雪割の花

イワトオ

聖歴50年  歩く花

 暗い闇の中に鈴の様な声がころころと響く。


「うん、いいねえ。これはいい。とてもいいよ」


 アドニスは道案内をしてくれた連中に振り向いて語りかける。

 赤い布を纏った数人の老人は、“忘れられた聖域”と呼ばれる遺跡群に住み着く人間たちの内、神官と呼ばれる者たちであった。

 遺跡群の詳細なら彼ら以上に詳しい人間はいない。

 それでも彼らとて、遺跡を十全に把握している訳ではないのだ。特に地上を離れて深く穿たれた地下の遺跡になると少しずつ積み重ねた遺跡探索の記録を頼りに歩いていくしかない。

 彼らは皆、ランタンを手に提げているが、ランタンがいくらあろうとも暗闇の質量が大きすぎて抗えず、押し潰されそうだった。

 そんな息苦しさの中、場違いに明るい声を挙げるアドニスに怪訝な表情を浮かべる者もいる。

 

「しかしリズ様。ここも盗掘に荒らされ、もはや残されたのは持ち出せぬ加護の残り香ばかりです」


 同行した神官の中でもっとも位が高い者が口を開いた。

 リズと呼ばれたアドニスは彼の言葉に頷き、目深に被っていたフードを脱いだ。

 隠されていた顔と、首筋から突き出た花がむき出しになる。

 細身の少女だ。

 神官たちはそう思い、すぐにその判断を打ち消した。

 品のある聖女の様な顔立ちも、腰まで伸ばした波打つ髪も、女物の服を纏った華奢な体も、場違いに足に巻き付く驕奢なサンダルも、そのどれもが女性性を強く主張していたが、決してそんなはずがないのだ。

 彼がアドニスであるが故に。


 ※


 アドニスがいつから現れたのか。その問いに答えるための正確な記録は存在しない。最初のアドニスは突然変異体として人間の中に生まれ出たものだろうという憶測があるだけだ。

 背中から花を生やし、体内に根が這い回る。端的に言えば植物と共生する人間がアドニスである。

 最初のアドニスがどの様に生き、なにが原因で命を落としたのかも知る者はいない。が、おそらく老衰などではないだろう。アドニスは不老にして、最古の樹木に匹敵するほどの遙かに長い寿命を持つのだから。

 だが、生殖能力を持たないアドニスはいかに長く生きようとも一代限りで消える運命だった筈だ。

 しかし、寿命や身体能力、あるいは優れた魔術適性を人間は欲し、無数の研究と、膨大な失敗作の上に二人目のアドニスが生み出された。

 以降、アドニスの研究と作成は各所で続いており、アドニスの系譜は現在まで続いている。 


 ※


 リズもアドニスの一人であり、首の裏からは豊かに百合の花を咲かせていた。

 黒と黄色と白の百合が同数程度の割合で混在しており、少女然とした姿を艶やかに彩っている。

 しかし、神官たちは知っている。アドニスには男しか居ないことを。

 そうしてアドニスは十四歳になると外見的成長を止め、以降は何百年が経過しようとも老化する事はない。身体能力も向上することはあっても下降する事はない。若々しい外見のまま、体内に棲まう花を守り続けて生きるのだ。

 目の前に立つ者を見た目どおり判断するのは危険な所業であった。


「僕はその残り香が欲しいんだよ」


 リズは傍らの壁を払いながらそう言った。

 

「ここはかつて、聖王国の都があった場所だ。そうして、この遺跡は兵器開発の研究所だった」


 かつて滅びた大帝国に関する資料を調べ上げ、変わってしまった地形を検証し、リズはここに辿りついたのだ。

 調査開始からここまで既に膨大な時間が経過しており、そういった意味でアドニスのアドバンテージを有効に使ったといえる。

 壁にこびりついた汚れを落とすと、その下から古代文字で『資料室入口』と書かれた看板が姿を現した。

 樹脂でできたそれが形を保っているのは、価値がなく盗掘者に見向きもされなかったことと、日光が届かず紫外線にさらされなかったことが大きいのだろう。

 リズはほくそ笑んで扉を確認した。

 そうと知って見なければ暗闇で壁と見分けがつかぬ扉が開けられた形跡はない。


「君たちの様な遺跡の守護者も、盗掘者も、詰まるところ調査不足なのさ。遺跡群全体に魔獣除けの加護が発動しているのなら、どこかにそれを発生させる機構が残っていると考えるべきだ」


 神官たちは互いに顔を見合わせ、どうしたものか首を傾げる。

 しかし、言葉こそ投げかけたものの、神官の態度などリズには興味もない。

 扉の開閉装置が故障していることを確認すると、持ってきた鉄棒を隙間へと強引に押し込んだ。

 アドニスは華奢に見えても常人の数倍した筋出力を誇る。

 千年近くも破られなかった秘所の封印は力ずくで破られ、押し広げられた。

 神官たちの間に、呻きとどよめきが起こる。リズは自分たちが畏れ、祀っている遺跡を自分たちより熟知し、その上で一片の敬意も払わないのだ。

 怒って飛びかかるべきか、頭を下げて教えを請うべきか謀りかねて居るかの様だった。

 しかし、リズが彼らへ抱いた興味はずっと前、遺跡の入り口を教えて貰ったときに霧消している。神官たちの方をチラリとも振り返らずにリズはこじ開けた扉から奥へと進んで行った。

 

「ふっふ、やったね」


 中に広がっているのは延々と続く書架の壁であった。

 ファイルがズラリと陳列されており、リズは手近な一冊を手に取ってみる。

 表情に笑みが浮かぶのを止められない。

 パラパラとめくってみて、それが狙い通りのものであることを確信すると、すぐにファイルを元に戻した。

 恐る恐る、といった様子で書庫をのぞき込んでいる神官たちにリズは優しく微笑みかけ、口を開く。


「やあ、君たち。ご苦労だったね。用は済んだからもう帰っていいよ。そうして帰り次第、この遺跡は封鎖しなさい。僕がいいと言うまで一切の立ち入りを禁止するんだ」


 リズはこの遺跡の管理に関して、なんの権限もない。

 それはリズも神官たちも承知していた。が、それでも神官たちはそそくさと帰っていく。優しげなアドニスが恐ろしかったのだ。

 彼らはきっと、戻るなりこの遺跡には誰も近づくなと周囲に厳命するだろう。

 リズは彼らを見送りながらそう思った。

 これ以降、この遺跡で出会う者は遺跡荒らしの類として処理すればいい。

 書庫に戻り、魔法で明かりを灯すと、リズは再度資料のファイルに目を通し始めた。そこに並ぶ全てのファイルには、アドニス再現研究初期に積み重ねられた膨大な“失敗”の記録がつづられていた。

 目を背けたくなるような、人間の残虐さの証拠であり、目にしたのがリズ以外のアドニスであれば人間を滅ぼさねばならぬと強く思ったかもしれない。

 成功の手法は現代まで残っているが、失敗に関する古い資料は当事者による処分がすすみ、散逸してしまっている。やはり誰しも罪は隠したいのだ。

 その状況でこれだけの書架を発見できたのは大きな成果であった。

 これはアドニス研究が属人的ではなく、国家の一部門として進められたことと、国家自体が逡巡する間もないほど短期間で滅んだことが要因だろう。

 アドニス再現の成功と失敗を並べれば、自らの体に関する謎を解き明かせるかもしれないし、原初のアドニスについても分かってくるかもしれない。薄暗がりの静寂で、紙の隅々まで目を通しつつ、リズは研究成果を読みふけるのだった。

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