静けさが漂っていた。

 

「マルベリー、僕は敵の勢力圏を迂回して本陣に帰参するつもりだが、君はどうする?」


「俺は……作戦変更だな。このままだと、負け戦に延々とつきあわされることになる。せっかく追撃部隊の裏に出たんだから、奴らの隊長を狙ってくるよ」


 そうしてうまく行けば敵を混乱させ、警戒させ、時間も稼げる。

 時間が稼げれば部隊の建て直しも利く。

 様々な利害による牽制も、足の引っ張り合いも今回の大敗をきっかけにいくらかなりを潜めるだろう。

 マルベリーにとっての目的は魔王軍の壊滅ではないが、連合軍の壊滅はまだ都合が悪いのだ。

 借金を帳消しにするためにはあくまでヘパティカの首級を挙げねばならず、そのためには戦争が続いている方が圧倒的に都合がいい。

   

「そういった行動を実行出来るのは、大勢いるアドニスの中でも多くはないだろ。カガチ、あんたのような腕利きか俺の様な目端が利くやつだけだ。あんたがやらんなら俺がやる」


「待ってくれ、そういうことなら僕も行こう」


 カガチの申し出に、マルベリーは笑った。

 

「そりゃいいが、命を賭けることになるぜ」


 その上、うまくいったってそれを証明する者などおらず、恩賞などとも無縁だ。

 賭事に無情の喜びを覚えるマルベリーにとっては、これも一つの遊びであるが、カガチがそんな退廃的な性格にはとても見えない。

 

「もとより、命掛けでここへ来ている。アネモネ様に送り出されたのだから、最適な行動をするのが僕の務めだ」


「まあ、どうでもいいけど。失敗したらすぐ逃げるから、遅れるなよ」


 ※


 この数時間後、魔王軍先鋒部隊の本陣が襲撃を受け前線指揮官が死亡した。

 併せて物資の集積地も焼き払われた事で連合軍への追撃の手は止まり、緒戦にして壊滅の危機を迎えた連合軍は辛くもこれを乗り切ったのだった。

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雪割の花 イワトオ @doboku

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