【私小説】隔てのないセカイよりも

千羽稲穂

大嫌いなセカイへ

 セカイがコロナ一色になって、家で過ごすことと情報に触れること、目をつぶることが多くなった。

 家の中でぼんやりと天井を眺めて、あの電灯はどこまでの範囲に光を行きわたらせているのかを思案した。

 途端に感じる焦燥感。光の行き届く範囲もあれば、部屋の隅に光が届かないところもある。私が影を作り部屋の死角ができて、埃がつんもりとつもっていく。部屋の隅々まで、輪郭が明瞭になり、何がどこにあるか、どのような形で世界に存在しているかが手に取るように理解していた。その輪郭が世界に触れる部分は、空間を切り裂くようで、きりきりと痛む。私の輪郭が世界を区切りをつけて、自身という細胞の集合を生み出していると考えると、身のうちに潜む夥しい細胞達に寒気がする。今この一瞬も、細胞たちは動き続けている。四角く区切られ、核が真ん中に添えられて。そして細胞たちは再び身のうちで、増えたり消えたりを繰り返し、ぞわぞわと身体の息吹を芽吹かせる。吐く息まで細やかに感じとれる孤独な空間に怯える。家にいること、とは自身を感じとれることだ。普段は感じていない私が身近にあること。空間にぽつんと放り出された、私がいることを確信すること。私は、ここにいる、という事実が詳らかになるごとに、心情がひと息ずつ色彩を放つ。その重さに、胸焼けする。こんなにも感情は大きいものなのか。手を広げても抱えきれそうにない。外の五月雨が私の身のうちに宿る感情を洗い流すように、しとしとと音を室内に零す。そこで私はようやく自身の感情から開放される。

 瞼をぱちぱち数回閉じて、セカイを瞬かせる。

 ふてぶてしく隅に存在する埃を吹き飛ばすこともせず、ベッドの中にもぐりこんだ。そして布団をかぶり、部屋の何もかもが見えないところで、そっとiPhoneの画面を覗き込んだ。青白い光を瞳を焼きつけて、今日も情報に触れる。連日コロナコロナと、その言葉の情報量に圧倒される。大きくて、強い雨が自身の体に落ちていくようで、瞼が再び重くなる。

 独り身で、誰とも繋がらない、仕事と家の往復のみの私には、目の前のiPhoneは情報のよるべだった。外出自粛、仕事は休み、何もすることなく雨の如く降る情報を私と繋げる。コロナの感染状況から始まり、消費者がたいらげたマスクや、不安になった感情の渦が陰謀論になってTwitterに無数に広がっていく。コロナの風評被害により差別されるものもいれば、コロナを軽視する人が対立をなす。瞬きする間に人の洪水がiPhoneの中で沸き立つ。熱視線を向けられた私の感情が飲み込まれまいと、必死に抵抗をする。誰をよるべとするか、何を信じるか、どこに偏るのか、ネットの壁越しにでも伝わる、訴えに再びセカイが瞬いた。瞼が見るなと、閉じさせる。

 たとえば、このTwitter内に私の好きな作家がいたとする。その人が、コロナは大丈夫だと言ったとして、私は信じるのだろうか。私の好きは信じるにたる事柄か。

 このようにして、たとえ話をつくり、私はまたどこかに安定がないか探し求めている。ネット上に溢れる、情報という情報が行き交い、何かを責め立て、感情をのせられ伝えられていく。誰かを助けようとする人が叫んでる。こうすればいい、こうあればいい、大丈夫となだめたてる。見ず知らずの誰かのために、温かなエールと涙をこぼす。ハウツーを問われた私たちは、うなづきあい、おそらく乗せられて、明日はマスクの使用方法を正しく治すし、コロナになった身近な人たちの対応を彼らに倣い、的確にこなすことだろう。一方で、陰謀論を振りかざし、そんなもの全てまやかしだと拳を振りかざす。私はかわそうとすへはるが、顔面を殴られる。言葉と感情を混じらせた暴力は、一方的であり、殴り返すことは難しい。暴言や暴力の間に垣間見える尋常ならざる熱に私は距離を置く。そして、優しさで伝えられたハウツーに、胸を痛める。全てがすべて、私の体重に課される。

 誰かを想うことや、誰かに伝えること、偏見や信じ方、それらに一定の法則なんてありはしなくて、人が何かを伝えるのは、相手に対して慈しみや愛おしさが発端なのだと思う。誰かに伝えたいも、誰かに知ってほしいも、ネット越しだと、よけいに理解できる。その必死さが、青白い光で私の体を浸す。私の指が汗を滲ませ、ねっとりと画面をなぞった。

 だからこそ、気持ち悪いのだ。

 一歩外に出れば、雨でべとべとになる服と同じで、この感情は肌に落ちて身を浸す。どのような言葉でも、誰かにとっては槍の雨を降らせる。槍は自身の輪郭が曖昧にさせて、身を焦すほどの痛みを生じる世界との隔てがなだらかになる。あやふやになった自分は誰かと同じになる。私は何かのコミュニティになり、自身の細胞とおさらばする。この身を作る集合は、あのぞわぞわした感覚は、明確な空間に存在すると言う異物のような痛みが、意識の外へ。淘汰されて、隔てのないセカイへ。

 外へ出ると、いつも目に飛び込んでくる情報の海に混乱する。あたりの騒がしさや、人の流行、不自然ではない自身を形作らなければならないような気がする。人もそうだが、街頭やマンションに灯る光もそう感じさせる。あの光の袂でなければ、私たちは生きていけない。暗がりに進めば、まるで輪郭がなくなったかのような扱いを受け、不信を社会の一員として受ける。灯火に群がる蛾のように、目の前に光という情報へ向かわなければならない。あの光に自身をおざなりするほどの圧倒的な存在感がある。人の視線や言葉には、自身を淘汰する何かが秘められている。

 瞼が痛む。目が焦がされる。心が千切られる。私はiPhoneの中の何かにまざりとられて、自分はどちらにつくか、どういう思想を抱くかを迫られる。あなたはどうなのだろうか、どこに所属しているのか。黙秘すらも、どこかのコミュニティに吸い取られる。

 どこに、私はあるのだろうか。焦燥感に駆り立てられ、ひとつの箱の中に逃げ込んだのに、どこにも私はいない気がした。今、覗き込む、瞳はシャットダウンを望んでいた。

 コロナが広がって、私は目を瞑ることを覚えた。

 外の分け隔てのないセカイを、あの優しくも絡めとり、自身の輪郭すらぼやかし、まどろむような居心地の良い空間を選ばず、空間に存在する自身を選びとった。身のうちにを焦すほどの膨大な感情の束に向き合い、暗闇に飛び込んだ。内に潜み、胸焼けを起こすほどの寒気に、むしろ健全さを抱いた。

 雨が降っている音がする。部屋は電気がついている。布団にくるまり、すべてを見ないようにすると、今度は目をつぶって見る。外と繋がるiPhoneを放り出し部屋の隅の埃と沈む。電気も消して、暗がりに自分を放り込む。

 外でコロナクラスターが起こり騒ぎ立てようと、また違う病原菌がセカイを覆い尽くそうと、ゴジラのような怪獣が日本を蹂躙しようと、槍の雨が降りセカイ滅亡の危機が起ころうと、どこかの国が戦争を始めようと私は感知しない。ブラウン管の中のセカイのように見て、何も起きていない空間でピザを注文し、普段と違わぬ顔で見下す。外の隔てのないセカイよりも、自身の輪郭がくっきりと存在する一人の空間で、たんまんりと家にいる時間を過ごす。瞼を閉じて今だけは、外と繋がらず、安心してゆっくりと惰眠をむさぼる。

 誰も誰かしらもいらない。私という本物を空間に存在させる。ほっとひと息ついて、細胞が息づく寒気に、つぶさに動く生命に賛美を込める。自身が息をするエネルギーに躍動を得る。目まぐるしく回る思考に轟き、驚愕し、そして次第になんの忌憚のない平々凡々な思考だと虚ろを抱く。雨の音すらも遠のいて、心臓が心拍を刻む音を聴き込む。どく、どく、脈動する。動いている。肺いっぱいに酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出し、残りの人生のカウントダウンを心臓が奏でる。あと何日で私は死ぬのだろうか。あとどれくらいで、この脈動は止まるのだろうか。思いを馳せて、絶望と今生きている希望を瞼の裏に魅せて。

 私はこの時間という区切りの中で、確かに生きている。

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