花相似たり

衞藤萬里

花相似たり

 眼が覚めたのはいつもの時間だが、起きだすのが苦ではなくなっていた。

 もう梅はとっくに咲き、ニュースでは早咲きの桜が話題になっている。

 今、仕事はリモートになっている。若い者ほどではないが、出社する時間は極端に減った。

 それでも自宅で勤務日と休日があいまいになりがちなので、週休日もあえていつもどおりの時間に起きるようにしている。

 タイマーで米は炊けている。

 昨夜からイリコを入れているになべに火をつけると、飼っている猫がのどを鳴らしながら、すねに身体をからませるようにすりよってきた。出汁をとった後のイリコを狙っているのでだ。

 冷蔵庫の扉にマグネットで留められている、雑誌のレシピの切り取りが今朝は眼に入った。切り取られた端が反り返っている。とろうかと思って手を出しかけたが、やめた。

 冷蔵庫の横のホワイトボードには、一年前の予定と用事が書かれたままだ。時折身体が触れるので、少しづつ薄くなっているが、まだ読める。シャンプー、しょう油、そしてなぜか住民票と書かれている。予定には病院と書かれていた。

 鍋が沸騰しはじめた。

 冷蔵庫から豆腐を取りだし、さいの目に切る。

 豆腐一丁分のみそ汁は多い。ひとりだが、多く作っておけば夜まで食べることができるだろう。

 出がらしのイリコをもらって、猫はご満悦だ。

 朝食。

 ご飯とみそ汁に海苔。卵は生のまま。目玉焼きはなぜかうまく焼けない。妻はターンオーバーがうまかったから、今でも両面焼いたものを食べたいが、自分じゃどうしても黄身が破れてしまう。

 かちゃかちゃと、小鉢で卵を混ぜる音が軽快だった。

 みそ汁に柚子ごしょうを、ほんの少し入れるのが私の好みだ。

 毎日出勤していたころの朝はパンだった。家で仕事するようになってからも、その習慣はぬけなかったが、週休日はあえて米を炊く。

 食べ終え、流しで食器を洗う。

 リビングに掃除機をかける。一年前にくらべて、自分がこの家で暮らすものだけがじょじょに増えていき、必然的に妻のものの割合が減っているのに気がつく。

 家は自分だけの形に変容していく。

 朝食を準備する前に回しておいた洗濯機が、止まっていたので、洗濯籠を抱えて庭に出た。

 陽ざしはもう春の陽気で、かすかに花が匂うように感じた。

 再び台所にもどり、お湯を沸かす。インスタントコーヒーの粉をコップにそそぐ。私はこの銘柄が世界で一番おいしいコーヒーだと信じている。私は猫舌のくせに、ちんちんに沸いたお湯でないとコーヒーを入れたという気になれない。しかもたっぷりと市販の牛乳を入れる。

 妻や娘は、私のコーヒーのお粗末さを、よくからかったものだ。

 息を吹きかけて冷ましながら窓際に向かう私のポケットの中で、スマホが呼んだ。

 娘だった。

 ――元気?と訊ねる。

 元気だ、と答える。

 娘の声は、記憶の中ではいつも子どものころのままで再生されるが、電話で話すと、びっくりするぐらい低く、大人のものだ。

 来月でもうすぐ一年だね、と電話の向こうで、大人になった娘の声。

 一周忌は?

 するつもり、と答える。お寺にはもうお願いしている。

 旦那と娘も一緒に行くから、と娘。

 泊まるかと訊くと、うん、と答える。

 片付けはしてる?

 少しづつ――と答えると、少しためらうようにして、そろそろ、きちんと片づけない?と云った。

 私はリビングの窓を開けると、小さなバルコニーに出た。

 小さなテーブルの上にコーヒーカップを置き、コンパクトチェアに腰をおろした。ようやく冷めてきたコーヒーを一口。

 お父さん、聞いてるの?ちょっと怒ったような娘の声。

 せっかちなのは、子どものころから変わっていない。旦那は苦労していないだろうかと、ちょっと笑った。

 あのさ、お父さんの気持ちはわかるけど、そろそろ気持ち整理させた方がいいんじゃない?お父さんだって、まだこれから長いんだから、いつまでも家にこもってないで少しづつ……

 それからいろいろと説教がましいことを、娘はつづけた。

 口うるさくはあったが、小鳥のようなものだった。私は苦笑するしかなかった。

 スマホをテーブルの上に置くと、チェアの背に身体をあずけた。

 庭の桃の木のつぼみが、ふくらみはじめているのに気がついた。娘が産まれたときに植えたメモリアルツリーだ。

 娘の歳の数だけ、そして妻と私が彼女の親であった時間の分と、もうちょこっとの分だけ大きくなった。

 狭い庭を見ているうちに、時間が流れていくのを感じた。

 週末、こんな風に家にいることなど少なかった。特に娘が小さかったころ、妻はいろいろな催しを探しだしてきて、私と娘を連れまわした。山や海や、知らなかった遠い町や。

 娘が大学に入り家から出てからも、私たちはよくふたりで出歩いた。誘ったのは、たいてい妻だった。

 私はもともと出歩く性分ではなかった。しかし妻はじっとしていることが苦手だった。

 そして今、私はこの家にひとりだ。

 妻も娘もいない家から、もう私は不要の外出はしなくなった。

 三年後は退職だ。それからどうするかということを、そろそろと考えなければいけないと思うのだが、まだその気になれない。

 こんな退職前の時間を、こんな気持ちにひたりながらすごすことになるなんて、以前は思ってみたこともなかった。

 おそらく自分は、これから長い時間をこの家ですごすことになる。

 それ以外のことを、想像することができなかった。

 この家から妻の気配は薄れていき、やがて完全に私だけのものになるだろう。

 そう考えるとひどく切なく、そして愛おしい気分になった。

 猫がリビングの窓をひっかく音がしたので、手を伸ばして少し開けてやると、一声鳴いてさび色の身体をするりとさせて出ていった。

 私は桃に視線を戻した。体感したものも、失ったものも、そしてそれをいつまでも整理することもできない私に関係なく、きっと今年も咲くだろう。

 だが私は、去年咲いたころの私では、もうない。

 「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」のとおりだ。

 春の気配をにおわせる風に、つぼみが揺れた。

 冬のおわりの陽ざしだった。

 私は眼を閉じ、いつかその陽ざしの中、まどろみに身をゆだねていた。


(了)

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