聖歴前20年  夕暮れ

 厚い鎧を纏った歩兵たちが正面から激突をする。

 豪声と太鼓とラッパの音がすぐに戦場を埋め尽くした。

 戦列を形成した重装歩兵たちは互いに圧力を掛け合い、崩れた方が皆殺しにされる。

 命を懸けた揉み合いを遠くに見ながらヘパティカは剣を引き抜いた。

 背中から生える花が揺れる。

 主力の衝突を援護し、横手から嫌がらせをして敵戦列の足並みを乱す。軽装の遊撃兵はその様な任務を担っており、高度な実力が求められることからアドニスが割り当てられることが多かった。

 敵も味方も、人間が戦列を組み、それを守り、アドニスがその周辺を走り回るのだ。

 ヘパティカは同じ役割を持った敵方のアドニスと睨み合う。

 竜胆を背負った少年はおよそ百メートル向こうに立っていた。

 受け持った任務をこなすのには、互いが邪魔である。では殺し合ってどちらが退くのか決めなければいけない。

 竜胆のアドニスは手に短弓を構え、矢をつがえた。

 戦場における弓矢の脅威は、多数が多数に向けて射かけることだ。

 雨のような矢を把握することも出来ず、へし合う味方に遮られて逃げ場もない。

 たった一人が射かける矢になんの脅威があろうか。たとえ、魔力が乗せられた一矢であっても。

 放たれた矢は、空気を裂きながら音速に倍する速度で二人の間を駆けた。

 が、ヘパティカの額まであと指一本分ほどのところで止まる。

 矢を掴んだヘパティカの左手は摩擦熱で炭化しており、血が噴き出すものの、それも一呼吸で癒えて出血は治まった。

 向こうでは必殺の一撃を難なく防がれた竜胆が呆然としていた。高速と必中の魔法に自信を持っていたのだろう。

 しかし攻撃が素直すぎる。ヘパティカはそう思いながら駆け出していた。

 対アドニス戦に於いて、頭部を狙うのは基本である。

 植物と共生するアドニスの体は多少の傷なら体内の植物があっという間に治療をしてしまう。その為、傷の与え合いではなく一撃で絶命に至る頭部破壊を狙うのだ。

 彼我の距離を七歩で詰め、慌てて短剣を抜いた竜胆に斬りかかる。

 例えば、魔力とはこういう風に使うのだ。

 ヘパティカと切り結ぼうとした竜胆は、虚空に向かって短剣を振り上げる。

 彼の目には幻影のヘパティカが映っていた筈だ。

 最期の瞬間まで、彼は勇敢だった。

 回り込んだヘパティカは背後から竜胆の首を刎ね、内心で彼を称賛する。

 首とともに切断された竜胆の花は高く舞い、名残惜しむかの様にゆっくりと散っていくのだった。



 “戦場の花”と呼ばれるアドニスは、もちろん直接的な表現でもあり、同時に間接的な比喩でもある。

 人の手によって作り出されたヒトモドキたるアドニスは、十四歳で成長が止まり、死の瞬間まで若さを保ち続ける。

 外見は一様に秀麗であり、少女と見分けがつかない個体も多い。

 人間の中には愛玩品としてアドニスを囲い込む連中もいるが、大抵のアドニスは能力が発現すると同時に軍隊へ売られ、人型兵器としての活躍を求められる。

 ヘパティカも戦場を彷徨って既に数十年が経過していた。

 その間、粗暴な兵士たちから組み伏せられそうになったのも一度や二度ではない。

 戦場の緊張が彼らを狂わせ、自棄に追い込むのだろう。

 もちろん、ヘパティカはそんなものに屈したことはない。

 人間を圧倒する能力で死なぬ程度に優しくたしなめ、さらりとかわす。そんな世間知も経験上、持ち合わせていたから。

 しかし、アドニスの力は絶対でもなければ全員が一定でもない。

 次々と軍に入って来るアドニスたちの中で、力がなく気の弱い者が味方の餌食となり散ることもあった。

 物陰で裸に剥かれ、花を毟られてから、くびき殺されたアドニスをヘパティカは何度も見ていた。

 その都度、ヘパティカは上官や事務官に訴えて犯人を捜すように迫ったが、彼らが腰を上げてくれたことはなかった。

 軍にとっては強力なアドニスこそが必要なものであり、人間に後れを取るような脆弱なアドニスには関心がなかったのかもしれない。

 しかし、そうしたことが起こるたびにヘパティカは仲間に頼られ、いつの間にか軍内部でアドニスたちの顔役になっていた。


 ※


「ティカ、終わりだ!」


 ヘパティカは同僚の声に我に返る。

 いつの間にか、考え事をしながら戦闘をこなしていた。

 敵の戦線は既に崩れ、戦況は追討戦に移っている。

 その場合、遅滞戦力として足止めに回るのはやはりアドニスだ。

 ヘパティカは立ち塞がるアドニスたちを排除し、背を見せて逃げる敵軍の兵士を大量に殺していた。

 

「ティカって人間を殺すとき、楽しそうだね」


 首からタンポポを生やしたアドニスのダンデリオンはヘパティカに言った。

 

「そうかな?」


 開戦時にいた場所から、敵の残兵を追いかけて随分と遠くまで来てしまった。

 振り返れば、自分の愛剣に穿たれた敵兵士の死体が一歩おきに転がっている。

 

「仕事だから、あんまり考えたことがないよ」


 白々しく返しながら、ヘパティカは思う。

 人間の都合で生み出され、人間の都合で死ぬまで殺し合いをするのだ。せめて殺せる人間は全部殺したい。そうしてこの場に散った花々に捧げなければ、自分たちはあまりに報われないではないか。

 ヘパティカは剣を一閃して血脂を払った。

 日は低くなっており、間もなく夜が来る。

 赤々とした夕日が、わざわざ血で染めた大地をすべて塗り潰していった。

 自然の前には人類の所業など無為な徒労に過ぎないのかもしれない。

 もうずっと答えを探していたヘパティカの前へ、不意に答えが落ちてきた気がした。


「悪いんだけど、アドニスを全員呼んでもらえるかな?」


 夕日から視線を切らずヘパティカが言うと、ダンデリオンは首を傾げた。


「いいけど、なんで?」


「僕は軍を抜けるよ。アドニスだけの国を作りたくなった。残りたい者は残ればいい。着いてくるのを強制はしない」


 ダンデリオンは大きく口を開けて驚いていた。無理もない。

 その発言だけで処刑されてもおかしくないのだ。

 しかし、ヘパティカは既に決心してしまっていた。

 誰一人、ついてこなくてもいい。

 ただ、仲間たちの前で宣言だけはしたかった。

 この戦場で死んだ大勢のアドニスたちに誓いたかった。

 虐げられたアドニスたちの死を決して無駄にはしない。

 アドニスの集う理想郷を築いてみせる。

 ヘパティカの目からは、とうに枯れたと思っていた涙があふれ、とめどなく流れるのだった。

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